【第2回】『群衆心理』を読み解く──なぜ人は「自由」から逃げるのか

自分で考える自由を持ちながら、なぜ人はそれを手放してしまうのか。エーリッヒ・フロムは「自由」が持つ重たさにその原因を見た。心理学の実験では、普通の人がいかに容易く同調や服従に傾くかを示している。「自由から逃げる」心理メカニズムを読み解いていきたい。

エーリッヒ・フロムの「自由の重荷」と「逃走のメカニズム」

前回、ル・ボンとオルテガの視点から「群衆」と「大衆」の構造を見てきた。群衆の中で個人の理性が後退し、集団に属さずとも「考えること」を手放してしまう現象が、100年以上前にすでに見抜かれていたことになる。

だが、一つの疑問が残っている。人はなぜ、自分で考えることをやめてしまうのか。

この課題に正面から取り組んだのが、ドイツ出身の哲学者エーリッヒ・フロムである。1941年に刊行された『自由からの逃走』(原題 Escape from Freedom)は、ナチズムが世界を震撼させていた最中に発表された。フロム自身もユダヤ人としてドイツを追われ、アメリカに亡命している。

フロムの出発点となったのは、ある逆説的な観察だった。近代社会は封建制や宗教的権威から、人間を解放し「自由」をもたらした。しかし「孤独」と「不安」も同時に連れてきた。かつて共同体や身分制度の中に「自分の居場所」があった人間が「何を信じ、どう生きるか」を、すべて自分で決めなければならなくなったからだ。

フロムはこの状態を「〜からの自由」と呼んでいる。束縛から解き放たれたという意味では確かに自由だが、その自由をどう使うかは、自分で見つけるしかない。自由であること自体が重荷になるという逆説がここに潜んでいる。この重荷に耐えかねたとき、人は自由から「逃走」する。

フロムはその逃避のメカニズムを以下の三つに整理している。

1.権威主義

強い指導者や権威に自分を委ね、服従することで不安から逃れようとする。支配する側と服従する側は表裏一体であり、どちらも他者との「支配―被支配の関係」に依存している点で共通している。

2.破壊性

自由がもたらす無力感に耐えられず、その苦痛の源を壊そうとする衝動を意味する。

3.機械的画一化

周囲と同じように考え、同じように振る舞うことで、自分が自由であるという事実を覆い隠す。

このような状態について、自分の意見だと思い込んでいるものが、実際は周囲の期待や社会の空気を無意識になぞった結果にすぎないとして、フロムは「自動人形」という表現を用いている。

そしてフロムが最も危険視したのは、第三のメカニズムだった。権威主義や破壊性は目に見えやすいが、機械的画一化は本人にすら自覚されにくい。「自分の頭で考えている」と信じたまま、実際には周囲と同じ答えを選び続けてしまう。

オルテガが描いた「大衆」の姿と重なり合う構造がここにあるのだ。人間が同調や服従に傾くとき、心理の内側では何が起きているのか。フロムが思想の言葉で描いた構造は、やがて実験室で検証されていくことになる。


ポスト・トゥルースとは?具体例や注目される背景、問題点を解説
アンコンシャス・バイアスとは?バイアスの種類や具体例、問題点などを解説

同調の心理学と「凡庸な悪」

1951年、アメリカの社会心理学者ソロモン・アッシュは、同調行動に関するある実験を行った。8人の参加者が集められた部屋で、画面に映された線分の長さを比較するという単純な課題に取り組む。ただし8人のうち7人はあらかじめ指示を受けた「サクラ」であり、途中から全員がわざと間違った回答を示していく。残りの一人、つまり本当の被験者がどう反応するかを観察するのが、この実験の狙いだった。

一人で答えればほぼ間違えないほど簡単な問題にもかかわらず、被験者の75%が少なくとも一度はサクラの誤答に同調した。全体の同調率は約37%に達している。

注目すべきは、サクラの中に一人でも正しい答えを選ぶ人がいた場合、同調率が大幅に下がったという点である。つまり全員が一致して間違えているという状況こそが、同調を強力に駆動していた。アッシュの実験は明確な正解がある場面でさえ、人は集団の圧力に屈しうることを示している。

では、そこに「権威」が加わるとどうなるか。アッシュのもとで助手を務めていた若き研究者、スタンレー・ミルグラムがこの課題をさらに推し進めることになる。

人は権威にどこまで服従するか

1961年、ナチス政権下でユダヤ人の大量移送を指揮したアドルフ・アイヒマンの裁判がエルサレムで開かれ、世界中に衝撃を与えていた。法廷でアイヒマンは「ヒトラーの命令に従っただけだ」として、無罪を主張したからだ。

