歩調を合わせて生きる。遊牧民の生活哲学から考える、人と自然の距離

現代社会は「定住」という生活様式を前提とし、所有することに豊かさや安定を求めてきた。しかし、広大な大地を移動し続ける遊牧民にとって、移動とは不安定への転落ではなく、自然との調和を保つための「能動的な選択」だ。遊牧民の歩みから、私たちが忘れつつある自然との距離感と、真の安定を築くためのヒントを探ってみたい。

「動きながら定住する」暮らし。遊牧民にとっての移動とは何か

私たちは通常、「家」を不動のものと考え、特定の場所に根を下ろすことを「生活の安定」と呼ぶ。対して、移動は一時的なストレスやリスクを伴う、不安定な状態として忌避される傾向にある。しかし、遊牧民の価値観において、この図式は根底から覆される。

遊牧民にとって、特定の場所に留まり続けることは、生存を脅かす最大のリスクである。一箇所で家畜が草を食べ尽くせば、大地の表土は剥き出しになり、風雨によって流出してしまう。これは単なる食糧不足に留まらず、大地の再生能力を奪い、将来の生活基盤を自ら破壊することを意味する。彼らが定期的かつ計画的に移動することで、大地は呼吸し、再び草を育むための「沈黙の再生時間」を確保できるのだ。

ここにあるのは、「動きながら定住する」という逆説的な哲学だ。彼らにとっての「家」や「定住」とは、緯度や経度といった物理的な固定点に依存するものではない。

  • 家畜という他者との共生関係が健やかに維持されていること
  • 家族や氏族との互助ネットワークが機能していること
  • 季節という巨大な時間軸に、自らの生活のリズムを同期させていること

こういった関係性の持続こそが、彼らにとっての真の定住である。物理的な場所が入れ替わっても、自然との呼応関係が損なわれていない限り、彼らは世界のどこにいても常に「我が家」にいる。遊牧民にとっての移動とは、変化する世界の中で自分たちの居場所を維持し続けるための技術だ。


熊本県「千年の草原」

自然のリズムに導かれる移動。遊牧民の実践から見る世界との関わり方

遊牧民の移動を決定するのは、人間の都合ではなく、常に自然の側にある。彼らはカレンダーを見て移動日を決めるのではない。彼らが読むのは、風の匂いに混じる湿り気、草の伸び具合の微妙な濃淡、家畜の毛並みの艶、あるいは夜空の星が放つ冷たさだ。

彼らは自然を資源としてコントロールの対象にするのではなく、「予測不能なパートナー」として接している。たとえば、モンゴルの冬に訪れる厳しい寒波(ゾド)に対し、彼らはそれを克服したり、拒絶したりはしない。いかに家畜を導いて被害を最小限に抑え、自然の猛威が去るのを待つかという、しなやかなレジリエンスを戦略とする。

彼らの世界観において、人間は自然を管理する主体ではない。むしろ、広大な生態系という大きなネットワークに編み込まれた、ひとつの結節点に過ぎないという謙虚な感覚がある。

排泄物やゴミが、次の季節には土に還り、再び草を育てることを前提とした生活設計。そして、大地は誰のものでもなく、神や精霊、あるいは次世代から一時的に「お借りしている」という非所有の精神。

遊牧民は、自然の側が発する微細なサインに自らの心身をチューニングし、歩調を合わせる術を身につけてきた。彼らにとって、自然は遠くにある鑑賞対象ではなく、自らの肉体の延長線上にある現実にほかならない。


縄文人から学ぶ豊かさ。1万年つづいた平和な時代に日本人はどう生きたのか

定住中心の価値観を問い直す。遊牧民の暮らしが教えること

現代社会において、私たちはしばしば「所有すること」や「境界を引くこと」を、文明の進歩や安定の指標として捉えてきた。資産を蓄え、強固な壁を築くことで、不確実性から逃れようとする。しかし、その執着は皮肉にも、環境の枯渇や社会の分断、そして場所や物質に縛られることによる精神的な閉塞感を生み出してはいないだろうか。

遊牧民の暮らしは、こうした定住中心の価値観を根本から揺さぶる。彼らが教えてくれるのは、「真の安定とは、変化に適応し続ける能力そのもの」であるという真理だ。

遊牧の世界において、土地は私有されるべき「資産」ではなく、誰もが恩恵を分かち合う「コモンズ(共有地)」である。 「どこを占有するか」という独占の論理よりも、「どのルートを通って移動し、誰と助け合うか」という互助のネットワークこそが、何よりの安全保障となる。

また、移動を前提とする暮らしでは、過剰な荷物は重荷でしかない。彼らが選ぶ、必要最小限で機能的な道具たちは、過剰な消費に埋没する私たちのライフスタイルに対し、「真に必要なものは何か」という問いを鋭く突き付ける。

遊牧民が教える「自然との適切な距離」とは、自然を神聖化して遠ざけることでも、管理対象として支配することでもない。自然の変化という大きな流れの中に自らを置き、そのリズムに耳を澄ませ、自らの足取りを調整しながら共に歩むことだ。

私たちが物理的な定住を続けながらも、内なる「所有の壁」を取り払い、精神に遊牧的な軽やかさと柔軟性を招き入れたとき、世界との関係性はより風通しの良い、豊かなものへと変わっていくのかもしれない。

Edited by k.fukuda

参考サイト

気象災害「ゾド」と向き合うモンゴル遊牧民の暮らしから、これからの防災・減災を学ぶ  |早稲田大学
近代化に脅かされる「共生」 : モンゴル語における諸概念の考察から|大阪大学学術情報庫OUKA
SDGsのお手本、遊牧民の生活様式に学ぶ人類の未来 | 明治大学 × SDGs
モンゴル・遊牧による草地の持続可能な利用・管理|環境省

About the Writer
小島奈波

夢野 なな

ライター、イラストレーター。芸術大学美術学科卒業。消費が多く騒々しい家族に翻弄されながらも、動植物と共存する生き方と精神的な豊かさを模索中。猫と海、本が好き。神奈川県の海に近い自然豊かな田舎で暮らす。創作に浸る時間が幸せ。
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