
地球上では毎年多数の生物が姿を消し、人間の暮らしを支える生態系が危機に直面している。食料や医薬品、水や空気といった自然の恵みがなければ、私たちの社会は成り立たない。1992年に誕生した生物多様性条約は、なぜ世界196カ国が参加する重要な国際的な約束となったのか。その背景と意義を、日本の取り組みにも触れながら解説する。
いま地球で起きている、生物多様性の危機

地球上の生物たちは、史上最も速いスピードで姿を消している。この危機を食い止めるために、生物多様性条約は欠かせない存在だ。
驚異的な絶滅スピード
現在、地球上では1日におよそ100種の生物が絶滅していると推定されている。自然の絶滅スピードの100倍から1,000倍にあたる、驚異的な速さだ。
2024年発表の『生きている地球レポート2024』によると、過去50年間で野生動物の個体群(平均サイズ)は平均73%も減少した。(*1)
国際自然保護連合(IUCN)が公式サイトで公表しているデータでは、調査対象となった全生物種の28%以上が絶滅危惧種に指定されている。(*2)つまり、確認されている生物のうち、4分の1以上が絶滅の危機に瀕していることになる。
生物多様性がもたらす恵み
生物多様性は、「生態系サービス」と呼ばれる多様な恵みを私たちに与えている。供給サービスでは、食料や水、木材、医薬品の原料などを得ている。現在使われている医薬品の約半分は、自然由来の成分から作られている。
調整サービスでは、気候調節、水の浄化、病害虫の制御などが行われている。森林は二酸化炭素を吸収し、湿地は洪水を防ぎ、昆虫は作物の受粉を助けるなど、自然の仕組みが人間の生活を支えている。
文化的サービスでは、精神的な癒しやレクリエーションの場を提供している。美しい自然景観や伝統文化の多くも、豊かな生物多様性によって支えられているのだ。
生物多様性を脅かす5つの要因
生物多様性が急速に失われている背景には、次の5つの要因がある。
1.開発による生息地の破壊
2.気候変動の影響
3.環境汚染
4.外来種の侵入
5.乱獲・過度の利用
とくに、気候変動の影響を受けている絶滅危惧種は急増している。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストデータをもとにWWFジャパンが公表した統計によれば、2000年には15種だったが、2020年には4000種を超えるまで増加した。(*3)
1992年に誕生した生物多様性条約の歴史と背景

こうした危機的状況を受け、国際社会は地球規模での対策が必要だと認識した。その結果、1992年に生物多様性条約が誕生した。
リオ地球サミットでの歴史的合意
1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(リオ地球サミット)」において、生物多様性条約が採択された。
気候変動枠組条約と並び「地球環境問題の双璧」とされ、採択当時から人類共通の重要課題として位置付けられていた。
先進国と途上国の利害調整
条約の成立過程では、先進国と途上国の間で激しい議論が交わされた。
途上国は「生物資源を利用して得られる利益を公正に分配すべきだ」と訴え、先進国は「技術移転には知的財産権の保護が欠かせない」と主張した。
こうした対立を乗り越えるため、3つの目的――「保全」「持続可能な利用」「利益の公正な配分」――を柱として掲げ、すべての国が参加できるバランスの取れた国際的な枠組みを構築した。
生物多様性条約の発効と世界的な広がり

生物多様性条約は、1993年12月29日に発効した。日本は同年5月28日に18番目の締約国として参加している。現在では196の国と地域が締結しており、まさに普遍的な国際条約といえる。条約が掲げる3つの目的は、持続可能な社会の実現に欠かせないものであり、それぞれが密接に関わり合っている。
第一の目的:生物多様性の保全
「生物多様性の保全」は、遺伝子・種・生態系の3つのレベルで多様性を守ることを意味する。遺伝的多様性は病気に強い品種の開発を可能にし、種の多様性(推定800万〜1,000万種)と生態系の多様性は、地球全体の環境バランスを支えている。
第二の目的:持続可能な利用
「ワイズユース(賢明な利用)」とも呼ばれる考え方で、自然を利用しながらも、将来にわたってその恩恵を享受できるよう配慮することを指す。
森林では計画的な植林により長期的な資源利用を実現し、漁業では繁殖サイクルを考慮した漁獲制限によって、水産資源の持続的な利用が進められている。
第三の目的:利益の公正な配分
生物資源の利用によって得られた利益を、資源提供国と利用国の間で公正に分け合うことを意味する。2010年に採択された名古屋議定書では、このルールがより具体的に定められ、実効性のある仕組みとして国際的に位置付けられた。
日本の取り組みと私たちとの関わり

