公海の生物多様性を守るBBNJ協定。協定の意義や課題を解説

地球の海の3分の2を占める公海に、ついに包括的な保護ルールが誕生する。2025年9月19日、「国家管轄権外区域における海洋生物多様性の保存及び持続可能な利用に関する協定」(通称:国連公海等生物多様性協定、略称:BBNJ協定)が60か国の批准を達成し、2026年1月17日に発効することが決まった。約20年の国際交渉を経て実現する歴史的な協定により、これまで「誰の所有物でもなかった海」で、生物多様性の保全と海洋資源の公平な利用が始まる。

BBNJ協定、2026年1月に発効へ

2025年9月19日、モロッコとシエラレオネが批准し、BBNJ協定は批准国数が60か国に到達した。公海の生物多様性を守る史上初の国際協定として、2026年1月17日に発効し、約20年にわたる交渉がついに結実する。

本記事では、歴史的な協定発効の背景から、具体的な保護の仕組み、さらに日本への影響と今後の課題について解説していく。


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BBNJ協定が求められる背景:公海の特殊な性質と危機

なぜBBNJ協定がこれほど重要なのか。その答えは「公海」という特殊な海域の性質にある。

公海とは「どの国の領海や排他的経済水域にも属さない海域」を意味し、地球の海の約3分の2を占める。

これまで「誰のものでもない海」として、生物多様性を包括的に守る国際ルールは存在せず、鉱物開発や漁業など分野ごとに縦割りで管理されてきた。その結果、深海底の鉱物資源開発や海洋汚染、生物の乱獲が野放しになり、貴重な海洋生態系が危機に瀕している。

こうした危機感から2004年に始まった協定交渉は、各国の複雑な利害関係により約20年を要した。さらに新型コロナウイルスによる2年間の中断を経て、2023年3月に最終合意、同年6月に正式採択された。


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BBNJ協定の具体的な内容:4つの仕組みで公海を包括管理

前節で見た法的空白を埋めるため、BBNJ協定は公海の生物多様性を守る4つの主要な仕組みを設けている。ここでは、それぞれがどのように機能するのかを順に見ていこう。

第1の仕組み:海洋遺伝資源の公平な利益配分

海洋遺伝資源とは、海に生息する微生物や魚類などが持つDNA情報を指す。医薬品やバイオ燃料の開発に極めて有用で、巨大な商業的価値を持っている。

たとえば深海細菌の酵素はがん治療薬に、海洋微生物の遺伝子はバイオプラスチックの開発に活用されている。しかし技術力のある先進国の企業や研究機関が、公海で採取した海洋生物から得た利益を独占してきたことが、これまで大きな問題となっていた。

そこでBBNJ協定では、海洋遺伝資源から生まれる利益を途上国を含め公平に分配することを義務付けている。具体的には、研究データの共有、技術移転、商業化で得た利益の一部を途上国支援に回すことが盛り込まれている。

第2の仕組み:海洋保護区の設定

遺伝資源の公平利用に加え、BBNJ協定は公海に海洋保護区を設ける画期的な制度を導入している。海洋保護区とは、生物多様性を保全するために漁業や開発活動を制限する海域を指す。

これまで公海は「どの国の管轄権も及ばない」ため、絶滅危惧種の繁殖地や海山の貴重な生態系でさえ法的に保護できなかった。

今回の協定により、科学的根拠に基づいて特定海域での漁業や海底鉱物採掘を制限できるようになった。なお船舶の航行の自由は維持され、環境保護と経済活動のバランスにも配慮されている。

第3の仕組み:環境影響評価の義務化

保護区設定と並んで重要なのが、公海での大規模開発に対する環境影響評価の義務化である。環境影響評価(Environmental Impact Assessment:EIA)とは、事前に環境への影響を調査・評価する制度を指す。

とくに注目されるのが、深海底の鉱物資源開発への適用だ。深海底には電気自動車のバッテリーなどに必要なリチウムやコバルト、レアアースなどが存在するとされるが、採掘活動は海底の生態系に深刻な影響を及ぼす恐れがある。

そのため協定では、開発計画の詳細や予想される環境影響、その軽減策を事前に公表することを義務付けている。透明性の確保により、国際社会による監視と適切な管理が可能となる。

第4の仕組み:途上国への技術移転と能力強化

上記3つの仕組みを効果的に運用するには、すべての国が参加できる体制が不可欠である。途上国が取り残されれば、協定の目的である「公平な利益配分」は実現できない。

そのため先進国には、途上国への海洋研究技術の移転や人材育成支援が義務付けられている。具体的には、海洋調査船の共同利用、研究者の交流プログラム、データベースへのアクセス提供などが盛り込まれている。

こうした技術移転により、海洋研究や保護活動における国際的な格差が是正され、真の意味での国際協力が実現することが期待されている。

BBNJ協定と日本への影響:海洋立国としての責任と課題

前節で解説した4つの仕組みは、海洋研究で世界をリードする日本に重大な影響を及ぼす。日本は約447万km²と世界有数の規模の排他的経済水域を有する海洋立国であり、同時に先進的な海洋研究技術を持つ国でもある。

