「何者でもない時間」を許す空間。オーストラリアの事例に学ぶ多文化社会の居場所

多文化社会では、人と人をつなぐこと自体が負担になることがある。交流や参加を前提とした場が、人を遠ざけることも少なくない。つながりを求めない居場所は成り立つのか。オーストラリアのNeighbourhood Housesは、支援を目的化せず「何者でもない時間」を許してきた。本記事では、その実践から居場所の条件を読み解く。

多文化社会において「居場所づくり」が難しい理由

オーストラリアは、アメリカやカナダと並ぶ世界有数の「多文化国家」だ。世界中からの移民によって成り立ち、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が共存している。その歴史の土台には、「ファースト・オーストラリアン」と称される人々の存在がある。かつてオーストラリア大陸には、6万年以上前からアボリジニやトレス海峡諸島民などの先住民が暮らしていた。

そんななか、18世紀になるとイギリス人海軍士官のジェームズ・クック(通称:キャプテン・クック)がオーストラリアの地に上陸。そして、イギリス本国で増え続けていた囚人の受け入れ先である流刑植民地としての利用が進められていく。1788年に本格的な植民が始まり、1851年のゴールドラッシュを契機に自由移民が急増した。さまざまな国から大量の移民が入国するなか、第二次世界大戦後の移民政策が現在のオーストラリアの多文化社会を形成した。

現在のオーストラリアの人口は、約3割が海外生まれの人々によって占められている。ヨーロッパ系を中心に、近年は中国やインドなどのアジア系移民が増加している。多様な背景を持つ人々が共に暮らす社会では、言語や文化、宗教の違いが、日常での“見えない緊張”として立ち現れることがある。それは日々のコミュニケーションのなかで、言葉にしづらい“かすかな違和感”として残る。ときに無意識のレベルで他者とつながれない感覚が、「孤独感」として受け取られることもある。

多文化社会においては、「助ける側」「助けられる側」という関係性が固定されることもある。たとえば、地域のワークショップやボランティア活動などにおいて、「自分も何か貢献しなければ」と感じる人は少なくない。しかし言葉や習慣が異なると、積極的に発言したり、活動に参加したりすることは難しい。とくに新しいコミュニティに属する移民にとっては、このような立場の固定化が格差や摩擦を生むリスクがある。参加や交流が前提となっている場では、そうした人々が孤立し、「自分の居場所」を見出せなくなることがある。それは、意図せず「排除」を生んでしまうことにもつながる。「居場所」と一口に言っても、多文化社会においては、「つながり」そのものが負担になってしまう場合もあるのだ。


多文化共生とは?文化の違いを力に変える地域の取り組み

Neighbourhood Housesが大切にする「何もしなくていい」設計

こうした「参加しなければならない」という無意識の負担を和らげ、プログラムへの参加を強制しない居場所のあり方を体現しているのが、「ネイバーフッド・ハウス(Neighbourhood Houses)」だ。

全国のネイバーフッド・ハウスをつなぐ運営支援団体である「ANHCA(Australian Neighbourhood Houses and Centres Association)」の支援のもと、ネイバーフッド・ハウスはオーストラリア各地に1,000以上存在するコミュニティハブとして運営されている。

特定の支援対象に限定しない「地域に開かれた日常的な場」であり、文化的背景の異なる人々の孤立を防ぎながら、地域とのゆるやかな接点を保つ役割を果たしている。誰でも利用でき、多くのアクティビティが無料で提供されているのも特徴だ。たとえば、参加者のキャリアパスを支援するための生涯学習、ヨガや料理教室といったウェルビーイングや健康に関するアクティビティ、そして高齢者や子ども向けプログラムなどがその代表例だが、これらは決して参加を求めるためのものではない。必要な人が、必要なときに関わることのできる「選択肢」として置かれている。

ネイバーフッド・ハウスは、地域の人間関係を広げることを目的としながらも、役割や立場を求めない非営利のコミュニティ拠点として機能している。そこには、属性や背景を問われない“ゆるやかな匿名性”がある。活動への参加自体が強制ではないため、「滞在していても、誰かと話さなくてもいい」という選択肢が自然に認められている。さらに、「貢献しなければ」「参加しなければ」といった無言の圧力がない。個人の自由を尊重する空気が流れるこの場所は、多文化社会であるオーストラリアにおいて、地域のサードプレイスとして機能している。

そんな「何もしなくていい」と思える環境設計が、参加者にとっての“心地よいつながり”を生み、気負わずにいられる交流の場として、この空間を支えている。


自然と人と、ちょうどよい距離でつながる。ガーデンがつくるサードプレイス

「何者でもない時間」は、共存をどう支えているのか

私たちはときに、「お互いを理解しなければいけない」という義務感にかられることがある。とくに多文化共生の文脈では、「理解しあおう」「交流しよう」「違いを知ろう」といった議論になることが多い。

とはいえ、いきなり理解しあうことが難しい場面もある。そんなときにまず必要なのは、相手を傷つけない、または傷つけられない状態を保つことなのではないだろうか。相互理解の前に一度立ち止まり、「無害でいられる関係性」とは何かについて考えてみたい。

オーストラリアのネイバーフッド・ハウスの事例は、「関わらない自由が、結果として信頼を育てる」ことを示している。無理に関係を築こうとしなくても、ただ共にそこにいるという事実を受け入れ、関わり方の選択肢を広げていく。そんな自由度の高さが、人と人との距離をゆるやかに保っている。

そして、困ったときには助けあいながらも、「居場所がない」という孤立感に陥らずにいられる。属性や役割から解放された穏やかな交流は、ほかでもない一人ひとりの「個人」へのリスペクトにつながっていく。

参加や交流を目的とせず、つながりが希薄になっても壊れない。「何者でもない時間」を奪わない関係性――それは、多文化社会におけるサードプレイスの新しい条件として、「共存」のあり方を捉えなおすきっかけになるのではないだろうか。

Edited by k.fukuda

参考サイト

オーストラリア基礎データ|外務省
文化の多様性:国勢調査|オーストラリア統計局
オーストラリアをより深く理解する|一般社団法人 霞関会
第54回 オーストラリアの移民統合政策|一般財団法人自治体国際化協会
ANHCA(Australian Neighbourhood Houses and Centres Association)公式サイト
Our history – Multicultural affairs|Australian Government – Department of Home Affairs

About the Writer

ともちん

大学で英文学を学び、小売・教育・製造業界を経てフリーライターに。留学や欧州ひとり旅を通じて「丁寧な暮らし」と「日本文化の価値」に触れ、その魅力を再認識。旅や地方創生、芸術、ライフスタイル分野に興味あり。言葉を通して、自尊心と幸福感を育めるような社会の実現に貢献することを目指している。
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