開発で失う価値を取り戻す。「生物多様性オフセット」の仕組み

開発事業は、私たちの暮らしと経済を支える一方、自然や生態系を破壊してしまっている。このジレンマにどう向き合うべきか。その答えとして、開発による損失を別の場所の保全活動で埋め合わせる「生物多様性オフセット」という仕組みがあるのをご存じだろうか。本記事では、開発と自然保護をつなぐこの仕組みの可能性や課題を解説する。

避けられない開発と、失われる「自然資本」

私たちが生きていくには、快適な環境が必要だ。工場建設やインフラ整備などは、これらを満たすうえで欠かせない事業である。ただ、事業でおこなわれる開発には、その土地の自然や生態系の破壊を伴ってしまうものだ。

この破壊の影響は、単なる森林や生物種の減少にとどまらない。森林による二酸化炭素吸収や水質浄化といった調整機能、すなわち「生態系サービス」を失うことにもつながるのだ。二酸化炭素吸収機能が損なわれれば気候変動のリスクが高まり、水質浄化機能が損なわれれば浄水コストが跳ね上がる。

そう考えると、自然環境の破壊は企業自身にとってのリスクとなるのではないだろうか。そのリスクマネジメントの仕組みとして知っておきたいのが、今回のメインテーマである「生物多様性オフセット」だ。


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生物多様性オフセットの仕組み

生物多様性オフセットとは、開発事業による影響が生じた際、「他所での保全活動で埋め合わせすることで、生物多様性の損失を実質的にゼロに近づける」という考え方である。

例えば、住友商事株式会社が参画したマダガスカルの鉱山開発では、開発地域に類似した生態系を持つ地域で森林約4,900haの保全、パイプライン埋設後の再植林などが実施されている。また、トヨタ自動車は愛知県の山間部に研究開発施設を建てるにあたって、敷地面積のおよそ6割で森林保全をおこない、新たな緑地造成も実施した。

生物多様性には、「回避(Avoid)」「最小化(Minimize)」「再生(Restore)」「オフセット(Offset)」の4段階からなる、「緩和階層(Mitigation Hierarchy)」という基本原則が求められている。

第一段階の「回避」では、そもそも自然破壊を避けられないかを検討する。開発の時期や地点そのものを変えるといった、プロジェクトの初期段階における行動だ。第二段階の「最小化」では、自然への影響を最小限に抑えるよう計画を工夫する。鳥の感電リスクを減らす送電線を設計する、道路に野生動物横断帯を設置するなどがこれにあたる。第三段階の「再生」では、回避・最小化できなかった影響にさらされた生態系を改善する。植樹はその好例だ。

この3つの段階を検討・実施した後、“最終手段”として登場するのが「オフセット」である。回避・最小化・再生を試みても残ってしまった負の影響を、オフセットの段階で補填する。このように、生物多様性オフセットは、開発を許容する前に徹底的な努力を求める緩和階層の実行が前提となっている。


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開発と保全をつなぐ「資金循環」モデル

一見すると、生物多様性オフセットは開発事業者にとって負担に見えるかもしれない。だが実は、明確なメリットがあるのだ。

1つは、社会的信頼を獲得しやすくなることである。生物多様性への影響を客観的かつ定量的に評価し、負の影響をなくす目標・行動を社会に示すことで、人々は企業にクリーンなイメージを持つだろう。

もう1つは、開発プロジェクトの事業許可を得やすくなることだ。融資の要件として、企業は開発による生物多様性の損失を実質ゼロにする「ノー・ネット・ロス」の達成を求められることもある。オフセットはそのための明確な手段となるため、プロジェクトを進める後押しになってくれるはずだ。

企業だけでなく、保全活動の担い手側にもメリットはある。それは、長期的に安定資金を得られることだ。オフセットが事業費として計上され、そのお金が生態系の再生・維持管理のために使われることで、保全活動の経済的基盤が出来上がる。