日本は生物多様性条約の締結以来、国内外で積極的な取り組みを展開してきた。日本固有の自然観や文化を生かした独自のアプローチは、国際的にも高く評価されている。
生物多様性国家戦略と里山・里海
日本は1995年に最初の「生物多様性国家戦略」を策定し、現在の「生物多様性国家戦略2023-2030」では、2030年までにネイチャーポジティブの実現を目指している。とくに注目されるのが「里山・里海」という概念である。
里山とは、人々の暮らしに近い山や森のことで、適度な人間活動によって多様な生物が生息できる環境が維持されている地域を指す。一方、里海は人の手が適度に加わることで、高い生産性と生物多様性が保たれた沿岸海域を意味する。
石川県の「能登の里山里海」は世界農業遺産に認定され、伝統的な農法と生物多様性保全の両立を実現している事例として国際的に注目されている。
SATOYAMAイニシアティブと多様な取り組み
日本は2010年のCOP10で「SATOYAMAイニシアティブ」を提唱し、人と自然の共生モデルを世界に発信した。2025年4月時点で337団体が参加し(*4)、アジア、アフリカ、中南米など各地で、地域の特性を生かしたプロジェクトが展開されている。
企業レベルでも、トヨタ自動車の在来種植栽活動や、サントリーの「天然水の森」など、多様な生物多様性保全の取り組みが進められている。
市民一人ひとりができる生物多様性保全
身近なところから始められる保全活動も多い。たとえば、スマートフォンアプリを使った生き物調査では、撮影した生物の写真を投稿することで、生物分布データの収集に貢献できる。
外来種除去活動では、地域の駆除イベントに参加し、在来生態系を守ることができる。また、在来種ガーデニングでは、地域固有の植物を育て、鳥や昆虫の生息地を提供する取り組みも重要だ。
さらに、日常生活でも地産地消を実践し、地元産の農産物を選ぶことで、地域農業と生物多様性の双方を支援することができる。
国際協力と未来への責任
日本は「生物多様性日本基金」やJICAを通じ、途上国支援を積極的に行っている。
森林保全、持続可能な農業、海洋保護区の管理など、幅広い分野で専門知識と経験を共有している。
生物多様性条約が示す未来

生物多様性条約は、単なる国際的な約束ではなく、私たち一人ひとりの暮らしと深く関わる枠組みである。2030年に向けて生物多様性の損失を止め、回復させるためには、政府や企業の取り組みに加え、市民による日々の選択と行動が欠かせない。
その小さな積み重ねこそが、自然と共生する持続可能な社会の実現につながっていく。
Edited by c.lin
注解・参考サイト
注解
*1 WWFジャパン「生きている地球レポート2024 」による。
*2 国際自然保護連合(IUCN)「The IUCN Red List of Threatened Species™(IUCNレッドリスト)」による。
*3 WWFジャパン「地球温暖化による野生生物への影響」による。
*4 「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ メンバーリスト」による。
参考サイト
【2025年最新版】絶滅危惧種を一覧で紹介|ELEMINIST
国際的取組|環境省
生物多様性国家戦略2023-2030
国際目標「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」|公益財団法人森林文化協会
「地域生物多様性増進法」で日本企業の取り組みは変わるか?|SB JAPAN新法

























Sea The Stars
大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。哲学や歴史をメインに執筆し、西洋哲学に関する書籍の執筆も担当。厳しい時代だからこそ、寛容さ(多様性)が大事だと考えている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。
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