
海水浴場が消えていく
60年前に母が秋谷海岸を訪れていたと訊いたのは数年前のことだ。会社の同僚と保養所があった秋谷に泊まりがけで海水浴に来ていたという。当時まだ結婚もしていなかった母は60年後に同じ海岸を子や孫と散歩するなんて想像もしていなかったに違いない。
「海の家もあって、今より賑やかだったわよ」
母の記憶通り、秋谷海岸にも海水浴場だった時代があった。海水浴場は砂浜で海の家などを営む事業者の要請により条例に基づいて設置される。安全に海水浴を楽しむための遊泳区域の分離、監視員による安全管理や水質調査が行われる。
わたしが暮らし始めた2010年はすでに海水浴場ではなくなっていたが、海沿いには昭和の風情を感じさせる通年営業の食堂があり、夏場は海の家のように海水浴客で賑わっていた。今になって思えばあの海辺の食堂が海水浴場時代の名残りだったのかもしれない。

海の家が消えていく
昭和の夏が懐かしくなると、わたしはバスで10分ほどのところにある葉山・一色海岸に足を伸ばす。800mに渡って弓形に広がる海岸線。透明度が高く最高ランクAAを誇る水質。米国CNNの「世界のビーチ100選」にも選ばれている美しい海岸だ。

明治27年に御用邸が竣工されて以来、ロイヤルビーチとも呼ばれている。
一色海岸は2025年の夏も海水浴場が設置されている。最盛期と比べて店舗数は減ってしまったが、今も立ち並ぶ海の家には昭和・平成・令和というビーチカルチャーの変遷が感じられる。
地元の竹を資材に作られている「Blue Moon」。ビーチリゾートのラグジュアリーな雰囲気が味わえる「SAIL HUS」。わたしが好んで立ち寄るのは昭和の風情を感じさせる「一色ロイヤルビーチ」だ。

海水浴で身体を冷やし、海の家でわかめラーメンやカツカレーを食べる。かき氷やクリームソーダを頬張る子どもたちの笑顔。サンセットにビールを飲む頃には完全に昭和の夏にタイムスリップしている。思いを馳せるのはいつも、手に入れたものと失ったもののことだ。
海の生態系が消えていく
目に映るすべてが時代とともに移ろいゆく中で、わたしたちは海を永遠なるものと感じてしまう。潮の満ち引き。打ち寄せる波。潮の流れ。太陽や月のようにいつも同じリズムで時を刻んでいるような錯覚に陥ってしまう。しかし、太陽が11年周期で過去と未来を繰り返しているのと同じように、海もまた刻々と変化している。
明治時代から葉山のビーチカルチャーの舞台となってきた一色海岸ではどんな変化が起きているのだろうと考えたとき、真っ先に話を聞いてみようと思ったのがライフセーバーだった。赤と黄色のユニフォームで知られる”海の正義の味方”。「海でやることといえばゴミ拾い、監視、パトロール、迷子の世話、たまに溺れた人を助けたりしてまたゴミ拾い。それでもぼくたちは海に出る」。そんなライフセーバーたちのひと夏を描いた『早乙女タイフーン』(2001年テレビ朝日)という連続ドラマの脚本を書いて以来、わたしの心の中にはずっとライフセーバーがいる。思えば都会で暮らしていたわたしが海のそばで生きてみたいと思うようになったのも執筆にあたって取材させて貰ったライフセーバーたちの生き方に触れたことがきっかけだった。

8月のお盆過ぎ、一色海水浴場を守っている監視所を訪ねた。取材に応じてくれた葉山ライフセービングクラブの加藤智美さんは葉山で生まれ、17歳から故郷の海でライフセーバーとして活動されているレジェンドだ。

30年以上、葉山の海を見てきたという加藤さんにご自身が感じている海の変化について聞かせて貰った。
「浜辺にカジメが上がらなくなったのがこの30年で一番の変化だと思いますね。昔は風に打ち上げられたカジメの片付けから朝の作業を始めていたんですけど、この10年は滅多に見なくなってしまいました」
カジメは浅海の岩礁域に生息する大型の海藻。粘り気とぬめりがあり、味噌汁などに入れて食べられていた。相模湾はカジメが群落を形成する海域のひとつだった。秋谷では明治時代に鈴木ナカという女性が漂流するカジメを原料とするヨードの製造で起業。彼女の息子たちが味の素株式会社として発展させた歴史もあるほどだ。それが葉山でも近年の磯焼けでほとんど消失してしまったという。
「カジメの次はアラメがなくなって、アカモクがなくなって。昔は藻場があることで海の色が黒っぽく見えたんですけど、今は透き通って見える。透明度が高くて綺麗だと思っている人も多いけど、潜ると何もないし、何もいないのに怖くなりますね」
多様な海藻が鬱蒼と茂る海の森は稚魚たちの住処でもあった。葉山でもカジメやアマモの再生活動が行われているがかつてのように浜に打ち上げられるまでには至っていない。
「逆に増えたのはフジツボですね。遊泳区域を仕切っているブイにフジツボがつくんですけど、その量が去年はとても多かった。ワンシーズンに一度、フジツボ落としの日があるんですけど、それでもブイが沈んでしまうくらい」
海水温の上昇も原因のひとつではないかと見られている。相模湾は温暖化と黒潮の大蛇行で近年海水温が2℃ほど高い状態が続いている。
「海水温の上昇でカツオノエボシなど毒性の高いクラゲが打ち上げられることも増えてますね」

ラゲに刺されたりした海水浴客の救護もライフセーバーの業務だが、一方でクラゲに刺される人の数は減っているという。
「SNSで情報が拡散したことも大きいと思います。カツオノエボシも知っているから打ち上げられていても近づかない、触らないという人が多いです」

