トキシック・マスキュリニティとは?有害な男らしさが男性を苦しめる

トキシック・マスキュリニティとは

トキシック・マスキュリニティ(Toxic masculinity、有害な男らしさ(男性性))とは、ステレオタイプな「男らしさ」の概念に沿った思想や行動が、トキシック(毒)になることを指摘した概念だ。

ニューヨークタイムズの記事『What Is Toxic Masculinity?』では、「たくましさ」や「暴力性」などがしばしば「男らしさ」と結び付けられることがあるが、これらは時に、凶悪事件や銃乱射事件につながることもあると述べている。

トキシック・マスキュリニティの具体例

トキシック・マスキュリニティには、以下のような行動や態度が該当する。

弱さにひもづく感情を抑える
「弱い」とみなされることを過度に恐れ、感情を押し殺す。逆に、怒りは誇張して表現し、他者を威嚇することも厭わない。

支配的に振る舞う
家庭や職場で支配者として振る舞う。他のメンバーの意見を聞くリーダーではなく、他者を抑圧し、ワンマンになる。特に女性の意見は軽視する傾向がある。

暴力を振るう
結果を省みず暴力をふるう。学校でいじめっ子になる男子も、トキシック・マスキュリニティが影響している場合もある。DVも典型的なトキシック・マスキュリニティの一例だ。男らしさを家の外で誇示できない人の場合、家庭内で女性より上の立場に立つことで男らしさを回復しようと試み、暴力を振るうケースもある。暴力をふるうことで、他者や自身の人生を台無しにしてしまうことある。実に、世界の殺人犯の9割以上が男性という統計もある。

●勝つことに異様にこだわる
対等な会話をすることができず、勝つことにこだわったり、「論破」に憧れたりする。チームで協力したり、ライバルと切磋琢磨したりすることに価値を見出せず、ただひたすら勝たなければならないと思い込み、時には他者を蹴落とす。

性的な暴力・性的な支配
性暴力を行う。女性の同意を得ず性行為をする。また、性行為での快楽の主体は男性だと思い込む。

トキシック・マスキュリニティの原因

トキシック・マスキュリニティの原因

トキシック・マスキュリニティの根本的な原因は、社会や文化に由来する。日本を含め、多くの国では、性別に基づく役割が長い間存在していた。

男性は「リーダーシップをとる性別であり、強くなければならない」一方で、女性は、「リーダーを補佐する役割であり、優しくなければならない」という性別役割が存在していたのだ。つまり、トキシック・マスキュリニティは、男性を女性の上に置き、支配するものだとする、家父長制が基礎になっていると言える。男性が権力者、強いリーダーであるべきで、女性は男性に従うのが「女らしい」とする価値観は、メディア、教育、家庭、友人関係を通して、繰り返し演じられ、強化されてきた。

特にメディアでは、男性が支配的であるべきだ、というイメージを頻繁に流布している。映画やドラマなどでは、いまだに男性主人公の数が女性主人公の数を大きく上まっていて、それがあまりにも浸透しているために、「女性キャラがメインの映画の数が少ない」ことに女性自身でさえ気づいていないほどだ。

映画では、冷酷で強くてかっこいい男性主人公が成功を収める話が繰り返し描かれる。ヒーローのほとんどは男性だ。アニメやゲームではさらに偏りがあり、戦う役割は男性に偏っている。今では少なくなってきているが、女性は男性がゲームに戦いにかった後に与えられる“商品”や、“セクシー要因”であることも多かった。

テレビのバラエティでは、中年男性のメインMCの横に、若い女性が配置されることが多い。男性のメディア露出は、年齢が上がるのに従って上昇していくのに比較して、女性は年齢が上がるとメディア露出が減り、マスメディアでは中年以降の女性がメインをはることは少ない。男性がリーダーのMCを務め、若い女性が華を添えるために露出の高い衣装や派手な衣装で脇に座っていることも珍しくない。

男性が支配的で、女性が付き従っている構図を繰り返し見せられることにより、人々は「男らしさ」とは何か、「女らしさ」とは何かを学び、その学びを、次世代にも継承していくことになるのだ。

トキシック・マスキュリニティの弊害

トキシック・マスキュリニティの弊害

次に、トキシック・マスキュリニティの弊害について紹介していく。

男性のメンタルヘルスが悪化する

「男の子なんだから泣いたらダメ」「男は強くあらねばならぬ」という自意識を内面化してしまったら、親しい人にさえ、泣くことも、弱さを見せることもできなくなる。特に、男性同士でケアし合うことが難しくなるという弊害がある。

女性は、女性同士で悩みを打ち明けあったり、プレゼントを贈りあったり、ハートの絵文字を送りあったりすることが普通にある。しかし、男性は、そういった人間同士のケアをすることが難しい人も多い。なぜなら、トキシック・マスキュリニティに囚われており、ケアが「女らしい」こと、もっと言えば、「男らしくないこと」だと捉えているからだ。

