文化盗用とは?具体事例を通じて、多様な文化とのつきあい方を問い直す

文化盗用とは

文化盗用とは

文化盗用(cultural appropriation)とは、ある文化圏に属する文化、宗教、象徴、衣装、言語、音楽などの要素を、その背景や意味を十分に理解しないまま、他の文化圏の人々が取り入れる行為を指す。特に、社会的に優位な立場(マジョリティ)にある人々が、抑圧や差別の歴史を持つ文化(マイノリティ)から要素を取り出し、自分たちの文脈で消費・再構成することが問題視される。たとえば、先住民の宗教的装飾をファッションとして用いる行為や、黒人文化に由来する音楽や髪型を文化的背景や歴史的文脈を軽視して模倣することなどが該当する。こうした行為は、文化的背景への敬意を欠き、時に植民地主義の延長として批判される。

文化盗用の具体例

文化盗用の実態をより具体的に理解するために、さまざまな事例を見ていくと、その背後にある力の非対称性や文化への敬意の欠如が明らかになる。以下では、特に議論を呼んできた三つの例を取り上げ、どのような形で文化盗用が問題視されているのかを検討する。

事例①黒人文化と音楽

黒人文化に根差したヒップホップやジャズなどの音楽ジャンルは、アメリカ社会における抑圧と抵抗の歴史と密接に結びついている。にもかかわらず、白人アーティストがこれらのジャンルをスタイルとして取り入れ、商業的成功を収める例が多く見られる。彼らは黒人アーティストが直面する社会的・経済的な障壁を回避しながら、文化的要素だけを利用して利益を得ているとしばしば批判される。

事例②先住民の宗教的象徴

文化盗用の具体事例

アメリカの先住民が持つ宗教的な装飾品や衣装(たとえばフェザーヘッドドレス)は、本来、儀式や部族内の地位を象徴する神聖なものである。しかし、音楽フェスやファッションイベントで、これらを装飾品として身にまとう例が後を絶たない。背景への理解や敬意を欠いたこうした利用は、先住民の文化を軽視し、神聖さを損なう行為として非難されている。

事例③日本の着物と外国人観光客

京都などの観光地では、外国人観光客が着物をレンタルして散策する姿が一般的になっている。多くの日本人はこれを歓迎しており、「日本文化に興味を持ってくれて嬉しい」と受け止める声が大きい。しかし、この行為も欧米では文化盗用と見なされることがある。背景にある文化的意味や礼儀作法を無視して衣装だけを借用することで、文化が消費されてしまうという懸念がある。

これらの三つの事例から見えてくるのは、文化盗用においては「誰が」「どのような背景で」その文化を取り入れているのかが重要だという点である。黒人文化や先住民文化のように、歴史的に抑圧されてきた文化が、文脈を無視して再利用されることで、本来の意味や神聖性が損なわれる危険性がある。一方、日本のように文化を開放的に共有する傾向が強い社会では、盗用と受容の線引きが曖昧になる場合もある。文化の取り入れ方には、それぞれの文脈や状況に応じて、常に「敬意」と「理解」という視点が求められる。


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文化盗用が問題になる理由

文化盗用が問題とされる理由の一つは、文化の背景や意味が省略された形で拡散され、誤った理解が広まる可能性があることだ。たとえば、アメリカの黒人音楽は、奴隷制度や人種差別の歴史と不可分であり、その表現は政治的・社会的文脈を伴っている。しかし、教育やメディアでその背景がきちんと伝えられていない場合、外部の人々が単に「かっこいい音楽」や「流行」として模倣するだけになってしまう。

こうした背景を無視した取り入れ方は、本来の文化に対する敬意を欠くだけでなく、その文化を担ってきた人々の苦悩や歴史を覆い隠してしまう。また、マイノリティが日常的に受ける差別を無視し、マジョリティが同じスタイルを真似して称賛されるというダブルスタンダードも問題視されている。文化を単なる装飾品のように扱うことは、文化の「消費」に他ならず、それが不平等な構造の再生産に繋がると指摘される。


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表現の自由とのジレンマ

文化盗用を批判する立場と、表現の自由を尊重する立場のあいだにはしばしばジレンマが生じる。芸術やファッションは、本来、異なる文化との融合や新たな表現を生み出す場でもあり、ある文化の要素を取り入れること自体が常に悪であるとは言い切れない。しかし、その表現が誰の視点で、どのような意図と理解に基づいてなされているかは問われるべきである。

