#18 伝統的な食文化を気候変動から守り抜くことはできるのか

冬の三浦半島は大根、キャベツ、そして七草

三浦半島ではみかん狩りが終わると、休む間もなく七草の仕事が始まる。大根、キャベツとともに冬の市場を席巻する三浦産「春の七草」だ。

1月7日、日本には一年の無病息災を願うのと同時に、正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休めるために早春の野草七種とともに炊いた粥をいただくという習わしがある。その七草が三浦半島で栽培され、首都圏のスーパーなどに出荷されているのだ。

七草粥という伝統的食文化

七草粥の起源は奈良時代に中国から伝わった「七種菜羹(しちしゅさいこう)」。その年の運勢を占う旧暦の1月7日「人日(じんじつ)」に七種類の野菜を入れた羹(あつもの)、すなわち汁物を食べて無病を祈る風習にある。それが日本の食文化と融合し、七草粥となったそうだ。

現代まで受け継がれている七草粥の原型は平安時代に生まれ、宮中の行事となった。江戸時代に五節句のひとつとして「人日(じんじつ)の節句」が制定されたことで1月7日に七草粥を食べる庶民の風習として定着し、日本の伝統的な食文化のひとつになった。

地域によって草の種類に違いはあると聞くが、わたしが暮らす関東で「春の七草」といえば次の七種だ。

①芹(せり)
セリ科の多年草。寒気に強く、日本全国の湿地や湿原などの水辺に自生。野菜として栽培もされている。解熱、食欲増進、リウマチ、貧血症などに効果があるとされている。

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②薺(なずな)
アブラナ科の二年草。三味線のバチに似ていることから三味線草、ペンペン草とも呼ばれている。空き地や川の土手、道端などに自生。胃腸を整えるなどの効果があるとされている。

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③御形(ごぎょう)
キク科の二年草。ハハコグサとも呼ばれている。田んぼの畦道などに自生し、二年目の早春に黄色い花をつける。かつては煎じて咳止めや痰切りの薬として飲まれていた。

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④繁縷(はこべら)
ナデシコ科の二年草でハコベとも言う。全国に分布し、茎はつる状に地を這って広がる。江戸時代にはすり潰して塩を加えたものを歯に塗ると虫歯の痛みに効くと流行した。

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⑤仏の座(ほとけのざ)
キク科の二年草。タビラコとも言う。円座をなして地面にへばりつくように、草むらや田んぼの畦道に自生。煎じて飲むと皮膚炎に効くと言われている。1月7日には買ってでも食べるのに菜園では雑草として駆除してしまうのはどうしてなんだろう。

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⑥菘(すずな)
アブラナ科の一年草、いわゆるカブのこと。根の白い部分が鈴のように見えることからかつてはこう呼ばれていた。利尿、便秘などに効果があるとされている。

⑦蘿蔔(すずしろ)
アブラナ科の一年草、いわゆる大根のこと。七草粥では大きく成長したものではなく、成長前に抜いたものが使われることが多い。風邪の諸症状や、胃もたれ、胸焼けに最適とされる。

これら早春に芽吹く野草の生命力を粥にしていただく。温室も冷凍庫もなく、遠方からの輸送手段も乏しかった近代化以前の社会では、七草が冬の貴重な栄養源にもなっていたのだろう。そもそも医薬品化学が発達する以前は今でこそ雑草として引っこ抜かれる草も、薬草として重宝されていたのだ。

身近な自然で七種類の野草を摘むという行為の根底にも「七つ揃うと願いが叶う」という日本古来の神社信仰があるのだろう。わたしが子どもの頃には母が粥を炊くための七草を近所の道端や畑の畦道で摘んでいた。昭和40年代から50年代。神奈川県の新興住宅地での話だ。当時は首都圏にも七草粥が作れるくらいの生物多様性が残っていたということでもある。

三浦七草会の歴史

そんな「春の七草」がパック商品としてスーパーで販売され始めたのは昭和50年代後半だという。首都圏では市場からの要請によって横浜の農家が出荷し始めている。

2010年の年末、当時手掛けていたラジオ番組で取材した原田ファーム(神奈川県横須賀市)の原田靖久さんによると、冬の温暖な気候が春の七草の適地だった三浦半島でも1982年(昭和57年)に発足した「七草研究会」で本格的な生産が始まっている。

1989年(平成元年)には横須賀・三浦の5軒の農家でつくる「三浦七草会」が結成され、春の七草の共同出荷が始まった。夏場には同じ農家が「三浦はねっ娘会」として枝豆の共同出荷も行っている。当初は5万パックだったものが15年前の取材時は110万パックにまで増えていた。

栽培は9月中旬に始まる。「七つの草を正月明けに一斉出荷できるよう、蒔き時を調整することもだけど、大変なのは収量が安定しないのと病気ですね」と当時、原田さんは語っていた。種苗会社が大量栽培できるように品種改良した種と違い、自家採種した野草は収量も不安定で病害虫にも弱いのだと。

試行錯誤で安定供給を目指した結果、供給量とともに出荷地も首都圏から東北・北海道にまで拡大。都市生活者の多くが身近な自然で七草を摘むことができなくなっても、七草粥という伝統的な食文化が途絶えることなく受け継がれてきたのは、開発により自生の場が減少した野草の命を栽培によって繋いできた生産者たちの功績だと言えるだろう。