その手法のひとつが、土地を保護する代わりにその価値をクレジットとして販売できる「代償バンク」の仕組みである。これはオフセットがなければ発生しなかった追加的な保全成果を保証しつつ、土地取得や専門家雇用といった継続的な保全計画を可能にしてくれるだろう。

このように企業と保全団体の「持ちつ持たれつ」の関係ができることで、経済発展と環境保全を両立するサステナブルな資金循環モデルの実現が期待できる。この循環こそが、私たちが直面する開発と保全のジレンマに対する実効的な打開策となるのではないだろうか。


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オフセットの課題。「換算の難しさ」と「抜け駆け」 

一方で、生物多様性オフセットには、いくつかの課題も存在している。

生物多様性の定量化・換算の難しさ

二酸化炭素排出量のような単一指標とは異なり、生態系の機能や価値、量のすべてを客観的・定量的に表現することは極めて難しい。すなわち、開発によって「失われた自然」と、オフセットによって「回復された自然」が本当に同等であるのか、あるいは損失を実質ゼロ(ノー・ネット・ロス)にできたのかを科学的に証明するのも困難、ということになる。

オフセット活動の持続性と確実性

生態系の再生には長期的な時間を要するため、開発による損失とオフセットによる回復の間には、タイムラグが存在する。これらのリスクに対処するためには、開発地の約2~数百倍もの面積を保全することが必要とされているが、現実的には難しいだろう。加えて、オフセットを実施する土地の長期的な維持管理について、担い手の確保やコスト、モニタリングの期間や体制をどう確立していくか、という問題もある。

オフセットにおける“抜け駆け”のリスク

これは、倫理的な側面を持つ問題である。前述の通り、生物多様性オフセットは、開発による影響をまず回避・最小化し、現場で機能回復を試みる「緩和階層」を厳格に順守したうえで、なお残る影響に対してのみ適用される最終手段である。だが、もし事業者がオフセットを前提に安易に開発を進めるならば、それは“環境破壊の免罪符”となってしまうのだ。

地域社会との連携不足

オフセット対象地が地元から遠く離れている、地域住民が計画に十分参加できない、といったことがあれば、地域住民の自然や生態系への関心が薄まりかねない。真に地域の自然や生態系を回復させるには、地元の住民やNPO、行政と連携し、地域固有の事情や生態系ネットワークに貢献する形で、人材育成も含めた計画を策定することが求められるだろう。


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持続可能な未来のために。生物多様性オフセットの進化

生物多様性オフセットは、いまや環境保全の主要なツールになりつつある。さらに2024年には、環境保全と経済活動を両立する「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」を日本政府が発表しており、生物多様性オフセットはより厳密かつ公正な仕組みへ進化していると言ってよいだろう。この潮流を理解したうえで、私たちも保全活動の担い手となる意識が必要なのではないだろうか。 

Edited by s.akiyoshi

参考サイト

Mitigation Hierarchy | The Biodiversity Consultancy
生物多様性オフセットに関するBBOPスタンダード日本語版 | 東北大学生態適応GCOE
The Mitigation Hierarchy |  Forest Trends
森林総合研究所研究報告 Vol.16 No.2 | 国立研究開発法人 森林整備・開発機構 森林総合研究所
日本の環境影響評価における生物多様性オフセットの 実施に向けて (案) | 環境省 
望ましい「生物多様性オフセット」のあり方とは? | アミタ株式会社
企業の生物多様性への取組事例集 | 経団連自然保護協議会 
生物多様性 | 住友商事
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About the Writer
早瀬川シュウ

早瀬川 シュウ

フリーライターとして活動中。「日々の生活に『喜び』を」がモットー。特に、「快適さ」や「居心地のよさ」へのこだわりが強い。子どもの頃から海や森林公園を訪れていることもあって、自然環境や景観への興味関心も持っている。せせらぎの音や木漏れ日、お茶をじっくり味わう時間を好んでいる。
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