第14回 生クリームをめぐる旅・取材後記|放牧酪農牛乳を飲んで自分を探す

本連載では、生産者を訪ねる取材記事と、そこから広がる食卓や思想の物語を交互にお届けしている。前回、あすなろファーミングでは、生クリームづくりの現場を訪ね、牛たちと向き合う酪農の営みについて取材した。そして今回は取材後記として、放牧という選択を手がかりに、乳量や経済効率の問題を超えて、資源循環や食料問題、さらには「私たちの身体は食べ物そのものではないか」という問いへと思考を広げている。牛が何を食べ、どのように生きているのか。その先に、自分は何を食べ、何になろうとしているのかを静かに見つめ直す一篇となった。
ー編集部よりー

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。

そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。

さあ、一緒に出かけましょう。


前回、あすなろファーミングでは、生クリームについて取材をさせていただいた。村上牧場の”うめちゃん”などの牛たちは、牧草地に放牧されているとのことだった。あすなろファーミングについては読者の皆様にお伝えしたいことがたくさんあったので、前回の記事では放牧について突っ込んだ話は書けなかった。

だが、放牧にはいろいろと考えなければならないテーマが含まれている。そこで今回は、放牧について考えてみたい。言ってみれば、ただ牛を放し飼いするというだけのことなのであるが、シンプルなことにこそ大切な論点があるものだ。


放牧と乳量の問題

放牧にはよいイメージを持っている人がほとんどではないだろうか。広々とした牧草地にそよぐ爽やかな風。青々とした牧草をはむ牛たち。都会の喧騒を離れて、雄大な風景の中に身を置いて、のんびりしたい。そんな感じではないだろうか。

放牧にはイメージだけではなく、実際にいろいろないいことがある。とはいえ放牧されている乳牛が少数派であるのは、牛舎で飼育することに比べると、経済効率がよくないからである。

酪農家が生乳の販売によって受け取る収入は、乳量と品質によって決まる。このうち乳量は、牛舎で飼育した場合に比べると、放牧の場合には、1頭当たりの年間搾乳量が1割程度低くなる。

つまり、簡単に言うと、収入が1割減るということなのだ。給料が1割減るか減らないかというように、自分に引きつけて考えてみると、放牧されている牛が少ないのもよく理解できる。

もちろん酪農経営は、乳量の多い少ないだけで決まるものではなく、生産にどれだけコストをかけたかということや、牛の健康状態、生乳の品質などさまざまな要因によって左右されるので、一概に放牧はもうからないなどと言うこともできない。

ではなぜ、放牧するとそれほど乳量が減るのだろうか。最大の理由は、濃厚飼料を与える量が減るからである。

放牧をせず牛舎で飼育している牛には、トウモロコシ、麦などの穀物や、大豆、油粕などを混ぜた濃厚飼料が主に給餌されている。栄養価が高い飼料を与えて、乳量を増やすことを目指すのだ。

一方、放牧している場合には、牧草を多く食べるため、穀物などの飼料を与える量は当然、牛舎内での飼育よりも減ることになる。その結果として、乳量が減るのである。

放牧酪農牛乳を支える仕組み

「あすなろ放牧酪農牛乳」の紙パックのパッケージには、5つの認証取得項目が明記されている。そのうちの1つが「放牧酪農牛乳生産基準認証」である。

放牧酪農牛乳とは、一般社団法人日本草地畜産種子協会によって定められた「放牧畜産基準」に従って、適正に放牧管理された乳用牛から生産された生乳を原材料として作られた牛乳のことだ。具体的には、牛1頭あたりの放牧面積・放牧期間・放牧時間の確保、記録の保持と公開などを基準として定めている。

このような認証制度があるのは、消費者に「牛を放牧して作られた牛乳だよ」とアピールして、差別化をし、買ってもらいたいからだ。そして、ひいては放牧の普及につながると考えられているからであろう。

放牧にはいいことがたくさんある

では放牧には、どのようないいことがあるのだろうか。第1に、アニマルウェルフェアの向上につながることである。これは私たちが抱く、放牧のよいイメージそのものである。牛にとって、広い放牧地を自由に動き回り、好きなように新鮮な牧草を食べるのは、生き物としてストレスが少ないだろうということだ。

