昨今、エンターテインメントの領域で炎上するものの背景に「ポリコレ」の存在がある。昔はバラエティやコメディなどエンタメの定番だった表現や、自由だったキャラクター描写など、かつては大衆の間で笑い飛ばされていたジョークは今では差別的表現とされ、糾弾されることも増えている。
作り手は、キャラクターの見た目や言動に細かく配慮し、時には公開後にも修正や削除を行いながら作品を作り上げていくことが、当たり前になりつつある。もちろん中には、「なぜこれが許されてきたのか」という、いかにも差別的で誰かを傷つけるものがあるのも事実だ。しかし一方で、創作の自由やユーモアの幅が狭まっているのではないかという懸念も強まっている。
なぜポリコレは、エンタメと衝突しやすく「相性が悪い」とされるのだろうか。その理由や背景、両者が共存していくにはどうすればいいのかを考えてみたい。
ポリコレという名の「新たな道徳」
そもそもポリコレとは、アメリカの公民権運動やフェミニズム運動など、差別の是正を求める場面で生まれた概念である。社会的弱者に対する無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)やステレオタイプをなくし、多様性を尊重することを目的としている。
ジェンダー、人種、宗教、性的志向、身体的特徴などに配慮された言葉や表現を求められており、誰もが暮らしやすい社会をつくることを目指す考え方だ。
ポリコレの考え方は世界中に広がっており、日本でも性別が強調された「保母」「看護婦」「スチュワーデス」などの名称が変更になり、現在では「保育士」「看護師」「キャビンアテンダント」が浸透したという事例もある。
また、「痴呆症」から「認知症」、「精神分裂症」は「統合失調症」なども病名も同様に、時代に即した変更が適宜行われている。
エンターテインメントの社会的役割

エンタメは日々の生活を彩ったり、つらい現実を忘れるための逃避として享受するものである。多くの人はエンタメによって日々の活力を得たり、笑うことで心の健康を保ったりしており、私たちにとってエンタメは、欠かすことのできない娯楽の一つといえるだろう。
一方で、政治や世相を風刺するものという一面もあり、誇張や揶揄といった手法を交え、ユーモアを織り交ぜながら大衆の共感を得てきた。大衆文化が花開いた江戸時代には、戯画から幕府を批判した風刺画が誕生。のちに世情や人々の生活を戯作的に描いた「漫画」というジャンルが生まれ、現代の漫画やアニメ、ゲームなど、世界でも独特なジャパニーズカルチャーの誕生へと繋がっている。
世界に目を向けても、世相を風刺した作品は現在でも多く誕生している。たとえばイギリスのイラストレーター・John Holcroftの作品には、倒れた瓶から錠剤のようなものが零れており、それらはよく見るとFacebookの「いいね!」になっている……といったドキッとするようなものが多々ある。まさにSNS依存の現代を表す一枚だ。
「美しい」「かっこいい」「かわいい」などの作品は心が満たされていくものだが、こうした風刺的な作品は、政治や社会に対する人々の不満や憤り、違和感などの共感を得やすい。そのため、エンタメは今の世相をリアルに映し出す「鏡」として重要な役割を担っているのだ。そしてそれを笑いに昇華することで不平不満、悲しみ、辛さを発散させ、人々はあらゆる社会的困難や混乱を乗り越えてきた。
しかし、社会の中で「マジョリティ側の共感を得ること」と「マイノリティ側に不快感を与えること」は表裏一体であることは間違いない。これまで製作者や脚本家が自由な発想の中で発揮してきた創造性は現在、炎上のリスクと隣り合わせになっている。
これらのことを踏まえると、なぜポリコレとエンタメは、相性が悪いと言われるのかが見えてくる。それはエンタメがもたらすものは「感情」への訴えで、ポリコレがもたらすものは「倫理」への訴えだからだろう。
感情と倫理は、そもそも噛み合わない要素をたくさん抱えている。頭では理解できても、心がそれを認められない、といった場面は日常でも多くある。こうした摩擦が「ポリコレに配慮しすぎている」「ポリコレに配慮していない」という二極化した意見を生み出しているのだろう。
ポリコレに関連する議論を生んだ作品例
ポリコレに関する議論が巻き起こる時、その論点としては主に「ポリコレに配慮しすぎている」ものと「ポリコレの配慮が足りない」ものがある。近年、その2つの観点からそれぞれ大きな議論を巻き起こしたのが、以下の作品だ。
実写版『白雪姫』『リトル・マーメイド』
2025年3月に公開されたディズニーによる実写映画『白雪姫』は、プロジェクトが発表された当初から「ポリコレに配慮しすぎ」とされ、議論が白熱した作品だ。その理由は、主人公の白雪姫にラテン系の俳優をキャスティングしたことにある。