2025年、三浦七草会の現在地

あれから15年。久しぶりに原田さんに連絡をした。近年の気候変動が七草の栽培にどのような影響を及ぼしているのかが知りたかった。

「もう75歳を越えて、難しい取材は無理かな」

靖久さんは苦笑いしながら息子の桂資(けいすけ)さんに繋いでくれた。

年の瀬の原田ファームでは朝から60名以上のアルバイトの方が作業に追われていた。と言ってもまだ収穫が始まったばかりなんだそう。本格的な収穫が始まるとさらに人手が増えるそうだ。

最盛期は5軒合わせて150万パックにも及んだ三浦七草会の出荷作業は高校生や大学生を始めとする地元のアルバイトによって支えられている。ピークを迎える12月27日から1月5日までは多い農家で一日300名を日給1万1500円(2025年度水準)で雇用する地域の一大産業なのだ。

猫の手も借りたいほどの忙しさの中、少しだけ時間を貰って桂資さんに近年の様子を伺った。

「最盛期の5軒から3軒になったので出荷量は減っていますね」

担い手の高齢化と後継者不足は都市生活者への七草の供給にも影響を及ぼしているのだ。続いて野草栽培の難しさについても改めて話を訊いた。

「やっぱり品種改良された種と違って発芽率が不安定なのが悩みどころですね。ほうれん草なんかと違って年に一回しか育てられないのでノウハウも蓄積されないですし」

そして、もっとも気になっていた気候変動の影響についても。

「暑過ぎて種蒔きが遅れたり、水やりの回数が増えたり。去年は暖冬だったので出荷のタイミングより前にだいぶ大きくなってしまったんですけど、今年は11月中旬から12月の頭が平年より寒かったので逆に思ったような大きさに育っていないんです」

かと思えば取材の数日後には12月としては記録的な高温が続いた。この二日間が遅れていた生育を取り戻す機会になっていればと願った。

収穫できたタイミングで出荷すればいい他の野菜と違って、七草は必要とされるタイミングが1月7日と決まっている。それが自生している野草を摘んで出荷するのではなく、自分たちで栽培するようになったきっかけであり、最大の難しさなのだと桂資さんは教えてくれた。人日の節句は暦通りにやってくるが、気候は暦通りにはなってくれない。近年、温暖化の影響は顕著で七草だけでなく、花き農家ではカーネーションが母の日より前に満開を迎えてしまうなどの事態になっていると訊く。

生産者がコントロールできない自然を相手に栽培に取り組んでいるのに、市場では早まるのも遅れるのも許されない。気候に揺らぎがあってもカーネーションが必要とされるのは5月の第二日曜だし、七草が必要とされるのは1月7日。早く咲いたと言ってもゴールデンウイークにカーネーションを母親に贈る人は少ないだろうし、年末に七草が安く大量に出回ってもクリスマスに七草粥を食べる人は少ないだろう。

温暖化の影響で今後ますます栽培が難しくなっていくであろう七草の”これまで”と”これから”について、桂資さんの思いを伺った。

「自分も子どもの頃は自生している野草を摘んだ七草粥を食べていましたけど、七種類摘むのって大変だと思うんです。もしも今みたいにスーパーで七草パックが買えるようになっていなかったら七草粥を食べる人は今よりずっと減っていたと思う」

今よりずっと——そう、七草粥という風習の認知度は高いものの、実際に食べている人は2割〜3割という調査結果もある(※1)。また、七草をすべて言えない人も少なくないという。

「若い人にも七草粥を食べるという食文化が定着していくことで栽培が続けられることが望ましいですけどね…」

桂資さんが淋しそうに言った。

気候変動は伝統的な食文化を破壊する

1月7日に伝統的な食文化である七草粥を食べる人が2割〜3割に減った原因はひとつではない。多くの人が七草を摘むことのできる自然から離れ、都市で暮らすようになったこと。そもそも七草が自生できるような環境が開発によって失われてしまったこと。それを、栽培することで維持してきたのが原田さん親子のような生産者だったのだが、今度はそこに気候変動が大きな影響を及ぼし始めた。

日本の伝統的な食文化『和食』は、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されている。七草粥がそうであるように、それは四季折々の自然の恵みが基盤となっている。その四季を気候変動が狂わせ、伝統的な食文化を破壊していく。静かに、でも確実に。

江戸時代と違って、健康を維持するためだけならサプリメントを始め、七草粥の代替となるものはいくつもあるだろう。でも、果たしてそれでいいのだろうか。

七草を始め、伝統的な食文化が地域経済の要にもなっている場合もある。それを守っていくには、早期に化石燃料への依存から脱却し、温暖化を抑制する以外に方法がない。声高に国粋主義を訴えているだけでは伝統文化を守ることなんてできないのだ。

2040年の1月7日、娘は日本のどこかで誰かと七草粥を食べられているだろうか。七草の名前はぜんぶ言えるだろうか。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ——福を呼ぶ七草は今と同じだろうか。その未来を守ることが、わたしたちが気候変動を抑制できた証のひとつになるのかもしれないと思った。旅するように暮らすこの町で。

2025年12月22日

注解

※1 博報堂生活総合研究所「生活定点2024年調査|七草がゆを食べたか」

About the Writer

青葉 薫

横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~

文・写真 青葉薫

夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。

15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで

「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。

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