
教室の枠を超え、世界を教材にする「旅育」が注目されている。知識詰め込み型の教育が行き詰まる中、異文化との出会いや予期せぬトラブルへの対応を経験し、子どもたちは生きる力を手に入れる。ニュージーランド、シンガポールなどの国際事例から、持続可能な社会を築く新しい学びの形を考察する。
世界の事例から見る制度としての「旅育」

「旅育」とは、旅行や体験学習を通して、子どもたちが実社会から学びを得る機会を指す。近年、グローバル化や社会の複雑化が進む中で、知識の詰め込み型教育から、自ら考え行動する力を育む教育への転換が世界的な潮流となっている。この流れを背景に、単なる活動としてではなく、教育制度の中に旅育を組み込む国々が増えてきている。
その背景にある考え方の一つが、「ESD(Education for Sustainable Development:持続可能な開発のための教育)」である。ESDは、世界が抱える環境・貧困・人権などの課題を自らの問題として捉え、その解決に向けて行動できる人を育むことを目指す。教室の中だけでは得られない「生きた学び」を届ける機会となり、多様な価値観や社会の仕組みに直接触れることで、持続可能な社会の担い手となる力を養う。
具体的な国際事例として、たとえばニュージーランドでは、自然環境や先住民のマオリ文化といった自国の特色を活かしたアウトドア教育が盛んである。学校のカリキュラムの中に数日間のキャンプや自然探検、地域社会での奉仕活動などが組み込まれており、協調性・問題解決能力・自然への敬意を学ぶ機会と位置づけられている。特に、マオリ語やマオリ文化に触れる体験は、自国の歴史や文化に対する深い理解を促す。子どもたちの自己肯定感と、地域社会の一員としての責任感を育むことに貢献している。
また、シンガポールの事例も特徴的である。中華系(約74%)、マレー系(約13%)、インド系(約9%)など多民族が共存するシンガポールでは、建国以来、民族間の相互理解と調和が国家の最重要課題とされてきた。そのため、「異文化理解」を教育の柱に据え、国内での多文化体験に加えて、海外修学旅行や異文化交流プログラムも積極的に推奨している。特に、中等教育段階では、政府主導で海外体験プログラムが積極的に推進されており、ASEANや中国など近隣諸国への教育旅行が盛んに行われている。
こうしたプログラムは、異なる言語や習慣に触れることで、グローバルな視点と多様性を尊重する共感性を育むことを目的としている。政府はこれらの活動を支援し、国際社会で活躍できる人材の育成に力を入れている。
イギリスでも、近年、体験学習の重要性が再認識されている。特に歴史的な街並みや博物館、自然保護区などを活用したフィールドラーニングが充実しているのが特徴的だ。教科書で学んだ知識を実地で確認し、多角的な視点から考える力を養うことが重視されている。また、一部の学校では、海外でのボランティア活動や文化交流を目的とした旅行が推奨されており、社会貢献意識や自主性を高めている。
体験が子どもの成長をもたらす理由

なぜ「旅」が、子どもたちの成長に大きな効用を与えるのだろうか。それは、旅が非認知能力の向上、思考力・共感力の深化、異文化理解という重要な成長要素を自然に刺激するからである。
旅の経験は、まず非認知能力を向上させる。これは学力テストでは測れない、目標達成に向けた粘り強さ・感情のコントロール・他者との協調性といった内面的なスキルの総称だ。旅先で遭遇する言葉の壁や予期せぬトラブルに対し、子どもたちは自ら考え、解決しようと行動する。その中で、問題解決能力や自己制御能力を自然と養っていくのだ。
OECD(経済協力開発機構)も、この非認知能力の重要性を強く指摘している。OECDの教育指標は、知識量だけでなく、変化に対応し多様な人々と協力できる能力が、将来の成功や幸福度に影響することを示している。旅育は、OECDが重視するこれらの資質・能力を実践的に育む手法として価値が高い。
次に、旅は思考力と共感力を深める。見知らぬ文化や生活様式に触れることは、子どもに「なぜ?」という問いを投げかけ、既成概念を打ち破り、多角的に物事を考察する深い思考力を身につけさせる。また、旅先で出会う多様な人々との交流は、「自分とは違う他者の存在」を感じさせ、その立場になって考える共感力と想像力を育む。これは、多様性を尊重する社会の土台となる。
最後に、旅は異文化理解を促進する。教科書で得た知識と異なり、その土地の空気や匂いを五感で感じる生身の体験は、文化的背景に対する深い洞察をもたらす。言語の壁を越えて交流する努力や現地の日常への観察は、ステレオタイプから脱却し、真の異文化理解へとつながるのである。
日本で旅育を社会に根づかせるには

国際的な事例や、体験学習が子どもに与える効用を見れば、日本においても「旅育」のさらなる可能性は大きい。日本では修学旅行が全国の小中高校で広く実施されており、制度としての基盤は既に存在する。しかし、その多くは「団体行動」や「思い出作り」が主目的となっており、明確な学習目標を持った課題解決型の体験学習としては十分に機能していないのが実情だ。また、家庭での旅行体験については、経済格差による機会の偏りも指摘されている。日本で旅育を社会全体に根づかせるためには、学校教育での取り組み強化、家庭や地域との連携、そして制度的な仕組みづくりという三位一体の取り組みが必要となる。
また、旅育を実りあるものにするためには、家庭と地域社会との連携も効果的だ。家庭では、旅の前後で親子が対話を重ねることで、子どもの気づきや学びがより深まることが期待できる。地域社会も「教室」として、地域の職人による体験学習や自然ガイドなど、特性を活かしたプログラムを開発し、地域住民が「教育の担い手」となる仕組みづくりが求められる。身近な場所での体験を増やすことで、子どもは地域への誇りと当事者意識を養うことができる。
さらに、旅育の普及には公的な支援や制度的な枠組みが欠かせない。経済的な理由で体験機会が限られる子どもたちへの旅費補助制度の拡充や、体験学習プログラムの無償化など、「教育機会の均等」を担保する必要がある。旅育の効果を科学的に検証し、その価値を社会的に広く認知させる研究も重要だ。学校教員と連携する「教育旅行の専門家(コーディネーター)」の育成も含め、質の高いプログラムを維持するための環境整備が急務となっている。
「地球が教室になる時代」はすでに始まっている。日本においても、学校・家庭・地域・行政が連携し、この新しい学びの形を社会に根づかせるための変革が今、求められているのだ。
Edited by k.fukuda






















丸山 瑞季
大学で国際コミュニケーション学を専攻。卒業後はデジタルマーケティングに携わり、現在は難聴児の子育てに奮闘しながら、楽しく生きることをモットーに在宅で働く。関心のあるテーマは、マインドフルネス、ダイバーシティ、心理学。趣味は、食べること、歩くこと、本を読むこと。( この人が書いた記事の一覧 )