
ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。
そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。
さあ、一緒に出かけましょう。
生産者をめぐる旅の第6回目は、ラムをめぐる旅だ。ケーキを作るときに、蒸留酒やリキュールをほんの少しだけ使うと、グッと本格的な出来栄えになる。なかったらなかったでかまわないのだけれど、あるとないとでは大違い。そういうものって、実はすごく重要な役割を果たしているのだと思う。
はたして蒸留酒やリキュールを作っている人っているのだろうか。大手酒造メーカーでは作っているのかもしれないが、できれば手作りに近いお酒を取材してみたい。探してみると、千葉県に小さな蒸留所があった。
この生産者をめぐる旅シリーズは、おおよその取材先の目星はついていたのだが、唯一、蒸留所が北海道の外にあったこともあり、未知の相手だった。そんなわけで、私自身もどうなることかとワクワクしながら、一路、千葉県南部の大多喜町へと向かった。
蒸留の魅力は原料からお酒へのジャンプ

戦国時代から栄えたという城下町の街並みから、山のほうにしばらく歩いて行くと、森の中にひっそりとmitosaya薬草園蒸留所はあった。
静かなところだなあと思ったのは束の間のことで、ちょうど地域のお祭りがあったこともあり、蒸留所の中はたくさんの人で賑わっていた。庭のベンチに座り、代表の江口宏志さんにお話をうかがった。
江口さんには2冊の著作があり、どちらにも肩書きは「蒸留家」と書いてある。ハーブやフルーツなどを原料として、なんと200種ほどの蒸留酒を製造しているのだ。

本の中には、江口さんが20年近く続けていた本屋を辞め、蒸留家を目指した顛末が書かれており、大変興味深い。蒸留所の成り立ちがよく理解できる。また、自然な流れで蒸留家に向かっていった生き方が実に清々しいのだ。ぜひご一読されることをお勧めする。
さて、いったい蒸留の魅力とは、どのようなものなのだろうか。
「蒸留には、原料とできたお酒の間に大きなジャンプがあるんです。蒸留することでこんな面白いものができて、とうれしくなります」
蒸留におけるジャンプとは何だろう。その秘密を理解するには、蒸留の現場を知る必要がありそうだ。
mitosayaでは、ガイド付き蒸留所ツアーが開催されているため、参加することにした。
蒸留所の4つの部屋

元々この地には廃園となり放置されていた薬草園があった。その展示場となっていた建物が、蒸留所として生まれ変わっているのだ。
建物内には4つの部屋があり、お酒造りの工程順に案内していただいた。


1つ目は、醸造・仕込み部屋だ。蒸留する前に果実やハーブを収穫して、発酵樽の中で発酵させなければならない。これが醸造の工程である。
テラコッタの瓶や金属製タンクなどが並んでいるが、中でもひときわ存在感があるのが、巨大な杉樽だ。醤油や味噌の醸造に使われるものだそうで、吉野杉を真竹で編んだ木桶である。杉のいい香りがつくため、果物の発酵槽として使っているとのことだ。
2つ目は、蒸留機の部屋だ。まるで金管楽器のような美しいフォルムの蒸留機は、装飾が施されているわけではないのに格好がいい。この機械で発酵液を熱して蒸気にして、冷却し、原料の成分が凝縮されたアルコール度数の高い液体にする。なんと、蒸留機は1か月かけて江口さんが自分で組み立てたのだそうだ。