2025年5月、日本はBBNJ協定の批准について国会承認を得ており、発効と同時に締約国となる。締約国としての日本には、研究や財政、法制度面で新たな負担が生じる一方、技術や知見を生かす新たな機会も広がる。以下では、その両面を具体的に見ていこう。

研究活動への新たな制約と手続き

最初に直面するのは、海洋研究活動における手続きの複雑化である。これまで比較的自由に行えていた公海での調査も、新たに規制の対象となる。

具体的には、研究活動の6か月前までに調査の目的、対象海域、採取予定の生物サンプルなどの詳細を国際機関に通知しなければならない。採取したサンプルには固有の識別子が付与され、利用状況を追跡できる仕組みが導入される予定だ。

透明性の確保や利益配分の公平性という観点では重要な手続きだが、研究者にとって新たな負担となるのは確かだ。

財政負担の大幅増加

研究手続きの複雑化に加え、日本は「先進締約国」として重い財政負担を負うことになる。今回の協定を運営する特別基金に対し、特別基金への追加拠出が議論されており、日本の分担金は通常より重い負担となる見込みだ。

国際海底機構に対する日本の2024年度拠出金が、約1.3億円(注1)であったことを踏まえると、BBNJ協定関連では数千万円規模の追加負担が見込まれる。

途上国支援や協定運営の安定化には不可欠な拠出だが、厳しい財政状況にある日本にとっては新たな課題となる。

国内法整備と研究機関への対応

財政面だけでなく、制度面でも大きな変革が求められる。協定を国内で実施するため、日本は関連する国内法の整備を急ピッチで進めている。

また、大学や研究機関にも変革の波が及んでいる。採取サンプルの記録管理、利益配分に関する手続き、国際通知義務への対応など、これまでになかった複雑な業務が発生するためだ。研究機関は管理体制の強化を迫られている。

海洋立国日本の戦略的対応

BBNJ協定は日本にとって負担だけではない。優れた海洋技術を持つ日本企業にとっては新たなビジネスチャンスとなり、途上国への技術移転は日本の技術力を世界に示す機会でもある。

また海洋保護区の科学的管理や環境影響評価の分野では、日本の専門知識が国際的に評価される場面が増えると予想される。

重要なのは、日本が積極的に関与し、科学的で実効性のあるルールづくりに貢献することだ。まさに海洋立国としてのリーダーシップが求められている。

BBNJ協定の実効性への課題:理想と現実のギャップを埋めるには

日本を含む各国への影響を踏まえた上で、最後にBBNJ協定が直面する根本的な課題を確認しておきたい。今回の発効は確かに歴史的な成果だが、本当の成功は今後の具体的な運用にかかっている。

詳細なルールの策定

BBNJ協定における最大の課題は、多くの具体的なルールが未決定のまま発効する点にある。たとえば、環境影響評価(EIA)の実施基準や評価の透明性確保についてはまだ各国の合意がなく、統一的な運用は見通せていない。また、海洋保護区をどの科学的根拠に基づいて指定するか、その指標も定まっていない。利益配分の方法も「どの段階の商業化利益を分けるのか」といった点で合意が先送りされている。

こうした複雑な問題を短期間で解決するのは現実的に難しい。拙速な決定は協定を骨抜きにする恐れがあり、逆に慎重になりすぎれば海洋保護が手遅れになる。ここに大きなジレンマがある。

既存機関との複雑な調整

課題をさらに複雑にしているのは、既存の国際機関との関係調整である。公海ではすでに、国際海底機構(深海底開発)、地域漁業管理機関(漁業管理)、国際海事機関(船舶航行)など多くの国際機関が活動している。たとえば、深海鉱物資源の採掘規制とEIAの適用範囲が重複する可能性や、漁獲制限をめぐって地域漁業管理機関との権限が競合する懸念が指摘されている。BBNJ協定の新たな仕組みが、これら既存の枠組みとどのように調和するかは未知数だ。

効果的な海洋管理を実現するには、国際機関との綿密な調整が不可欠である。しかし、それぞれの機関には独自の歴史と利害関係があり、合意形成には相当な時間と努力を要するだろう。

まとめ:科学的根拠に基づく運用の重要性

BBNJ協定の成否を左右するのは、科学的根拠に基づく運用を徹底できるかどうかにある。政治的な思惑や経済的利益が優先されれば、協定は形骸化してしまう。

BBNJ協定とは、人類にとって「地球最後のフロンティア」である公海を守る歴史的な第一歩だ。理想と現実のギャップをどう埋め、実効性のある海洋保護体制を築けるか。まさに私たちは歴史的な転換点に立っている。

Edited by c.lin

注解・参考サイト

注解
外務省「国際海底機構|外務省」(2024年)によれば、日本は2024年に約95.7万米ドル(約1.3億円)を拠出している。

参考サイト

外務省:国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)説明資料
参議院:国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)の概要
環境省:BBNJ協定の国内措置としての環境影響評価ガイドライン
国土交通省:国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)について

About the Writer
芦澤_Sea The Stars

Sea The Stars

大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。哲学や歴史をメインに執筆し、西洋哲学に関する書籍の執筆も担当。厳しい時代だからこそ、寛容さ(多様性)が大事だと考えている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。
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