
2025年11月、東京で世界最大の”音のないスポーツの祭典”、デフリンピックが開かれる。聴覚障がいを抱えるアスリートたちが、トップレベルのパフォーマンスを競い合うのだ。この静かなる熱狂は、私たち健聴者が暮らす「音中心の社会」に問いを投げかける。デフリンピックを起点に、真のソーシャルインクルージョンとは何かを考察する。
音のないスポーツの祭典「デフリンピック」とは何か

2025年11月15日から26日までの12日間、第25回夏季デフリンピックが東京で開催される。1924年にフランス・パリで第1回大会が開催されてから記念すべき100周年を迎え、日本での開催は初となる。
デフリンピックは、一般にはまだその名があまり知られていないが、国際的な「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」として、100年の歴史を持つ世界的なスポーツイベントだ。
デフリンピックの「デフ(Deaf)」は、英語で「耳がきこえない」を意味し、大会は聴覚障がいのあるトップアスリートを対象としている。参加資格は、補聴器などを外した状態で聞こえる一番小さな音が55デシベル(dB)※を超えていること、つまり、通常の会話が聞き取れないレベルの難聴者であることが基準となる。
※55デシベル(dB)は、日常の会話やテレビの音など、「ややうるさい」と感じる程度の音の大きさ。
デフリンピックの最大の特徴は、「音に頼らない競技運営」という徹底した工夫にある。例えば、陸上競技のスタート合図は、ピストル音ではなくランプの点滅、通称「フラッシュランプ」によって視覚的に伝えられる。サッカーやバスケットボールなど団体競技における審判の合図は、笛の音と同時に旗を上げたり、手を振ったりすることで視覚的に情報を保証する。
さらに、選手やスタッフ間のコミュニケーションは、国際手話やジェスチャーが中心となる。会場全体での応援も、手を振る「ウェービング」が主流だ。音ではなく、光や動き、身体表現といった「視覚」がコミュニケーションと競技運営の基盤となっている。
東京大会では、約70カ国・地域から3,000人を超えるデフアスリートが集い、20を超える競技が実施される。デフアスリートたちは、聴覚による情報が限られる状況の中で、独自の戦略やコミュニケーションを駆使し、身体能力の限界に挑む。
その姿は、障がいを「欠如」ではなく「異なる認識のあり方」として捉え直すきっかけを与えてくれるだろう。聴覚障がい者の存在や文化が社会に浸透し、互いの違いを認め合う「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」が推進されると期待されている。
「見える歓声」が映し出す、コミュニケーションの多様性

世界保健機関(WHO)は、2050年までに世界人口の4人に1人、およそ約25億人が難聴を抱えるだろうと警鐘を鳴らしており、難聴への国際的な対策の必要性も高まっている。(*1)
しかし、私たちが生活する現代社会は、知らず知らずのうちに「音声中心」で設計されている。駅のホームのアナウンス、緊急地震速報の警告音、病院での呼び出しなど、音声を前提として設計されている部分が多い。これは、聴覚障がいを持つ人々にとっては、時に安全を脅かし、社会参加を著しく制限する壁となっている。
デフリンピックの会場で広がる「見える歓声」、すなわちウェービング応援は、この音声中心の社会構造を問い直すきっかけとなる。音のない空間で競技が進行し、応援が視覚的に繰り広げられる光景を見れば、コミュニケーションは音声だけではないことを実感できる。
聴覚障がいを抱える人々にとって、最も身近な言語として機能するのが「手話」だ。手話は、単語単位で見れば日本語の「代替手段」と思えるかもしれないが、独自の文法や語彙、表現力を持つ、国際的にも認められた視覚言語である。手の形・位置・動きに加え、表情や口の動き、視線が重要な意味を担う。
国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)のアダム・コーサ会長が「私たちには、手話という独自の言語がある。それは私たちの誇りであり、文化だ」と語るように、手話はろう者コミュニティにおけるアイデンティティと文化の核を形成している。
視覚情報の活用は、障がいを抱える人だけでなく、すべての人にとっての利便性を高める。例えば、賑やかな場所での字幕表示や、無音での情報伝達を可能にするユニバーサルデザインの原則だ。これは「困っている人を助ける」という限定的なアクセシビリティ(接近可能性)の考え方から、「最初から誰もが使いやすいものをつくる」というユニバーサルデザインへの転換を促す。
「聞こえない世界」から見えてくる、豊かさの再定義

デフリンピックと、それを支えるデフカルチャー(ろう文化)からは見えてくるのは、聴覚障がいを「できないこと」や「不利な点」として捉えるのではなく、「音とは違う世界の見方」として捉え直す視点だ。聴覚に頼らない世界では、視覚・触覚・身体全体の感覚が鋭くなり、そこから独特の創造性と豊かさが生まれている。
デフカルチャーは、手話という視覚言語を中心として、芸術活動とも深く結びついている。例えば、手話の持つリズミカルで立体的な動きを芸術へと高めた手話パフォーマンスや、手話の形やろう者の経験をモチーフに取り入れたデフアートが存在する。
これらは、聴者社会が重要視する「音」をあえて排除することで生まれる、他に類を見ない独自の文化だ。デフアスリートが競技で見せる高いパフォーマンスの美しさも、その視覚中心の身体感覚から生まれるものといえる。
さらに、デフリンピックの会場で見られるような、しっかり目を合わせ、身体で表現し、時間をかけて理解し合うコミュニケーションのスタイルは、効率を重視する現代社会への強い問いかけとなる。私たちは、スピードを追求するあまり、情報量の多さや即時性を優先しすぎるあまり、互いにじっくり向き合う時間や機会を失っていないだろうか。
手話による対話は、常に相手の視線に集中し、相手の体全体から発せられる情報を読み取ろうとする。そこには、ただ情報を正確に伝えるだけでなく、人と人との深いつながりを大切にする「人間らしさ」が濃密に存在する。
デフリンピックは、「静かであること」を「不便」ではなく、「豊かさ」の源として捉え直すきっかけを与える。聞こえない世界から見えてくるのは、身体で表現することの喜び、視覚情報の持つ圧倒的な美しさ、そして、効率だけでは得られない人間的なつながりの価値だ。この祭典は、多様性を認めることで、社会全体の豊かさを再定義できることを示している。
Edited by k.fukuda
注解・参考サイト
注解
*1 世界聴覚報告書:2050年までに4人に1人が聴覚障がいに|日本WHO協会
参考サイト
東京2025デフリンピック
デフリンピックのご紹介|一般社団法人全日本ろうあ連盟
『手話』と『ろう文化』は誇り〜ICSDコーサ会長、デフリンピック東京大会に向けて|Paraphoto






















丸山 瑞季
大学で国際コミュニケーション学を専攻。卒業後はデジタルマーケティングに携わり、現在は難聴児の子育てに奮闘しながら、楽しく生きることをモットーに在宅で働く。関心のあるテーマは、マインドフルネス、ダイバーシティ、心理学。趣味は、食べること、歩くこと、本を読むこと。( この人が書いた記事の一覧 )