「1回蒸留するのに、ほぼ丸一日かかります。同じ原料であれば翌日もできますが、違う原料であれば洗浄するのに時間が必要なので、週に2、3回しか蒸留できませんね。蒸留してできるお酒には、蒸留機から出てくる順番で、ヘッド、ボディ、テールという3段階があります。ヘッドはアルコール分が強いものの、余計な成分も含まれています。製品となるのは、ちょうどいい塩梅のボディなのですが、どこで線を引くかは、蒸留家が自分で決めるのです。つまり、味と量のせめぎ合いがそこにはあります」
なるほど、蒸留の面白さと難しさが感じられるお話だ。
3つ目は、熟成の部屋、すなわちセラーである。蒸留後の液体が、フラスコ型のガラス容器と、オークの樽に入れられて、静かに寝かせられている。半年から一年経つと、まろやかな味になり製品化される。ちなみにヘッドは落ち葉に浸けてポプリにしたり、テールは数種類を混ぜて再蒸留したりというように使われている。
4つ目は、ブレンド・ボトル詰めの部屋だ。こうしてmitosayaでは多種多様な蒸留酒が作られているのだ。
ちなみに同じ原料を使って作ったとしても、できたお酒は毎年違うものになるのだそうだ。生の原料を使うので、同じ原料といっても、毎年異なるからである。この点が、麦などの穀物ではなく、フルーツを使った蒸留酒の特徴である。
とはいえ、現在は、麦を麦芽にして、ウイスキーを仕込んでいる最中でもあった。これもまた、完成が楽しみである。
アグリコールラムとの出会い

ツアーの最後は、お待ちかねの試飲タイムだ。まずは金木犀の花の蒸留酒だ。ふわあっと花の香りが広がってきた。ビンの中に閉じ込められた、甘い秋の香りがする。
梨の蒸留酒にハーブなどを浸漬したベルモットスタイルのリキュールは、度数が低くてスーッと飲みやすい。ハーブの力を感じる。
そしてついにラムに出会った。実は、今回、ケーキ作りに使おうと考えているのが、このラムなのだ。ラムの原料はサトウキビであり、前回、砂糖の話にも登場してきた。
そしてなんと、このラムの原料であるサトウキビは地元産だったのである。千葉県でサトウキビが生産されていたとは、寡聞にして知らなかった。
地元産の原料を使っているため、mitosayaのラムは、希少なアグリコールラムとされる。アグリコールラムは、収穫直後のサトウキビを搾り、新鮮な状態で発酵させるラムのことである。
蒸留後、オーク樽で約2年間熟成させたラムは、甘すぎず、しっかりとした味わいで、それでいてフレッシュな香りを持つ絶品だった。
「サトウキビを搾るところから始まるラム酒作りです。健全なサトウキビでいい発酵状態にすることが重要ですね。このようにして地元の人と、生産物を通じてつながりを持っています」
蒸留酒は、自分のアイデンティティーだと語る江口さんの作ったラムは、スポンジケーキをふくよかな香りで包み込んでくれるだろう。
やってることはみんなうれしい

最後に「蒸留家としてうれしいことは何ですか」とたずねた。すると、こんな答えが返ってきたのだ。
「うれしくないことはやらないように頑張っています。だから、やってることはみんなうれしいんです。そうじゃないとこんなことやる意味ないと思いますね」
うれしいことしかしない人生とは、何と素敵なものだろう。苦労はあっても、それはうれしいことのためなのだ。そんなうれしいラムは、飲む人の心と体を温かくしてくれるにちがいない。

さて、mitosayaで製造しているものは蒸留酒だけではない。例えば、イチジクのお酒を作った場合、蒸留後に出るもろみを活用したソースや、庭での収穫物から作られたハーブティーなど、自然の恵みもろもろが形になっている。まるで、mitosaya薬草園蒸留所をそのままお土産にしているようだなあと思いながら、それらを手にして帰路に着いたのだった。
今回の生産者さん

mitosaya薬草園蒸留所
mitosaya薬草園蒸留所は、千葉県・房総半島南部の大多喜町にある、蒸留所。代表は、蒸留家の江口宏志さん。イラストレーターである妻の山本祐布子さんも共に運営に関わっている。敷地で栽培する果樹や薬草・ハーブ、全国のパートナーたちの作る豊かな恵みを使い、蒸留酒、加工品などをリリースしている。2023年にはノンアルコール飲料の製造・充填を行うボトリング工場「CAN-PANY」を東京都江東区にオープンした。
いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜
文・写真 横松心平
ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、
小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。



























横松 心平
1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
( この人が書いた記事の一覧 )