
黄金の侵略者、背高泡立草(※1)
三浦半島では秋になると子安の里の路肩や河川敷などに「黄金の壁」が出現する。背高泡立草。その名の通り、背の高い泡立ちしたような黄金色の花穂をつける植物だ。

今では秋の見慣れた風景のひとつになりつつあるが、そもそもは明治時代に切り花用の観賞植物としてアメリカから持ち込まれた外来種である。輸入物資に付着していた種子が空き地などで育ち、全国に拡散していったと見られている。
特筆すべきはその圧倒的な繁殖力の強さだ。地下茎で群落を広げ、他の植物に生きる余地を与えないスピードで辺り一面を占拠する。彼らの出現によって里山の在来植生が大きく変わったのが容易に想像できる。その攻防を現在進行形の生存競争として見せてくれる畑のおかげだ。黄金色の花穂が秋の風に揺れる光景は美しくも思えるが、畑においては太陽と養分を独占し、野菜の生育を阻害する厄介な侵略者となるのだ。強い者だけが生き残っていく。そんな自然界の苛酷さは人間社会の比ではない。
彼らは環境省でも「外来生物法」により生態系を破壊する「要注意外来生物」に指定されている。
水域を砂漠化する捕食者、アメリカザリガニ
子安の里の流域河川にも生息するアメリカザリガニも生態系に深刻な影響を与える要注意外来生物だ。理由はその雑食性にある。彼らは貝類、昆虫、魚卵、水草などあらゆるものを食べる。一度でも川や水田に放たれれば、メダカやオタマジャクシ、ヤゴなどの水棲生物は捕食し尽くされて姿を消す。しかも彼らは一度の産卵で数百匹増える。水域が砂漠化して食べるものがなくなっても共食いによって種を繋ぐので、あらゆる種が絶滅してもアメリカザリガニだけは消えることがないと言われる生物多様性の破壊者なのだ。
横須賀市外来生物バスターズモデル実行委員会の資料によると、アメリカザリガニも背高泡立草同様、1927年にウシガエルの餌や食用としてアメリカから持ち込まれた特定外来生物だ。

先月、「ありんくりんの森」の伊藤力さんが実行委員を務めているとのことで足を運んだ「アースデイ横須賀2025」でも「NPO法人三浦半島生物多様性保全」の方々が外来生物対策を周知する為のブースを出されていた。地元の川や池で捕獲したアメリカザリガニを使ったザリガニ釣りだ。

子どもたちはザリガニ釣りを楽しみながら、川にザリガニを放してはいけないことを教わっていた。加熱して寄生虫を駆除すれば食べることもできると聞いて、娘はとても驚いていた。アメリカやフランスのように日本でもザリガニ料理が定着していれば彼らが在来種を根絶する問題も起きていなかったかもしれない。いや、そもそも彼らが食料増産という経済活動の為に持ち込まれていなければ、日本の小川では今もメダカやオタマジャクシが泳ぎ、ヤゴが孵化してトンボになり、夏の夜には蛍が舞っていたかもしれないのだ。
静かに大地を覆い尽くす可憐な占領者、トキワツユクサ
「chotto」の三木真理子さんの活動フィールドである関根川渓谷の斜面を占領しているトキワツユクサも厄介な外来種だ。

初夏に小さな白い花を咲かせる彼らは昭和初期に観賞用としてアメリカから持ち込まれた。強さの秘密は日陰や乾燥にも強いことだ。環境適応性も高い彼らは滅多に人が訪れなくなった里山の大地を静かに覆い尽くしていく。雑草防止のマルチシートのように在来種の生育を阻害し、気づいたときには多様な植物が共生していた里山を独占している。トキワツユクサだけが群生する大地は人間が里山に手を入れなくなったことの象徴でもあるのだ。日本の野山の風景を変えてしまう恐れがあると、彼らもまた、要注意外来生物に指定されている。
科学的な正義と倫理的な正義にどう折り合いをつけるか
菜園では今年もまた背高泡立草を駆除する季節になった。秋に咲き終わった花が種を零す冬の間に駆除して次の年の繁殖を抑えなければならない。

