「いただきます」の再定義。培養肉が運ぶ、新しい“命”への優しさ

近年、肉食を巡る「残酷さ」への意識とともに、培養肉への注目が集まっている。動物の命を奪わずに済むこのテクノロジーは、葛藤を抱える人々にとって希望の光となるだろう。一方で、さまざまな課題があることも否定できない。本記事では、培養肉のメリット・デメリットの双方を紹介したうえで、未来の「心地よい一皿」を考えてみる。

「残酷さ」を意識する人の選択肢

日常的に食卓に上る牛、豚、鶏などの食肉。

それらの生産過程、すなわち「屠殺」を意識している人は、どれほどいるだろうか。この屠殺という犠牲を、日頃の私たちは無意識に遠ざけているように思う。

だがヴィーガンベジタリアンアニマルウェルフェアの考え方が広まったこともあり、肉食に後ろめたさを感じる人も出てきているはずだ。

そのようななか、動物の命を奪わない「培養肉」という選択肢が登場した。

培養肉は、「命を奪うのは残酷だが肉は食べたい」という欲求を解決し得る技術として注目を集めている。一方で、不自然さへの忌避感や安全性への懸念も無視できない課題として持ち上がっている。

これまで動物の命を奪うことで成立してきた肉食とどう向き合うべきか。新たなテクノロジーが登場したいま、私たちは問い直されている。


フードダイバーシティとは

フードテックが目指す「最大多数の幸福」

これまでの食用肉は、地球資源や動物の命を大量に消費することで提供されてきた。

しかし、最新の培養肉には「犠牲を伴わない肉」という新しい道を提示し、私たちが抱える倫理的な矛盾を解消するポテンシャルがある。

まず培養肉の作り方は、動物を殺すのではなく、動物から幹細胞を「分けてもらう」ことから始まる。

取り出された幹細胞は酸素やアミノ酸、グルコース、ビタミンといった栄養が満たされたバイオリアクター(培養槽)のなかで、大切に育てられる。そして2~8週間という短い期間で、通常の肉と同質のものへと成長を遂げるのである。

この生産プロセスは、動物の命を奪うという心理的プレッシャーから消費者を解放できるだろう。

また、環境面でも大きなメリットがある。

世界の温室効果ガス排出量の約14.5%は、畜産業に起因するといわれている。

しかしオックスフォード大学およびアムステルダム大学の研究によると、培養肉なら温室効果ガスを最大96%も削減できる可能性があるのだ(*1)。

このように、培養肉の技術は、消費者、動物、地球環境の負担軽減に大きく貢献する可能性を秘めている。冒頭で述べた「最大多数の幸福」を実現し得るといっても過言ではないだろう。

培養肉の選択は、「地球も動物も傷つけず、自分も気持ちのよい方法を主体的に選ぶ」という誠実な意思表示に他ならないのだ。


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“犠牲”が消えた後の感謝のカタチ

ところで、培養肉の登場は、日本人が大切にしてきた「いただきます」という言葉の精神を問い直す契機にもなるのではないだろうか。

「いただきます」の根幹には、「あなたの命を私の命にさせていただきます」という、命の犠牲に対する深い感謝が込められている。

培養肉は動物を殺すことなく、生きた個体から分けてもらった細胞によって作られる。従来の「犠牲」という前提が消えたことで、感謝の念は迷子になってしまうかもしれない。

その一方で、感謝の対象が命そのものから、それを支える技術・知恵へと変化するという考え方もある。

食事の終わりのあいさつに、「ごちそうさま」がある。

この言葉は、食材を集めるために「走り回った(馳走)」人々への労いだった。であるならば、これからは細胞を育て上げた科学やフードテックのプロセスそのものが感謝の対象になるのかもしれない。

実際、現在の食卓も食材となった命だけでなく、数多くの技術や流通に支えられていることに疑いの余地はない。

果たして、犠牲が消えることで私たちの精神性は本当に形骸化してしまうのか。

むしろ、便利さに慣れ、食材の背景を想像しにくくなった現代において、培養肉という新しい選択肢は「命をいただく」ことの意味を再定義する機会を私たちに与えているように思える。

犠牲が消えたあとの世界で、私たちは一皿の料理にどのような「感謝」を見いだすのか。その答えのヒントは、技術そのものではなく、それを選ぶ私たちの心のなかに隠されているはずだ。