同じ年、ミルグラムは「普通の人間は、権威者の命令にどこまで服従するのか」という問いを立て、イェール大学で実験を実施した。被験者は「教師役」として、別室にいる「生徒役」が問題を間違えるたびに電気ショックを与えるよう指示される。ショックは段階的に強くなり、生徒役は苦痛の声を上げ、やがて反応しなくなっていく。

生徒役はサクラであり、電気は実際には流れていないが、被験者にその仕組みは明かされない。実験前、精神科医たちは最大電圧まで実行する被験者は「ごくわずかだろう」と予測していた。しかし実際の結果は、被験者の65%が致死レベルとされる450ボルトまでショックを与え続けたというものだった。

良心の呵責に苦しみながらも、白衣を着た実験者の「続けてください」という冷静な指示に、多くの人が従い続けたのである。ミルグラムの実験が示したのは「権威の指示」という状況が整えば、善良な市民でも非人道的な行為に加担しうるという事実だった。

重要なポイントは個人の性格や道徳心ではなく、自身が置かれている構造にある。悪の原因を個人の資質ではなく構造に見るという視点は、アイヒマン裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントの考察とも重なっている。

悪意から生まれない「悪」

裁判を通じて、アーレントは大きな衝撃を受けることになる。アイヒマンは狂信的なイデオロギーの持ち主でも冷酷な怪物でもなく、命令に忠実なだけの凡庸な官僚だったからだ。この経験から彼女は「凡庸な悪」という概念にたどり着いている。

「悪」は特別な悪意から生まれるとは限らない。考えることを放棄して目の前の命令や空気に従い続けた先に、取り返しのつかない結果が待っていることもある。

アッシュの実験室で周囲に合わせて間違った答えを選ぶことと、アイヒマンが命令に従い続けたことの間には、もちろん距離がある。しかし「自分の判断を手放す」という構造は、程度の差こそあれ共通している。

フロムの「機械的画一化」、アッシュの同調、ミルグラムの服従、そしてアーレントの「凡庸な悪」。時代も方法も異なる複数の視点が、一つの問いを照らし出している。「人はなぜ、考えることをやめてしまうのか?」


スケープゴート
サイレントマジョリティとは?意見を汲み上げることの重要性や方法も解説!

同調は「悪」なのか

ここまで読むと同調は避けるべきもの、服従は克服すべき弱さだと感じるかもしれない。だが、もう一歩進めてみたい。

そもそも同調は社会を維持するうえで、不可欠な役割を果たしている。信号で止まり、列に並び、会議で相手の話を最後まで聞く。日常生活の多くは、ある種の同調によって成り立っている。アッシュの実験においても、同調した被験者の中には「自分が間違っているのかもしれない」と考えた人がいた。他者の判断を参照すること自体は、人間にとって合理的な戦略の一つだといえる。

問題は「同調すること」ではなく「同調していることに気づかないこと」にある。フロムが描いた「機械的画一化」がまさにそれだった。自分の意見だと思い込んでいるものが、実は社会の空気を無意識に内面化しただけかもしれない。

一方で、アッシュの被験者が覚えた違和感も、ミルグラムの被験者が味わった葛藤も、少なくとも「何かがおかしい」という感覚は残っていた。その感覚すら失われたとき、同調は最も深い形で完成する。

フロムはこの問題に対して「積極的自由」という概念を提示している。束縛からの解放を意味する「〜からの自由」に対し、「〜への自由」とは自分自身の力で世界と結びつく自発的な生き方を意味する。

他者に従属するのでもなく孤立するのでもなく、自分の思考と感情を手放さないまま社会と関わり続けること。それは集団の中にいながら、「考えること」をやめない姿勢だといえるだろう。

だが、「自分で考えよう」という呼びかけそれ自体が、新たな同調圧力になりうるという逆説も潜んでいる。考え続けるとは、具体的にはどういうことなのか。それは、目の前にいる他者とどう向き合うかという問いでもあるはずだ。

最終回では「群れること」と「つながること」の違いを、さらに「顔」のある関係という視点から考えていく。

Edited by s.akiyoshi

参考サイト・参考文献

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、1951年
スタンレー・ミルグラム『服従の心理』山形浩生訳、河出文庫、2012年
ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】』大久保和郎訳、みすず書房、2017年
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』神吉敬三訳、ちくま学芸文庫、1995年

About the Writer
芦澤_Sea The Stars

Sea The Stars

大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。哲学や歴史をメインに執筆し、西洋哲学に関する書籍の執筆も担当。厳しい時代だからこそ、寛容さ(多様性)が大事だと考えている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。
この人が書いた記事の一覧

Related Posts