縄文人から学ぶ豊かさ。1万年つづいた平和な時代に日本人はどう生きたのか

成熟した現代社会のモヤモヤ。

けたたましいアラームの機械音で目が覚め、眠気と疲れが残る体を無理やり起こす。まだぼんやりする頭でメッセージ通知を確認し、SNSを一通りチェック。流れるニュースは不安を煽るものばかりで、朝からどんよりした気持ちのまま満員電車や渋滞の道路でまた溜息をつく。仕事は数字や効率を重視し、周囲の人々との関係を保つため張り付けた笑顔で1日をなんとか乗り切る。ぐったりとした体をまた奮い立たせてなんとか家に帰り、自分のプライベートを楽しむこともないまま、今日もあっという間に終わってしまった。自分の人生は、これでいいのだろうか──

昨今のメディアではよく、現代人の生活がこのように描かれている。これは単にコマーシャルのために誇張された現代社会の姿なのかというと、一概にそうとも言えない現実がある。そもそも、こうした様子がメディアで描かれるということは、実際に共感する人が多いことの表れでもあるのだろう。

技術や医療、インターネットの発展によって、現代は有史以来かつてないほど裕福で、豊かな生活を送ることができている。一見成熟したかのように見えた文明は、本格的なAIの進化でさらなる大変革が起きようとしている。生活はますます便利になり、頭や体を酷使する仕事はロボットに任せられるようになる。まさに理想郷ともいえる時代が、もうそこまでやって来ているのだ。そうであるはずなのに、なぜ現代人はこれほど生きることに疲れ、苦しみ、疑問を抱き続けているのだろうか。そうしたモヤモヤの正体を探り解決に近づくためには、縄文という時代を知ることが、その第一歩となるかもしれない。

1万年つづいた平和の時代、縄文の謎

日本の歴史が文献で残される以前の先史時代。およそ1万2000年~1万3000年前から2500~3000年ほど前まで、1万年以上の長きにわたって続いたのが縄文時代である。この時代について、歴史の教科書ではさらっと触れられる程度だが、改めて年数を見てみるとその長さに驚かされる。何せ、弥生時代から現在までの期間を4回くり返しても縄文時代の全期間に満たないのだ。

縄文時代と聞くと、ほとんどの人が「竪穴住居」「貝塚」「土偶」「土器」を思い浮かべるのではないだろうか。骨付きの大きな肉にかぶりつく、野蛮な原始人というイメージを持つ人もいるかもしれない。そのイメージは、おそらく旧石器時代のころの人類だ。縄文時代は、旧石器時代にはなかった土器を発明したことで幕を開けた。

土器の出現は、食物の調理方法や保存方法の広がりを意味すると同時に、定住がはじまったことも意味する。なぜなら土器づくりは、粘土の選定から焼き上げまで長期間の仕事になるからだ。また、そんなに重いものを持って移動することは面倒くさい。ということで、土器=定住を意味するということだ。

他の地域では定住といえば農耕がセットになっているが、日本で農耕が始まったのは、縄文時代の次の弥生時代だ。この「定住しながら農耕を行っていない」というのが、世界では稀な出来事だという。

縄文時代が始まった頃、地球では氷期が終わり、温暖湿潤気候となった日本では森林が広がり、木の実や植物もよく育っていたようだ。イノシシやシカなど小型な動物も登場し、漁ろうも活発になった。こうした恵まれた自然環境によって、農耕を行う必要なく狩猟採集活動で生活できたと考えられる。貝塚からは75種以上の植物や動物の骨が発掘された例もあり、いかに日本が食物に恵まれていたかが分かるだろう。

さて、定住するということは、その土地に何代にもわたって住むことになり、自然とムラなどの集落ができていく。そしてお互いのムラを行き来しながら交易が始まり、コミュニケーションが生まれていったようだ。長野の黒曜石や新潟のヒスイのように、産地が限定される石が全国で見つかるなど、交易の証はいくつも発見されている。丸木舟も各地で発掘されていることから、海を渡っての交易も行っていたことを物語っている。

これらの石を使って、ブレスレットやネックレス、指輪、ピアスなど大量のアクセサリーを製作していたことが、出土品から判明している。

このように、縄文時代の人々は、私たちの想像以上にグルメでお洒落で、豊かなネットワークを築き、自然との共生の中で豊かに人生を楽しんでいたのだ。

ムラができ、人々の間でコミュニケーションを深めていく中で、各集落ごとに帰属意識が生まれていったことだろう。縄文時代には、儀礼や祭祀も盛んだったと考えられている。自然の有難みや恐ろしさを現代よりも強く感じていたことから、自然信仰や死生観など縄文スピリッツともいうべき精神世界が育っていったようだ。

