マルチスピーシーズとは
マルチスピーシーズ(複数種)とは、「人新世」と呼ばれる現代において、世界は人間中心ではなく、動植物から微生物に至るあらゆる生物、または無機物まで全ての存在が絡まり合って存在しているという考え方のこと。
マルチスピーシーズでは、人間もこの世界を構成する一部でしかなく、あらゆる生物や環境と複雑に絡まり合い、影響を受けながら成長していくということが、強く論じられている。
人間が今後、どのようにして周囲の生物や環境と良好な関係を築いていくべきか、その方法が研究されており、特に人文科学と生物学の分野で注目されている概念だ。そのためには、多種多様な生き方を分類、種別し、人間以外の種を理解することが最も重要とされる。
つまり、人間と他の種族との相互作用や共生関係、そして不可分性を明らかにするためのベースとなる考え方が、マルチスピーシーズなのである。
マルチスピーシーズが誕生した背景

マルチスピーシーズの考え方が生まれたきっかけは、人中心の文明を発展させてきたことによる様々な社会および環境問題が浮き彫りになったことだ。「人新世」とは、人間が地球の自然環境や生態系に与えた影響に注目して区分される地質時代の名称である。
この影響というのは、地球温暖化をはじめとする気候変動、生物多様性の喪失、人工物の増加による環境汚染など、様々な問題があげられる。人間の食糧を確保するため、家畜をコントロールし、無理な生産を行ってきたこともその一つだ。
こうした状況に対する意識として生まれたのが、マルチスピーシーズである。この考えは、ダナ・ハラウェイが提起した「伴侶種(コンパニオンスピーシーズ)」という概念が元になっている。大の犬好きだったハラウェイは、古来犬と人間がお互いに仲間として共生関係にあったことに注目し、この関係における新たな認識を理論立てて論じた。
ここから派生したマルチスピーシーズは、人新世に関する議論とともに広がりを見せており、2010年代からは、アメリカの文化人類学分野で「マルチスピーシーズ民族誌」が発展しているという。
民族誌とは、従来の文化人類学の研究で行われてきたもので、研究者が対象の民族地域に長期滞在しながら調査し、そこで得た知見や人々の生活を記録したもののことを指す。対してマルチスピーシーズ民族誌は、多様な種に関する調査結果の記録のことだ。人間だけ、つまりモノスピーシーズ(単一種)という考えを捨て、多種との絡まり合いに注目すべきという視点の変化が起きたのである。
ちなみに、この「種族」には、動植物といった生物だけではなく、鉱物などの無機物や人工物、果ては目には見えない神々などの概念も含まれている。
マルチスピーシーズとサステナビリティとの関わり
近年、SDGsの広まりによって「サステナビリティ(持続可能性)」というものが、社会全体や私たちの生活において重要視されている。しかし、一見地球環境に好影響でありそうなサステナビリティという考えも、人間中心主義と大きく関わってきているのである。一体どういうことだろうか。
サステナビリティも「人間中心」?
「地球にいいことをしよう」という考え方であるはずのサステナビリティも、元を辿れば「人間のウェルビーイング」が中心にあるといえるのだ。
例えば、環境保全に配慮する活動を行っていたとしても、ベースに自然は消費されて然るべき資源という考えがあることは否定できない。サステナビリティを考えるときに、どうしても「人間が今後、豊かに暮らしていくためにはどうしたらいいか」という疑問が課題の出発点となってしまうのである。
マルチスピーシーズから考えるサステナビリティ
これに対し、サステナビリティを改めてマルチスピーシーズの観点から問い直す研究が行われている。
例えば総合地球環境学研究所では、人間中心主義によってサステナビリティの概念や対応に制限がかかってしまうのではないかと考え、マルチスピーシーズからサステナビリティを再定義することに努めた。
すべての種族にとってのウェルビーイング、つまり「本当の意味でのサステナビリティ」を達成するためには、そもそもこの世界があらゆる種族の相互作用によって構成されていることを認識する必要がある。その上で対等な関係であることを意識し、永続的に共存共栄できる環境をつくるという目的を設定しなければならない。
マルチスピーシーズが研究される分野