救護といえば、酷暑により熱中症で救急搬送される人が急増しているが、海水浴場ではどうなのだろう。
「熱中症も昔より減っている印象です。昔はお酒を飲む人が多かった。飲酒が複合的な原因になって熱中症になって救急搬送される人が多かったんです。今はお酒を飲む人も減っているし、普段は飲むけどここまで暑いと逆に飲めないということもあると思います」
だが、救護数の減少はそもそもの海水浴客が大幅に減っているのが最大の理由だという。それも温暖化による災害級の暑さが原因なのだろうか。
海水浴客が消えていく
「暑いと言っても、東京から来ているメンバーによると葉山は海風のおかげで東京と比べて3℃から5℃くらい気温が低いそうです。海水温が上昇していると言っても、まだ海に入れば身体を涼めることができます。それでも来ないのは海が暑いというより、海が来るまでが暑いとか、他に選択肢があるということが大きいと思います」
秋谷が海水浴場ではなくなった原因のひとつでもある「海離れ」だ。
「海水浴客はここまで暑くなる前から減っていました。昔は夏といえば海か山しかなかったけど今は他にも選択肢がたくさんある。今の30代の中には子どもの頃に海水浴をした経験がないので親になっても子どもを海に連れて来ないという人も多いみたいです」
海離れが海の家の営業に響くのはもちろんだが、子どもの頃に海に触れる機会が減っていることによる弊害も起きているという。
「海水浴は減っている一方で特にコロナ禍以降、マリンスポーツを始める人が増えているんです。海水浴の経験がないのにいきなりSUPやカヤックで沖に出ることで海難事故が多くなっています」
子どもにとって海水浴は単なるレジャーではなく、海での安全と環境について学ぶ大切な機会でもあると加藤さんは言う。
「なので子どものうちに海に慣れ親しむ機会を増やせればと『ライフセーバーと遊ぼう』という子ども向けの取り組みも行っています」
「ライフセーバーはすべての人に楽しんで帰って貰うための、海の案内人なんです」という矜持が葉山の海と共に人生を歩んで来られた加藤さんの生き方そのもののように感じられた。
「管理された遊び場と違って、海のように自由を楽しむ場所には必ずリスクがあります。だからこそある程度の知識と経験が必要。だからライフセーバーがいるんです」

それでも、海を愛する人たちが守りたいもの
近年、海水浴場には多くのルールを設けているところも少なくない。遊泳禁止区域では泳がない。飲酒禁止。喫煙禁止。バーベキュー禁止。ゴミは持ち帰る。入れ墨やタトゥーを露出しない。その多くは人命と環境を保護するために定められたものだ。しかし、海は日常において様々なルールに縛られている人が自由という解放感を求めて訪れる場所でもある。
子どもの頃、8月31日の江ノ島で海水浴をするのが我が家の恒例行事だった。宿題の追い込みをしている同級生たちを尻目に海で遊ぶのが好きだった。当時はお盆過ぎには海水浴場としての営業は終わっていて海の家もなかったけれど、プライベートビーチみたいで、自由だった。
秋谷海岸は今は海水浴場ではないけれど、あのときと同じ自由がある。飲酒も喫煙もバーベキューも禁じられてないし、遊泳禁止区域も設定されていない。8月31日の海で味わったような解放感がある。一方で、溺れてもすぐに助けてくれるライフセーバーはいない。10年ほど前には悲しい事故も起きてしまっている。地域住民による声かけや監視、ビーチクリーン活動のように自助と共助で自由を守っていくしかない。ライフセーバーが海で悲しい思いをする人が出ないよう活動しているのも、愛する海を厳格なルールで管理された場所にしたくないからだと今回の取材でも改めて感じた。世界でも数少ない、誰にでも平等に開かれた場所”海のFREEDOM”を守りたいからだと。

砂浜が消えていく
そんなFREEDOMな場所であるビーチが今、消えつつある。
「消えているといえば、砂浜が狭くなっていますよね。昔は広かったし、岩も出ていませんでした。ごろごろの石があってその上に砂があるのが葉山沿岸なんですけど、砂が減ったせいか、岩が出ている日もあります」
加藤さんも話していた。
「あの頃はもっと砂浜が広かったような気がするんだけど」と秋谷海岸を訪れた母も言っていた。
神奈川県の記録によると昭和48年から平成17年までの32年間で秋谷の海岸線は最大箇所で約25mも後退していた。海岸線に沿って立ち並ぶ家屋は越波被害を受け、背後の134号線の歩道が崩落するなどの被害も発生していた。

護岸工事で山から川伝いに運ばれてくる土砂が減っていること。防波堤の建設で潮の流れが変わったこと。温暖化で起きている氷河の融解や海水の熱膨張により海面が上昇し砂浜を浸食していること。複合的な原因で日本では砂浜が減少し続けている。2100年には日本の砂浜の9割が消失するという予測もある。砂浜の消失により経済や文化、暮らしなど様々なものが失われるが、もっとも大きな損失は世界でも数少ない自由な場所が失われることなのではないだろうか。生まれたときからこの浜辺で遊んでいる娘と散歩するたびにそんな不安に駆られている。2100年の8月31日、娘の故郷でもあるこの海が今日と同じ自由が残された場所であって欲しいと祈っている。旅するように暮らす、この町で。
2025年8月24日

注解
*1 Ⓒ公益財団法人かながわ海岸美化財団HPによる。
*2 神奈川県ホームページによる。
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。







































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
( この人が書いた記事の一覧 )