そうした縄文時代の精神世界は、社会に疲れた現代人に「豊かに生きること」のヒントを与えてくれるだろう。

1万6000年以上も前の人類が考えていたとは思えないほど、現代にも通ずる達観した精神性が注目され、数年前からサステナビリティに関心を抱く人々の間で密かに「縄文ブーム」なるものが巻き起こっている。

そうした縄文時代を語る上で、一番と言っていいほど重要なことが「1万年以上平和な時代が続いた」といわれていることである。この数字は、大きな戦乱がなく「天下泰平」といわれた江戸時代の約250年すら足元にも及ばない。世界でも類を見ず、奇跡とさえいわれている。

一体なぜ、縄文時代はこれほどの長きにわたり、平和な社会を築けたのであろうか。その理由はどうやら、縄文人の精神文化にあるようだ。

  1. 所有より共有
    縄文人は、その日に必要なものだけを採集する生活でありながら、何世代にもわたって定住していたと考えられている。しかしながら、彼らには「蓄える」という概念がなかったようだ。農耕をせず自然に委ねているということは、もちろんその日の天候や環境によって食糧が手に入らない日もあっただろう。一体どのようにして暮らしていたのだろうか。

    縄文人たちは個よりも共同体を大切にし、「共有(コモンズ)」の文化が広がっていたと考えられている。ムラの中心には墓地が作られ、それを囲うように住居が建てられていることから、集落のつながりを大切にしていたことがうかがえる。また、交易によって贈与経済が発達したとされている。こうした良好な人間関係を築くこと、すなわち「和」の精神がベースにあったからこそ、「奪い合う」という争いが生まれなかったのだろうと推測されている。
  1. 目に見えないものへの敬意
    SNSでのいいね!やフォロワーの数、企業の売上金額、学校のテストの点数……私たちは、とにかく目に見える数字を常に意識している。いや、振り回されているといっても過言ではない。科学が発展してからは、むしろ目に見えるものだけを信じる風潮にある。

    縄文時代は、それとは真逆だ。自然の声に耳をすませ、これから何が起こるか予測していた。人や動物の様子から、内面の気持ちを推し量っていた(縄文人はテレパシーを使えたのではないか、なんてトンデモ論も飛び出すほどだ)。人智を超える現象に存在を見出して「カミ」と呼び、森羅万象に霊魂が宿るとする自然信仰(現代ではアニミズム信仰ともいわれる)を行っていた。目に見えないものに対する意識と敬意が、当たり前のように慣習として根付いていたのである。
  1. 自然との共存
    そして何といっても、現代人がもっとも忘れてしまったことといえば、自然に畏怖の念を抱いて共存することである。これは言うまでもなく、気候変動をはじめとした環境問題に発展してしまったことで、誰もが嫌でも痛感することとなった。災害が巨大化し、各地で異常気象が頻発し、私たちの生活を脅かすようになったことは、まるで地球が怒っているように感じられる。地球からの警告のように聞こえる。人類は、自然と共存することを忘れてはならなかったのだ。

    いま、地球は信じられないスピードで崩壊の危機へと進んでいる。しかもその原因の大半は、産業革命後のたった200年にも満たない期間の人間の営みによるものだ。縄文人はその50倍という期間を平和に穏やかに過ごしてきたことになる。紀元後から現代までの2000年強を5回も繰り返すほどの途方もない期間を。

    その年月の中で氷期から間氷期に移り、徐々に温暖化していったため、およそ6000年前は今より気温も海水面も高かったようだ。それでも、二酸化炭素濃度は現在の約400ppmより遥かに低い約265ppmと推察されている(*1)。これは、いかに現代の温暖化が人為的かを物語っている。と同時に、本来は自然の営みに人間の生活を合わせていく必要がある点についても考えさせられる。

これらの考え方は、昨今サステナビリティを実現するために重要なこととして、繰り返し叫ばれているものとほぼ同じだ。人によっては聞き飽きたかもしれない。「そんなことは当たり前だ」と思うかもしれない。しかし忘れてはならないのが、これが1万6000年以上前の日本で日常的に実践されていたという点だ。少し前まで「野蛮な原始人」と思われていた古代の人々が、実はこれほど成熟した精神文化を築いていたことがもっとも驚くべきことである。

