
日常で道を歩くとき、あなたは何に意識を向けているだろうか。オーストラリアの先住民アボリジニにとって、歩くことは祖先や土地とつながる時間だ。歌を頼りに何千キロもの道を進む彼らの文化には、私たちが気づいていない豊かさがある。本記事では、ウォークアバウトというアボリジニの文化から、「歩く」行為の意味を読み解いていく。
歩くことは、土地と関係を結び直すこと。ウォークアバウトの世界観とは

世界最古の文化の一つを現代に受け継ぐ、オーストラリアの先住民「アボリジニ」。そんなアボリジニの文化には、「ウォークアバウト」と呼ばれる若者が一人で荒野を歩く儀式がある。ウォークアバウトでは、地域によっては10代の若者が、数週間から数ヶ月にわたり、荒野を歩く旅に出ることもある。猛烈な暑さの中で自力で水や食料を確保する必要があり、身体的にも精神的にも厳しい試練だ。
ただし、その目的は単なる試練や成長にとどまらない。ウォークアバウトは、土地との関係を思い出す旅なのだ。アボリジニにとって、土地とはただの地面ではなく、祖先の魂が宿る生きた存在とされている。アボリジニは祖先の魂が大地と空から生まれたと信じており、人間と土地はお互いがお互いの一部であると考えている。
若者たちはウォークアバウトを通して、生き延びる技術だけでなく、土地そのものと対話している。石を見て祖先の物語を思い出したり、鳥の鳴き方で潮を読んだりするのだ。
私たちの日常生活では、土地という存在に対して深く考えることは少ないだろう。職場からカフェまで、駅から家まで何度歩いていたとしても、足元の道はただ通り過ぎる経路でしかない。景色はいつしか背景になり、移動は目的地に着くまでの時間にすぎなくなっている。しかしアボリジニにとっては、一歩一歩が祖先との対話であり、土地との再会なのだ。歩くという行為そのものが、世界とつながる手段となっている。
ウォークアバウトを終えて戻ってきた若者たちは、大人として認められる。それは、一人で生き延びることができたからではない。ウォークアバウトを通して自分が何者なのかを身をもって知り、アボリジニの社会の一員としてより大きな責任を引き受ける準備ができたからなのである。
地図を持たず、歌をたどる。歩行が生むアボリジニの知の体系

アボリジニの若者たちがウォークアバウトで歩く際、彼らは私たちが移動するときに当たり前に使う地図を持たない。方向を示すコンパスさえ手にしない。その代わりに歌を頼りに、何千キロもの道を歩いていく。
歌を頼りにどのように道を見つけるのか。それには、私たちとアボリジニの「知る」という行為に対する大きな違いがある。私たちにとって知識とは、スマートフォンで調べたり本を読んだりして身につけるものだろう。情報を記憶して、必要なときに思い出せれば、それが知っていることだと考えられている。しかしアボリジニにとって知識とは、実際に歩いて体で感じて覚えるものである。
アボリジニが使うのは、「ソングライン」と呼ばれる方法だ。ソングラインとは、祖先が歩いた道を歌として記憶するものである。若者たちは年配の人から歌を教わり、歌いながら歩く。
私たちがスマートフォン上の地図で「50メートル先を右折」と指示されるように、アボリジニは「大きな木の歌」「赤い土の歌」「水の歌」を歌いながら進んでいく。大きな木が見えたら曲がり、赤い土が見える方へ進むなど、向かう方向を歌が教えてくれるのだ。歌詞が景色そのものを描写しているため、道に迷わない。
アボリジニの歌には、動物・植物・季節に関する情報が多く含まれているという。獲物がいる場所、食べられる植物、果実が実る時期など、生き延びるために必要な知識が、すべて歌の中に織り込まれている。ソングラインは単なる道案内ではなく、その土地で暮らすための知恵が詰まった生きた記憶なのだ。知識を歌に織り込むことで、ただ覚えるだけよりもはるかに記憶に残りやすくなる。そして世代から世代へ正確に受け継がれていく。
近年の研究では、7000年前の海面上昇や島の形成といった風景の変化が、ソングラインとして口承されてきた可能性も指摘されている。文字を持たない文化だからこそ、歌という形で情報を保存し、身体を使って伝承する仕組みができたといわれている。
私たちが地図を見ているとき、世界は平面でしかない。目的地までのルートが線で示され、距離が数字で表示される。だが実際に歩いていると、世界には音や香りがあり、立体的で生きた場所として存在する。
アボリジニにとって、歩くことは初めて世界が本当の姿で現れる時間なのだ。歌の中にあった景色が、足を進めるごとに目の前に現れ、身体の感覚と結びついていく。身体と知識が一体となることで、世界を理解していくのだ。
効率の時代に、歩く意味を問い直す。ウォークアバウトからの示唆

一方、現代の私たちの移動はどうだろう。新幹線や飛行機、車。目的地によって移動手段を選べる便利さがある反面、移動といえば「どれだけ早く到着できるか」ばかりを考えている。移動中は、空白の時間を埋めるために本を読んだりSNSを見たりして過ごす。目的地に着くことだけが大事で、その過程は通過するだけの時間でしかない。
歌いながら歩き、石や川の音に祖先の物語を見出していくアボリジニのウォークアバウト。アボリジニにとって歩くことは、土地と対話し、世界とつながる時間だ。一歩一歩が意味を持ち、道中で出会うものすべてが学びになる。
対して私たちが歩くときはどうだろう。通勤や買い物に行く際は、毎日同じ道を歩いていても、足元の景色に目を向けることは少ない。早く着くことが優先され、道中で何を感じるかは二の次になっている。移動と知覚が切り離され、歩くことで世界が立ち上がってくる感覚からは遠ざかっているのだ。
アボリジニの文化が教えてくれるのは、「どこへ行くか」ではなく「どのように歩くか」という視点だ。目的地に早く着くことより、移動中に何を感じ、何に気づくかを大切にする。
効率やスピードを重視する現代だからこそ、歩くことの意味を見直してみたい。いつもの通勤路をたまに変えてみる。休日には目的地を決めず、気の向くままに歩いてみる。日常にある「歩く」の見方を少し変えてみたら、アボリジニが土地と対話するように、まだ知らない豊かさに出会えるかもしれない。から、ウェルビーイングは確実に高まっていく。
Edited by k.fukuda
参考サイト
アボリジナル・アートと先住民文化|在日オーストラリア大使館
オーストラリアのアボリジナル文化|オーストラリア政府観光局
Following the Footsteps of the Ancestors: The Walkabout Coming of Age Ceremony|Ancient Origins
Songlines: the Indigenous memory code|ABC listen























エリ
大学時代は英米学科に在籍し、アメリカに留学後は都市開発と貧困の関連性について研究。現在はフリーライターとして、旅行・留学・英語・SDGsを中心に執筆している。社会の中にある偏見や分断をなくし、誰もが公平に生きられる世界の実現を目指し、文章を通じて変化や行動のきっかけを届けることに取り組んでいる。関心のあるテーマは、多様性・貧困・ジェンダー・メンタルヘルス・心理学など。趣味は旅行、noteを書くこと、映画を観ること。( この人が書いた記事の一覧 )