男女平等を標榜していたとしても未だに多くの社会や文化は、女性を男性よりも下の存在として位置付けている。男性が女らしくあることは、“女々しい”と嘲笑の対象になるのに比べて、女性が男らしくあることはかっこいいとか、賞賛の対象になるのは、社会が男性を女性より上位の存在としてみなしてきた証左だ。

トキシック・マスキュリニティに囚われている人は、「女らしく」なることを恐れて、男性同士でのケアができず、ケアにアクセスすることが難しくなる。キャバクラ等の娯楽施設でお金で出してケアを買っても、一時的なものになりがちだ。精神的な問題が出てきても、精神科にかかる人は、「弱い」と考え、避ける傾向もある。「男たるもの強くなければならない」ため、病院を忌避するようになる。そうなると、メンタルヘルスが悪化しても、回復が困難になる。

イギリスでも日本でも、男性の自殺者は女性の二倍であり、途上国の場合、三倍にもなる。

トキシック・マスキュリニティは男性自身のメンタルヘルスの悪化、回復の遅れ、そして最悪の場合、自死にもつながる恐れがあるのだ。

他者との関係がうまく築けない

ステレオタイプの「男らしさ」は感情を吐露することをよしとしないため、親しい人に感情をシェアすることが難しくなり、それゆえに絆を築くことが難しくなる。

また、ステレオタイプの「男らしさ」は、攻撃的な行動や支配的な態度も推奨するため、ハラスメントの加害者にもなりやすい。

それゆえ、他者との関係がうまく築けずに孤立したり、時には加害者になってしまい社会的地位を失ったりする可能性もあるのだ。

女性や周囲の人に加害する

トキシック・マスキュリニティを内面化しているということは、男性がリーダー、女性はサポーターであるべき、という男尊女卑の考えを内面化しているということでもある。そのため、マンスプレイニングやマンスプレッディングにつながる恐れがある。

マンスプレイニングとは、女性は男性より知識が劣っているはずだと決めつけて、「教える」立場になって説明・説教する男性の態度のことだ。マンスプレッディングとは、電車などの公共の施設で、股を大きく開いて座り、自分の大きさ、男らしさを誇示する迷惑行為のことだ。どちらも、トキシック・マスキュリニティを内面化していることによる迷惑行為だと言える。

以上のように、トキシック・マスキュリニティは、ジェンダーを問わず害を及ぼすものなのだ。

トキシック・マスキュリニティへの対応

トキシック・マスキュリニティに対処するためには、個人のレベルと社会のレベルの両方で取り組む必要がある。以下に、いくつかの対応策を解説する。

次世代に引き継がない

有害な男らしさは、日々、家庭やメディアで学習するものだ。

我が子にトキシック・マスキュリニティから自由になって欲しいと思うなら、男らしさに縛られない教育をする必要がある。例えば、誰かから「男の子なんだから泣いちゃだめ」と我が子が言われているのを見たら、「男の子でも、女の子でも、誰でも泣いていい。感情表現をすることは大切なこと」と都度教える、などの方法が考えられる。そうすることで、次世代に有害な男らしさを引き継ぐことを防げるだろう。

性別役割に対する認識を改める

日本はジェンダーギャップの大きい国であり、男性はこうするべき、女性はこうするべき、という性別役割が根強い。この性別役割に従うことで皆が幸せになれるのか、を改めて考える必要がある。メディアや教育現場で、従来の性別役割とは違ったロールモデルを取り上げることも大切だろう。

男性のロールモデルの幅を広げる

メディアや教育の場において、強い男性だけではなく、感情表現が豊かで共感力の高い男性や、ケア能力の高い男性をポジティブに表象していくことは、男性をトキシック・マスキュリニティの呪縛から解き放つ一助となるだろう。

男性のメンタルヘルスをサポートする

現状、男性同士のケアが女性同士のケアよりもハードルが高いことを鑑みて、男性が気軽にカウンセリングや精神科の受信ができるようになることも必要だろう。そのために、教育やメディアによって精神病に対する偏見をなくし、正しい知識を広めていくことも大切だ。

最後に

トキシック・マスキュリニティは、「男性が横暴に振る舞って女性が迷惑している」という文脈で語られることが多いが、実態は少し異なる。

社会活動家のベル・フックスは以下のように述べている。

「家父長制が最初に男性に要求する暴力は、女性に対するものではない。そうではなく、家父長制は全ての男性に心理的な自傷行為にいそしむことを求め、自らの感情的な部分を抹殺することを求める。感情を抑え込むことがうまくできない男性がいると、家父長的な男性たちが代わって権力の儀礼を執り行い、彼の自尊心を傷つけるだろう」

家父長制から生まれるトキシック・マスキュリニティは、男性が自分自身を沈黙させることから始まるのだろう。トキシック・マスキュリニティから自由になるためには、有害な男性性を内面化している男性自身が、その男性性によって、己に暴力を振るっていることに気がつく必要がある。

参考記事
『男らしさの終焉』グレイソン・ペリー著 小磯洋光訳(フィルムアート社)
『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』レベッカ・ソルニット著 ハーン路恭子訳(左右社)

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