
東京湾に浮かぶ「ごみの山」が、豊かな森が広がる公園に変わった。かつて廃棄物が積み上げられた場所に、今では多様な生き物が暮らしている。荒れ果てた土地は、どのようにして市民の憩いの場と変化していったのだろうか。本記事では、都市の資源を循環させる土づくりと、都民参加型の森づくりを紹介し、環境再生のヒントを探る。
ごみ山が「自然の森」に変わる

かつては廃棄物で埋め尽くされていた東京湾に浮かぶ島の一角に、現在は豊かな緑が広がっている。2025年3月にオープンした「海の森公園」である。東京ドーム約13個分にあたる60ヘクタールの広大な敷地に24万本もの木が生い茂り、多様な生き物が暮らす自然公園となっている(*1) 。
しかし、海の森公園がある場所はわずか数十年前まで、高さ30メートルにも達するごみの山だった。1973年から14年間にわたり、1,230万トンものごみが積み上げられた最終処分場だったのだ(*1)。 それが現在では、東京タワーやスカイツリーを一望できる憩いの場へと生まれ変わっている。
ごみ山はどのようにして「自然の森」へと変わったのだろうか。そして、海の森公園が私たちに問いかけるものとは何なのか。ここからは、海の森公園が生まれるまでの歴史や生み出すうえでの工夫などを述べながら、環境について考えていきたい。
海の森公園とは?かつて「ごみの山」だった最終処分地

海の森公園があるのは、東京湾の中央防波堤内側埋立地と呼ばれる人工島だ。島は、1973年から1987年までの14年間、東京23区から出される家庭系ごみや事業系ごみの最終処分場として使われていた。高さ30メートル、1,230万トンにおよぶごみの堆積によって作られた、文字通り「ごみの山」だったのである。
東京湾は水深が浅いため、埋め立てしやすいという地理的な特徴があった。江戸時代から人口増加とともに埋め立てが繰り返され、現在の江東区や中央区の大部分は、かつて海だった場所に生まれた新しい土地だ。高度経済成長期には、増加するコンテナ貨物に対応するため東京港の機能強化が求められ、沖合への開発が進んだ。しかし、港の機能が強化される一方で、都民が海に親しむ機会は失われていった。
このような状況を受けて東京都は、1970年に「東京都海上公園構想」を策定した(*2) 。東京港に計画的に公園を作り、海の魅力を取り戻す試みだ。海の森公園も、構想の一つとして位置づけられた。
しかし、実際に森づくりが動き出すまでには長い年月を要した。ごみの埋め立てが1987年に終了し、海の森公園は2007年から本格的な整備が始まった(*1)。 トンネル工事などで出た土を使って地形を造り、その上に植物を育てるための土の層を作り上げる取り組みがスタートしたのだ。
「森」を生み出すテクノロジーと工夫

ごみによって作られた不安定な地盤の上に、どのように森を育てていったのだろうか。
海の森公園を作るにあたって東京都が打ち出したのが、「資源循環」と「都民協働」の2つの軸であった。徹底した資源の循環利用と多くの人々の手による協働作業が、海の森を生み出していく。
資源循環:森を育てる基盤づくり
埋立地に森を育てるには、まず植物が根を張る土を整備する必要がある。海の森公園では、建設工事で出た土の上に、東京23区内の公園や街路樹の枝や葉を集めて作った肥料を混ぜ合わせ、木が育ちやすい土を作り上げた。さらに、浄水場で出た土を再利用するなど、都市から生まれる資源を循環させる仕組みが取り入れられている。
資源循環の取り組みには、東京都と民間事業者との連携が欠かせない。東京都は都内の造園業者と協力し、肥料づくりを進めた。年度ごとに発注される土地の形や状態を整える公園造成工事を受注した業者が、でき上がった肥料を使って土づくりを行うという流れを生み出したのだ。こうして新たな資源を投入することなく、都市の中で循環する素材だけで森の土台を整えていった。
基盤づくりにおいては、埋立地ならではの課題も発生した。地中に埋められた廃棄物からはメタンガスが発生する。1960年代、江東区の夢の島にて、メタンガスが自然発火して何日も燃え続ける事態が起こった(*3)。そのため、海の森公園では鉄のパイプを地中に刺し、メタンガスを継続的に外に出す対策が行われている。
都民協働:2万3,000人が育てた24万本の森
海の森公園の森を生み出す上での苗木づくりは、都民参加型で進められた。作業に携わったのは、2万3,000人にもおよぶ都民・企業・NPOなどさまざまだ(*4)。
小学生や苗木づくりボランティアがどんぐりから育てたものも使われている。どんぐりを拾い、畑に種をまき、発芽した苗を一本ずつ鉢に移して丁寧に育てられた。
植樹活動は、2008年度以降、募集によって毎年春と秋に行われた。2007年度から2015年度までの間に、2万3,000人の参加を得て、スダジイ・タブノキ・エノキなどの苗木約24万本が植えられ、2015年の秋植樹で森部分の植樹は完了した。
資金面では、「緑の東京募金」と呼ばれる日本の国土緑化を推進するための事業に海の森プロジェクトが位置づけられ、2010年度末には目標額の5億円を達成した(*5)。 募金が苗木の購入などに充てられ、都民の思いが形となって森に息づいている。
人と自然が共存する、新しい場所へ

