
年賀状を出さないのは、冷たい選択だろうか。SNSで人とのつながりの密度や頻度が高まりやすい現代では、関係を保つこと自体に負担を感じる人も少なくない。新年の挨拶をきっかけに、人との距離や関係のあり方を見つめ直してみる。自分にとって無理のない距離感とは何か。年賀状から、心地よいつながり方を考える。
つながりすぎた時代

何かと気ぜわしい年末、「今年の年賀状はどうしようか。出さなければ失礼だろうか。」と、何となく重たい気持ちになる人は少なくない。
気持ちを伝えるはずの年賀状が、いつの間にか義務の色を帯び、年末年始の負担になってしまう。こうした違和感から生まれたのが、「年賀状じまい」という選択だ。
人とのつながりで生まれるこの違和感は、若い世代の実感と重なっている。LINEの未読スルーに罪悪感を覚えたり、常につながっている状態に疲れを感じたりする感覚。それは、「早く返事を返さなければ」「相手の気分を害さないようにしなければ」という圧力と表裏一体だ。
年賀状に感じる負担感とSNSに感じる息苦しさは、媒体こそ違えど同じ構造の中にある。たくさんの人とつながり、求められる気遣いができ、良い関係を続けられる人間であるべき。そんな理想像を、無意識の内に自分に課してはいないだろうか。
年賀状じまいは、続けてきた慣習をやめる行為ではなく、つながりすぎた人間関係のあり方を見直すための良いチャンスだ。関係を断つのではなく、無理のない距離に整え直す。その試みは、現代を生きる幅広い世代に共通する課題への答えにつながっていくかもしれない。
デジタルのつながり、アナログのつながり

SNSの登場によって、私たちのコミュニケーションは格段に効率化された。想ったことや確認したいことを、その瞬間に伝えられ、相手の反応もすぐに分かる。
その即時性と手軽さは、忙しい日常を支える重要なインフラになっている。一方でその裏側には、心理的プレッシャーも存在している。
返信の早さが、相手への関心や誠実さを測る指標のように扱われてしまう場面も少なくない。「いつでも応答できる自分」でいることに疲れを感じる人も増えている。
それに対し、年賀状のようなアナログな手段はまったく異なる時間の流れをもつ。書くまでに考える時間があり、投函するまで、届くまでにも時間がかかる。20~30年ほど前までは、離れた場所にいる人とのやりとりは、電話を除けばそのペースが当たり前であった。
また、ハガキに残る筆跡や選ばれた言葉は、相手と過ごした時間や関係性の思い出を呼び起こしてくれる。もう会えない相手であれば、ハガキは単なる伝達手段以上の価値をもつことになる。手元に置く限り、喜びや安心感を与え続けてくれるだろう。
しばらく連絡を取っていない相手でも、年賀状に記載されていた住所などの情報が、再びつながるきっかけになることもある。
デジタルかアナログか、どちらが優れているということではない。両者の異なる性質を意識してつながり方を使い分けることで、自分にとって無理のない距離感を見つけられる可能性がある。
あえて年賀状でつながるという選択肢

年賀状じまいが広がる一方で、年賀状という手段そのものが不要になったわけではない。
2024年12月に朝日新聞が実施した全国電話調査では、年賀状を「送らない」と回答した人が57%にのぼり、「送る」と答えた人は約4割。(*1)これは5年前の調査結果と割合が逆転しているが、年賀状を続ける人も一定割合存在することが分かる。
デジタルで日常的につながれる時代だからこそ、年に一度、時間と手間をかけて思いを届ける行為は特別な意味をもつ。年賀状は過去の慣習ではなく、つながり方を自分で選び直すためのツールとして再定義してみる。
年賀状をやめるか続けるかの二択ではなく、全員に送る義務から離れ、本当に年賀状を出したい相手を選ぶ。そんな選択肢もまた現代的なあり方ではないか。
年に1度がちょうどよい
人との関係は、頻繁につながっていなければ維持できないものだろうか。実際には、しばらく連絡を取っていなくても、再会すれば自然に会話が始まる相手がいる。年賀状が担ってきたのは、関係が消えてしまわないための最低限の接点だったともいえる。
年に一度、近況を伝え合う。それだけで、相手の存在を思い出し「つながっている」という感覚を保つことができる。頻度が低いからこそ、相手の生活や一年分の変化に想いをはせ、ペンを執る。
年中行事なので、年に一度というペースを後ろめたく思う必要もない。この頻度が、相手にとっても自分にとっても、濃密ではないが長く続く関係性を保つための土台になる。
つながりを弱めるのではなく、持続可能な形に整える。その意味で「年に1度」という頻度は、現代の人間関係にとって思いのほか理にかなった距離感なのかもしれない。
時間をかけ想いを込める
年賀状を全員に送るという前提を無くせば、相手の顔やこれまでの関係を思い浮かべながら、年賀状を出す相手を一人ひとり選ぶようになる。そのプロセス自体が、相手への想いを整理する時間になる。
文面を考えるときも同様だ。瞬時に返すメッセージとは違い、短い一言でも年賀状には「この人に向けた言葉」を探す時間がある。近況をどう伝えるか、どんな言葉なら無理なく届くだろうか。そうして選ばれ、手書きの文字で運ばれる言葉は、SNSとは違った印象を与えるはずだ。
時間と手間をかけるからこそ、年賀状は単なる情報伝達を超えたものとなる。年賀状を「特別な体験」として位置づけ直せば、年賀状じまいの先にある、新しいつながり方が見えてくるだろう。
心地よいつながり方を求めて

年賀状じまいという言葉には、「終わりにする」「関係を断つ」といった、どこか冷たい響きがつきまとう。しかし本来それは、人との縁を手放す行為ではなく、関係のもち方を見直し整え直すための選択ではないだろうか。
SNS以外の形で新年のメッセージを届けたい相手には、あえて心を込めて年賀状を書く。その行為は、効率重視のデジタルコミュニケーションとは異なる、手間を伴うからこその特別さをもつ。普段は手紙を書く習慣がなくても、年賀状であれば受け取る側も不自然には感じないはず。
一方で、誰にでも同じように年賀状を送り続けることが負担になったとき、無理をして続ける必要はない。本当に送りたい人を選び、数は少なくても気持ちのこもった一枚を書く。それもまた、関係を大切にするあり方である。
年賀状じまいをきっかけに、人とのつながりの数や頻度を見直してみる。頻繁なやり取りに安心を覚える人もいれば、年に一度の挨拶があれば十分だと感じる人もいる。人との距離感に正解はなく、大切なのは自分にとって無理なく続けられる関係であることだろう。
年賀状を出すか、出さないか。その二択ではなく、「どのようにつながりたいか」を考える時間として年末年始を捉え直してみる。小さな選択の積み重ねが、相手への誠実さとなり、結果として自分自身の心地よさ――「ウェルビーイング」につながっていくのではないだろうか。
Edited by c.lin






















曽我部 倫子
大学で環境問題について広く学び、行政やNPOにて業務経験を積むなかで環境教育に長く携わる。1級子ども環境管理士と保育士の資格をもち、未就学児や保護者を対象に自然体験を提供。またWebライターとして、環境、サステナブル、エシカル、GXなどのテーマを中心に執筆している。三姉妹の母。
( この人が書いた記事の一覧 )