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「不自然さ」への拒絶感と、失われる文化

培養肉は、倫理・環境面の課題を解決する手段として期待される一方、いくつもの課題を抱えている。

まず第一に、多くの消費者は人工的に作られた培養肉を「不自然だ」と思うであろうことだ。

物質的には同じ肉だと頭では分かっていても、その生産プロセスを想像すると忌避感を持ってしまう。理屈ではないこの感覚を変えるのは、なかなか難しいだろう。

第二に、安全性への懸念もある。

製造過程で異物が混入していないか。遺伝子組み換えによって有害物質が発生していないか。こうしたリスクは実際に指摘されていることもあり、不安を感じる人も多いのではないだろうか。

ちなみに、日本では培養肉への忌避傾向がより強く見られる。

東京大学と弘前大学がおこなったアンケート調査では、「培養肉を試しに食べてみたい」と回答した人の割合は、シンガポールで6割、イタリアで5割強であったのに対して、日本では3割強に留まった(*2)。

この調査結果から、海外と比較して日本ではまだまだ培養肉への抵抗感が強いことがうかがえる。

第三の課題として、地域社会や文化への影響という視点も欠かせない。

培養肉生産は工場のタンク内で完結するため、広大な土地や家畜の糞尿由来の肥料を必要としない。

しかし、日本の里山や北欧の伝統的な農業景観は、数千年にわたり人間が自然と共生するなかで形作られ、独自の生物多様性も維持してきた。

だが畜産業のすべてがテクノロジーに置き換えられてしまえば、こうした景観や農村コミュニティ、そして「いただきます」の背景にある精神的な文化が失われるリスクがある。

実際にイタリアは2023年、自国の食文化を守るという名目で、培養肉の生産・販売を禁止する法案を採択している。

これは、効率的な食肉供給という「合理性」だけでは、食の文化的価値を十分に満たせないことを示唆している。

従来の文化とテクノロジーの対立を、どう解消していくか。今後私たちはこの課題と向き合っていくことになるだろう。

テクノロジーは万能な解決策ではなく、あくまで選択肢の1つにすぎない。だからこそ単純な二元論を超えた、丁寧な思考と対話が求められるはずだ。


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「心地よい一皿」を選ぶことは、未来を創ること

培養肉の登場は、命との向き合い方を問い直す契機となった。しかし、本当に大切なのは、どの選択肢が正しいかではない。

重要なのは、1人ひとりが自分の心に「納得感」を持って食卓に向き合えるかどうかだと思う。

培養肉、従来の肉、あるいは植物性の代替肉、どれを選んでもよい。自分が大切にしたい価値観を基準に「心地よい一皿」を選ぶこと自体が、これからの時代の精神的な豊かさへとつながっていく。

そうして自らの意思で選び取った皿を積み重ねることで、未来の食卓はもっと明るく輝くのではないだろうか。

Edited by s.akiyoshi

注解・参考サイト

注解
*1 Artificial meat – the best idea you’ve heard all year! | Practical Ethicsによる
*2 「培養肉」に関する意識の国際調査を実施 ~「培養肉」への関心に各国の意識の差~ | 弘前大学による

参考サイト
The science of cultivated meat | GFI
Is There a Reason for Vegans to Eat Cultivated Meat? | PETA
Cultured meat: Vegetarian or not? Exploring young vegetarians’ and omnivores’ perceptions of this new technology | ScienceDirect
Livestock solutions for climate change | FAO
Artificial meat – the best idea you’ve heard all year! | Practical Ethics
「培養肉」に関する意識の国際調査を実施 ~「培養肉」への関心に各国の意識の差~ | 弘前大学
いわゆる「培養肉」に係るこれまでの状況等 | 厚生労働省
イタリア下院、欧州初の培養肉の生産・販売禁止法案を可決(イタリア) | ビジネス短信 | JETRO

About the Writer
早瀬川シュウ

早瀬川 シュウ

フリーライターとして活動中。「日々の生活に『喜び』を」がモットー。特に、「快適さ」や「居心地のよさ」へのこだわりが強い。子どもの頃から海や森林公園を訪れていることもあって、自然環境や景観への興味関心も持っている。せせらぎの音や木漏れ日、お茶をじっくり味わう時間を好んでいる。
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