「大地の再生®」に学んだように、竹ならば地際から水平に切るところだが、繁殖させたくないので掘り起こして根っこごと抜いていく。種子が土の上に落ちないよう花ごとゴミ袋に入れて焼却処分する。毎年のことながら、本当に胸が痛む。命を育てる為に別の命を殺さなければならないという矛盾。なぜこんなことをしなければならないのかを調べてみて、背高泡立草の繁殖力の強さが観賞用に大量栽培する為に施された品種改良にあると知り、愕然とした。誰かの利潤追求の負債で、別の誰かが苦しめられる。背高泡立草がわたしたちに強いる理不尽さは経済を優先してきた社会の闇そのものだと思った。
一度絶滅した種は二度と再生しない。だからこそ在来種を根絶していく強い外来種は生物多様性を守るために駆除しなければならない存在なのかもしれない。しかし、彼らもまた命である。しかも、だ。彼らは自ら望んで海を渡ったわけではない。人間によって持ち込まれたにも関わらず、人間が適切に管理しなかった結果、人間だけでなく、生態系に大きな影響を及ぼしてしまっているのだ。なんと哀しい存在なのだろう。彼らもまた被害者なのだ。生態系の保全の為とはいえ、彼らを大量に焼却処分することは本当に正義だと言えるのだろうか。背高泡立草を駆除し続けることにためらいを感じた。外来種の命を奪うことと多様な生物の命を保護するという価値観の間に矛盾が生じていた。生物多様性の保全という科学的な正義と、命は平等であるという倫理的な正義にどう折り合いをつければいいのか、苦しんでいた。
里山保全の答えはゼロか、100かではない

もっとも好ましくないのは外来種に対して感情論を振りかざすことだ。また、ゼロか100という二極論でもない。前述した外来種はすでに50年以上、何世代にも渡って日本で命を繋ぎ続けている帰化植物なのだ。根絶させられた在来種も含めた環境の変化を受け入れつつ、その変化が多様な生態系をこれ以上破壊し尽くさないよう人間の手で適正かつ人道的に管理していく。
必要最低限の駆除は行うが、過剰な苦痛は与えない
それこそが長年、適正に管理することで均衡を保ってきた里山を手放した上に、自分たちの都合で外来種を持ち込んで生態系を破壊したわたしたち人間がすべき償いなのではないだろうか。そもそもの問題はあらゆる種を絶滅させてきた人間の身勝手さにあるのだ。わたしたちもまた、里山の一員として多様な種と共生していかなければならないのだと思った。背高泡立草とも、アメリカザリガニとも、トキワツユクサとも共生共存できる、里山の未来の為に。
「わたしたちが毎日食べているお米もそもそもは大陸から稲作技術とともにもたらされた外来種ですもんね」
関根川の渓谷でトキワツユクサと共生する落とし所を模索していた三木さんもそう言っていた。
時計の針は前にしか進まない
三浦半島で多様な生物と人間が共存共生する里山再生の基準とされているのが、絶滅危惧種でもある猛きん類サシバの繁殖だ。谷戸田を中心に形成されていたかつての三浦半島の里山は渡り鳥であるサシバの営巣地だったが、餌となる田んぼのカエルや蛇、バッタなどが減ったことで飛来しなくなったと見られている。

わたしも環境審議委員を務める横須賀市では先述したNPO三浦半島生物多様性保全が中心となって官民一体で「サシバプロジェクト」を進めている。水田再生による生き物の為の湿地作りが進められている。すでにサシバの餌となるカエルの姿も確認されているという。
外来種である背高泡立草やアメリカザリガニが日本で大繁殖したもうひとつの理由に天敵がいなかったことが挙げられる。他の地域ではサシバがアメリカザリガニを餌にしているのが確認されたそうだ。三浦半島が再びサシバの営巣地になった暁には、かつてはいなかったアメリカザリガニがサシバの餌として食物連鎖に加わっていくのかもしれない。天敵がいなかった背高泡立草も近年は昆虫の蜜源になりつつあるという。盛者必衰の理をあらわすのが世の常だ。誰もが別の誰かの為に存在している。天敵のいない一強時代から、長い年月を経て、新しいバランスができていく。そのときこそ外来種の彼らも、真の帰化植物、帰化生物になるのかもしれない。
ネイチャーポジティブについて議論するとき、時計の針をどこまで戻すのかという考え方がある。だが、時計の針は前にしか進まない。わたしたちは未来にしか進めない。2040年、娘が大人になった未来では里山の川で釣られたアメリカザリガニの唐揚げや背高泡立草のペペロンチーノなんかが当たり前のように食卓にのぼっているのかもしれない。ふとそんな未来を思った。旅するように暮らすこの町で。
2025年12月12日

注解・参考サイト
注解
※1 背高泡立草(セイタカアワダチソウ):北米原産のキク科の多年草
参考サイト
NPO法人 三浦半島生物多様性保全
横須賀市自然人文博物館
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。







































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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