白雪姫は原作において「雪のように白い肌」を持つことからその名前がつけられており、褐色肌の俳優を採用することは「原作改変だ」として批判された。さらに、物語に登場する「七人の小人」は小人症の人々への差別を助長する可能性を加味し、低身長症の俳優を起用するのではなく、キャラクターをCGで制作している。しかし、こちらも「低身長症の俳優から仕事を奪う」として、賛否両論が起きた。
ディズニーの実写化では2023年公開の『リトル・マーメイド』も同様に、黒人女性が主人公アリエル役にキャスティングされたことが大きく批判された。異議を唱える人のほとんどは、「黒人差別ではなく、原作のビジュアルに忠実な配役を行ってほしい」という意見であったようだ。
どちらの作品も、論点になっているのは「原作の世界観を大切にしてほしい」「時代錯誤というのなら、そもそも題材にするべきではない」という点である。
MV『コロンブス』Mrs.GREEN APPLE
2024年6月にMrs.GREEN APPLEが楽曲『コロンブス』のMVを公開。その内容について公開直後から大炎上となり、公開が停止されるという事態が起こった。MVの中でアメリカの先住民に対する差別的表現があったことが大きな理由だ。また、コロンブスは長年、新大陸を発見した英雄として讃えられてきたものの、昨今では「奴隷商人」という一面もあったことが指摘され、評価への見解が分かれている。
こうした背景から、MVの差別的表現や、そもそもコロンブスをテーマに取り上げたことが問題視された。クリエイター自身に差別の意図はなかったとはいえ「公開前に誰も止めなかったのか」といった事前の確認不足や、「特に大きな問題ではない」という受け手も多かったことから「ポリコレ教育の不十分さ」を指摘する声が、SNS上で相次いでいた。
ポリコレがエンタメを縛るとき

もちろん、誰かをバカにしたり傷つけたりする差別的な笑いは、到底許されるものではない。社会が成熟するにつれ、「これは不適切ではないか」という指摘が増え、表現する側にも責任が求められるようになるのは自然なことである。
しかし同時に、この風潮がクリエイターの「表現の自由」を奪っていることも事実だ。SNSでの過剰な責任追及や誹謗中傷などが大きな社会問題となっているが、「言いたいことを抑え込む」「描きたいものが描けない」「何か言われるかもしれない」と悩み、「誰からも指摘がないようなものを作らなければ」と思いながらつくった作品は、果たして本当に「自由な発想の創作物」であるといえるだろうか。
特に、現代の世界では「多様性」が当たり前の社会を目指しており、各所であらゆる配慮がなされている。人種、性別、身体的特徴など比較的見た目で分かりやすいものから、宗教、性的志向、障がいの有無、持病など見た目には分からないものまで、人にはさまざまなアイデンティティがある。
こうした世の中では、誰もがマイノリティ側に立つ可能性があるからこそ、自身がマイノリティ側として声を上げるときに「自分たちの権利を主張するがあまり、誰かの権利を奪っていないだろうか」ということを考える必要がある。強すぎる言葉によって必要以上の配慮を求めることで、エンタメの未来が潰れてしまう可能性もあることを、誰もが念頭に置いていかなければならない。
ポリコレとエンタメを共存させるために
ポリコレを重視する人々は「表現の自由を大義に、誰かを傷つけるな」という主張をしているが、それは全くの正論である。悪いのはポリコレではなく、ポリコレを「正義」として過剰に振りかざし、創作者を委縮させる刃のように使用する過激な行為だ。
一方でエンタメは、現実の枠組みを超えた新たな視点や価値観を提供するものだ。だからこそ、エンタメは時として大きく社会を動かす力を持っている。
エンタメの「自由」とポリコレの「配慮」という2つの大切な価値観を両立させるためには、受け手側のリテラシーを高めるだけではなく、作り手側の誠実さも同時に向上させていかなければならない。
先述のようにエンタメの「感情」へのアプローチと、ポリコレの「倫理」へのアプローチは、相反する要素をたくさん抱えている。しかし、こうした状況で生まれる摩擦によって、また新たな表現方法や価値観を生み出すこともある。どちらかが一方的に主張したり抑制したりするのではなく、どうすればいいのかをお互いに考えることが大切なのだ。すぐに融合することは難しいかもしれないが、試行錯誤を続けながら表現の可能性を広げていくために、社会そのものを見つめ、向き合っていくことが重要になるだろう。
参考サイト
ディズニー『白雪姫』実写版が大コケか ポリコレ配慮で古典を今の時代に合わせる無理筋 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン
Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」ミュージックビデオについて -Mrs. GREEN APPLE OFFICIAL SITE|OFFICIAL FAN CLUB 「Ringo Jam」
資料館ノート141号|江東区深川江戸資料館
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