第2に、放牧は資源循環型畜産であることだ。濃厚飼料の大部分は海外から輸入したものである。それを食べた牛の糞尿は、牛舎の中から外へ排出しなければならない。そして何らかの形で処理する必要がある。そのままにしていると、海外の土壌から吸収されて穀物の形で運ばれた窒素分などが、酪農家の牛舎周辺に集積することになってしまう。

一方で牧草を食べた牛の糞尿は、そのまま牧草地に還元されるわけである。そして翌年の牧草の肥料分となる。

第3に、世界の食糧問題との関係もある。濃厚飼料を乳牛に与えるということは、つまりは穀物を人間ではなく家畜に食べさせるということである。

もちろん、食用の穀物をそのまま家畜にあげているわけではないけれど、同じ畑で人間用の穀物を生産することができたかもしれない。一方で牛は、なんと、人間に食べられない草を食べてミルクに変換してくれる極めてありがたい存在なのだ。

牛などの反芻動物には、胃が4つもある。もちろん、人間のためにそんな体内構造を備えているわけではないけれど、胃の中に棲む微生物の力でセルロースを分解して、エネルギーに換えてくれるのは、本当にすごいことだ。

もともと酪農というものは、傾斜地や荒地など、畑にはできないけれど草は生えている土地において、何とか人間が生きていくために、牛など家畜の助けを借りるというものだった。その利点は、現代においても変わらないし、地球の人口が増加した時代においてはむしろ、輝きを増しているのではないだろうか。

ただし、牛の飼料は穀物だけでできているわけではない。人間が食べられない、あるいは食べない油粕、大豆粕、ふすま、米ぬかなどを与えている場合には、資源を有効活用しているとも言えるだろう。

確かに、村上牧場では、規格外小麦、ふすま、飼料米、ビートパルプを与えているとおっしゃっていた。飼料米以外は人間が食べない食品副産物である。飼料米については、水田の転作作物という側面がある。

今後、私たちがサステイナブルな道を歩んで行こうと考えるのであれば、長期的には放牧酪農へと転換していく道や、放牧を取り入れた酪農を模索していく道があるのかもしれない。

私たちの身体は食べ物そのもの

近年、私が食べ物について思いを巡らすときに、大きな影響を受けているのが、生物学者の福岡伸一が提唱している「動的平衡」という考え方である。

動的平衡とは「エントロピー(乱雑さ)増大の法則に抵抗して、なんとか生命という秩序を守ろうとしている」(福岡伸一『動的平衡は利他に通じる』朝日新書)ことである。私たちを含む生物は、分解と合成を絶え間なくおこなって生命システムを維持していると述べられている。

この動的平衡という考え方が、どのように食べ物と関係してくるのか。私たちは、食べ物を摂取して、エネルギーを得て、生きているだけではないということなのである。もちろんエネルギーを得てはいるのだが、食べることで身体そのものも常に変化しているというのだ。

これを端的にいうと、私たちは食べ物そのものと言えるのではないだろうか。そう考えてみると、何を食べるかということは、自分が何になるのかと同義である。だからこそ私は、この旅を続けているのだ。はたして私は何になりたいのか。たまにはそんなふうに考えながら、あすなろ牛乳を飲んでみよう。

ここまで書いてきて、今まで気づかなかったことに気づいた。動的平衡によって生命システムを維持しているのは、私たちだけではない。牛も同じではないか。

つまり、牧草を食べている牛と、濃厚飼料を食べている牛との違いは、ただ単に「食べている餌が異なる」というだけのことではない。牛そのものも、大きく異なっているのである。

放牧牛は、やや詩的な表現を使うと、牧草そのものである。そして放牧酪農牛乳を飲んだ私は、いったい何になるのか。何だか大地と繋がっているような気がしてくる。この文字通りの「自分探しの旅」はまだまだ続きます。

About the Writer
林心平_横松心平

横松 心平

1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
この人が書いた記事の一覧

いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜

文・写真 横松心平

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」


身近なところで、

小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。

第14回 生クリームをめぐる旅・取材後記|放牧酪農牛乳を飲んで自分を探す
第14回 生クリームをめぐる旅・取材後記|放牧酪農牛乳を飲んで自分を探す
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