哲学者ジェームズ・O・ヤングは、文化盗用を「対象の盗用」と「主題の盗用」に分類し、文化盗用による作品が美学的に成功する例は思われているより多く、実際に害や不快感を与える頻度も予想より少ないと指摘している。また近年の研究では、人々が文化盗用かどうかを判断する際に最も重視するのは「その文化の担い手への害があるか」という点であり、適切な文化交流と問題のある文化盗用は、深い理解への努力、対等な関係性、そして文化の担い手からの同意によって区別されることが明らかになっている。

特に力の不均衡が存在する場合、マジョリティによる一方的な借用は、たとえ創造的表現であっても、抑圧の再現と捉えられることがある。したがって、表現の自由を主張する際にも、文化的背景への配慮や対話の姿勢が求められる。


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文化盗用に対する日本人のスタンス

文化盗用に対する日本人のスタンス

日本では、文化盗用に対する意識は欧米諸国ほど高くない。たとえば、観光地での着物レンタルや忍者体験など、外国人が日本文化に触れることを「歓迎すべきこと」と捉える声が主流である。これは、自国文化を世界に広めることへの喜びとも言えるが、一方で「文化の神聖性」や「文脈を踏まえた理解」といった点への関心が薄いとも指摘される。

また、日本人自身が他文化を取り入れる際も、無意識に背景を軽視してしまう傾向がある。たとえば、ハロウィンでの宗教的な衣装のコスプレや、アイヌ文化を装飾的に用いる商品化の例などが挙げられる。こうした姿勢は、文化的多様性への無関心や、マイノリティ文化に対する保護意識の欠如を浮き彫りにしている。

外国人が日本文化を体験することに対して、無理に否定的な感情を持つ必要はない。しかし、その一方で、欧米諸国では文化の取り扱いがよりセンシティブであり、歴史的な差別構造や植民地主義と深く関係しているため、文化盗用が深刻な社会問題として捉えられていることを理解しておく必要がある。こうした国際的な視点を持つことで、自国文化をどう発信し、他文化をどう受け入れるかという態度にも変化が生まれるだろう。



文化盗用を避けるためには

文化盗用を避けるためには、まず他文化に対する「敬意」と「理解」を持つことが重要である。興味を持つことは出発点として大切だが、その文化が持つ歴史的背景や意味を学ぶ努力が求められる。また、当事者の声に耳を傾け、その文化に属する人々がどう感じているかを知ることも不可欠だ。

商品やコンテンツを作る際には、その文化が商業的に利用されることで誰が利益を得るのか、当事者が排除されていないかなど、倫理的な配慮が必要である。また、無知から来る誤用を防ぐためにも、教育の中で文化的リテラシーを高めることが求められる。多様性を尊重する社会の構築には、まず一人ひとりの意識の変化が欠かせない。

まとめ

文化盗用は、単なる模倣や表現の自由の問題にとどまらず、歴史的・社会的な文脈と深く関わっている。特に力の不均衡がある関係性においては、軽視された文化の側に新たな傷を残す可能性がある。けれども、私たち一人ひとりが「知らなかった」で済ませず、違和感に耳を澄ませたり、誰かの視点に立って考えたりすることができたなら、文化は争いの火種ではなく、つながりの橋にもなり得る。文化は人々のアイデンティティであり、その担い手の歴史背景は尊重され大切にされるべきものだ。

Edited by k.fukuda

参考サイト

The Dress Code: Is the Kimono Trend Cultural Appropriation?|Dismantle Magazine
Mosley, A. J., Heiphetz, L., White, M. H., & Biernat, M. (2024). Perceptions of Harm and Benefit Predict Judgments of Cultural Appropriation. Social Psychological and Personality Science. 
Delineating the boundaries between genuine cultural change and cultural appropriation in majority-group acculturation. Social and Personality Psychology Compass, 2023.

About the Writer
Kie Fukuda

k.fukuda

大学で国際コミュニケーション学を専攻。これまで世界60か国をバックパッカーとして旅してきた。多様な価値観や考え方に触れ、固定観念を持たないように心がけている。関心のあるテーマは、ウェルビーイング、地方創生、多様性、食。趣味は、旅、サッカー観戦、読書、ウクレレ。この人が書いた記事の一覧

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