そして、やはりこの精神を心がけることが、穏やかで平和な地球をつくるために必要なものだという何よりの証拠になるだろう。

(*1)IPCC報告の論点57:縄文時代はロシア沿海州も温暖だった | キヤノングローバル戦略研究所

現代社会を否定せず、次の時代へ進むために

だからといって現代社会を真っ向から否定することにも、また疑問は生まれる。現代がこれほど豊かになったのは、戦後の焼け野原から立ち上がり、日本という国の再生を諦めることなく懸命に働いてくれた、先人たちの血の滲むような努力の証だからだ。

そうした日本人の精神は、現代においても災害の復興から立ち上がろうとする姿などに映し出されている。日本だけではなく、世界の国の至るところで大戦で傷ついた自国を守り、発展させるために尽力してきた人々がいる。「現代社会は最悪だ」「大失敗だった」というのは、そうした過去を否定することにつながりかねない。

私たちがしなければならないのは、一方的に現代社会を否定するのではなく「戦後の復興」という光に隠れた影の部分に目を向け、そこにも少しずつ光を当てていくことだ。なぜ戦争は繰り返されるのか。なぜ国が豊かになったのに国民はどんどん苦しくなるのか。なぜ文明が発展するほど人間は心を病んでいくのか。そうした影をなくすには、まず影の存在をしっかりと把握した上で、あらゆる方向からの光が必要になる。縄文精神は、その「光」の一筋になり得るかもしれない。

日常で一瞬だけ、縄文人を宿してみよう

常にモノや情報、あらゆる娯楽に囲まれ、心も脳も体も一瞬たりとも休むことのない現代人に必要なのは、案外単純なものだ。

花を見る。空を見る。山を見る。海を見る。動物と触れ合う。繊細な味を感じる。気持ちの良い服を着る。季節の匂いを吸い込む。自然の音を聴く。目を閉じて深呼吸する。頭の中で、だだっ広い野原で駆け抜けてみる。愛する人に気持ちを伝える。苦手な人からそっと離れてみる。

その一瞬で、心は驚くほど穏やかになる。心が穏やかになれば、体も緩む。美しいものを「美しい」と感じることができる。憎しみでも悲しみでもなく、「ありがとう」という気持ちが生まれてくる。具体的にはデジタルデトックスデジタルウェルビーイングを実践することが有効だ。

平和な時代が1万年も続いたことは、夢物語でも理想郷でもなく、現実世界で私たちの祖先が成し遂げたことだ。私たちにはきっと、そのDNAが受け継がれているはずである。

実際、国土交通省が発行する「国土交通白書」の中の「国民意識調査」(*2)において、日本人が古来持つ「美意識」についての記述がある。日本人の特徴ともいわれる「義理がたさ」「伝統・文化」「和」「自然」の4つは高度成長期以前には上位にあったものの、以降は「物の豊かさ」を重視する時代に変化。しかしながら、平成に入るとまたこの4つが上位を占めている。つまり、日本古来の美意識を守り続けていこうという人は、現代でも案外たくさんいるのだ。

人間中心で、いかに他人よりも優れているか、いかに多く所有できるか、目に見える数字を重視するか、といった現代社会の象徴ともいえる価値観は、いま大きく揺らぎ始めている。時代の転換期にあって、無数の選択肢の中から我々人類はどの道を選ぶべきか──もし縄文の人々がここに現れたら、果たしてどんなアドバイスをくれるのだろう。一度、心に縄文人を宿してみてほしい。そのときあなたは、どんなことを考えるだろうか。

(*2)国土交通白書 2019 第1節 我が国の変化 第3節 日本人の感性(美意識)の変化|国土交通省

参考サイト
縄文時代|全国こども考古学教室
-今、なぜ、「縄文」か- |茅野市ホームページ
縄文土偶の“まつり”|北代縄文
縄文時代の丸木舟|鳥取県・とりネット
縄文時代の扉を開く | 特別史跡「三内丸山遺跡」

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秋吉 紗花
大学では日本文学を専攻し、常々「人が善く生きるとは何か」について考えている。哲学、歴史を学ぶことが好き。食べることも大好きで、一次産業や食品ロス問題にも関心を持つ。さまざまな事例から、現代を生きるヒントを見出せるような記事を執筆していきたいです。