マルチスピーシーズは、現在多くの分野で研究が進められているが、特に注目されるのが都市計画や公衆衛生の分野といわれている。なぜなら、先に述べたようにサステナビリティを考える上でマルチスピーシーズの視点は欠かせないからだ。
例えば、新型コロナウイルスをはじめ、動物由来の感染症は過去100年間で急増しているという。これは、人口増加に伴う大規模開発によって森や山が切り拓かれることで、これまで出会うことのなかった野生動物と接触、結果として未知の病原体に感染するようになったことが原因と考えられている。
このことから、人間の健康を守るためには、ヒト・動物・環境を一つのものと捉え、包括的な健康を保全する必要があるという、「ワンヘルス」の概念が提起されている。このワンヘルスは、マルチスピーシーズと関連が深い考え方だ。
また、経済分野でも今後注目されていくと推測される。経済が成熟し、資本主義の限界ともいわれる今、新たな経済の形を生み出すことが必要とされている。
例えば、経済成長を優先させた大量生産・大量消費社会からの移行として、サーキュラーエコノミー(循環型経済)が目指されている。このサーキュラーエコノミーの3つの原則のうち、特に「Regenerate nature(自然環境を再生させる)」は、「環境と生態系のあるべき姿を再生する」ことを目指しており、マルチスピーシーズと大きく関わっているといえよう。
昨今の企業評価は、こうしたサステナビリティへの取り組みによって判断される傾向にあり、投資家の間でもESG投資が主流になりつつある。
このようにマルチスピーシーズは、あらゆる分野において切り離すことのできない概念として広まっている。
マルチスピーシーズの今後
マルチスピーシーズを考えるときに注意しなければならないのが、「人間中心主義を捨てる」ということと「人間のウェルビーイングを捨てる」ことをイコールにしないことだ。地球環境や他の種族に配慮するあまり、人間の生活を疎かにすることは、マルチスピーシーズの概念には当てはまらない。
ここで活用されるのが、先述のマルチスピーシーズ民族誌といえよう。マルチスピーシーズ民族誌では各種族が独立した個別の存在ではなく、異なる種族間が出会い、つながり、別れ、そして再会するという過程の中で複雑に絡まり合ったり、予期せぬ出来事を起こしたりしながら、関係性を築くと考えている。
人間中心主義への反論の中では、人間の活動のすべてが悪であると極端に捉えられることも少なくないが、「人間も世界を構成する一つの要因である」ことを忘れてはならない。
マルチスピーシーズのアプローチ方法は、世界という大きな枠組みでも、都市という小さな枠組みでも差異はなく、むしろ私たちの身近なところでいえば「地域におけるマルチスピーシーズ」を考えることも可能だ。マルチスピーシーズ視点でまちづくりを行ったり、商品やサービスが開発されるケースも増えていくだろう。
文化人類学や生物学の分野を超えて幅広く適用できることも、マルチスピーシーズが秘める可能性であるといえ、今後さらなる発展を遂げることが期待できる。
まとめ

マルチスピーシーズは、人新世における問題への対応から生まれた概念だ。世界はあらゆる種族が絡まりあって構成されるという考え方は、私たちの住む世界の認識を一変させるものである。
昨今、サステナビリティやウェルビーイングという言葉が急速に浸透しつつあるが、それ自体も人間を中心に考えていないか、という切り口からの指摘に、はっとする人も多いのではないだろうか。それは、非人間が人間を満たすために存在している、という考えが当たり前になっていることが理由と考えられるが、それすらも無意識である人も多いだろう。
総合地球環境学研究所は、人間と非人間の関係はゼロサムゲームのようであってはならないと提唱している。すなわち、人間が生き延びるために、他の種族を消滅させる権利を持ち合わせているわけではないことを、私たちは再認識しなければならないのだ。
参考サイト
Multispecies Ethnography – Anthropology |Oxford Bibliographies
マルチスピーシーズってなに? | 科学コミュニケーターブログ|日本科学未来館
《特集》マルチスピーシーズ民族誌の眺望 序|奥野克己|立教大学
「持続可能性」の定義を「マルチスピーシーズ」の概念から問い直す-人類以外の生物種との共存共栄が鍵- | リリース | 成果発信 | 総合地球環境学研究所
多種が共生共栄できる未来、どう共創できるか? | 最先端研究紹介 Infinity | 愛媛大学
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