かつてのごみの山は現在、多様な生き物が暮らし、人と自然が共存する豊かな自然公園へと変化を遂げた。
海側に面した「風の森」と呼ばれる斜面の森では、潮風に強いシイやタブノキを中心とした森づくりが進められてきた。使われる苗木は関東地区で育ったものに限定し、地域の遺伝子バランスを守る配慮もなされている。潮風に強い樹木が成長すると、木々に守られるようにほかの植物が育ち、多くの生き物も集まるようになった。
現在、園内ではシマヘビやアオダイショウといったヘビ類、ギンヤンマ、アオスジアゲハ、トノサマバッタなどさまざまな種類の昆虫類が確認されている。舗装された園路の脇には大きく育った木々が立ち並び、そこに設置された鳥の巣箱には多くの野鳥が訪れるようになった。都心部から近い場所でありながら多種多様な生き物に出会えるのは、人工的な環境から離れた立地であることと、森づくりのテクノロジーや工夫の成果だといえるだろう。
また、海の森公園は人々の憩いの場としての役割も果たしている。園内の「つどいの草原」や「ふれあいの林」では、ピクニックやボール遊び、自然観察などさまざまなアクティビティを楽しめる。「わいわい広場」には高さ約14メートルのタワー型遊具が設置され、潮風を感じながらバーベキューも可能だ。西の小山と東の小山からは、海側から都心の高層ビル群やゲートブリッジを一望でき、ゆったりリラックスして過ごせる。
かつてごみが積み上げられていた場所で、今では自然体験やスポーツ、健康づくりなどのイベントが開催され、多くの人が集う。人と自然の距離が縮まり、「自然との共生」という感覚を味わえる場となっているのだ。
私たちの選択が「未来の風景」をつくる

海の森公園は、私たちの行動が環境に与える影響を見える化した場所だといえるだろう。日常生活で何気なく捨てる食べ残しやプラスチック製品など、あらゆるごみは最終的にどこかへたどり着き、環境に大きな負荷をかける。海の森公園のある場所にかつて積み上げられた1,230万トンのごみは、まさに現実を物語っている。
しかし同時に、海の森公園は人間の選択によって未来の風景を変えられるという証明をした希望の場所でもある。絶望的とも思える状況から、人々の協力と努力によって再生が可能だということを示しているからだ。
都市から出る枝葉や浄水場の土を循環させ、2万3,000人もの人々が協働で24万本の木を植える。今ある公園は、小さな一つひとつの行動が積み重なった結果なのだ。
海の森公園の事例を見ると、私たち一人ひとりの選択が未来の地球環境を形作る力を持っているといえる。大量消費を見直し、リユース・リデュース・リサイクルの3Rを徹底するなど、日常の小さな選択が未来を左右していく。
海の森公園を訪れたら、ごみの山であったことを思い出しながらぜひ散策してみてほしい。美しい公園を作り出した背景にある努力と工夫を知ることで、私たち自身の行動を見つめ直すきっかけが得られるはずだ。
Edited by s.akiyoshi
注解・参考サイト
注解
(*1) TBS NEWS DIG「東京・江東区「海の森公園」オープン」
(*2) 東京湾再生官民連携フォーラム「海の森プロジェクト(東京港中央防波堤内側埋立地)の事例」
(*3) 東洋経済ONLINE「海の森水上競技場には何が埋まっているのか」
(*4) 一般財団法人公園財団「海の森公園」
(*5) 笹川平和財団「東京都の海の森プロジェクトについて」
参考サイト
海の森公園
東京都港湾局「海の森公園」
Impress Watch「海の森公園、”未完成”なグランドオープン 自然は豊富・荒涼とした寂しさも」
























エリ
大学時代は英米学科に在籍し、アメリカに留学後は都市開発と貧困の関連性について研究。現在はフリーライターとして、旅行・留学・英語・SDGsを中心に執筆している。社会の中にある偏見や分断をなくし、誰もが公平に生きられる世界の実現を目指し、文章を通じて変化や行動のきっかけを届けることに取り組んでいる。関心のあるテーマは、多様性・貧困・ジェンダー・メンタルヘルス・心理学など。趣味は旅行、noteを書くこと、映画を観ること。( この人が書いた記事の一覧 )