女性の自由や権利を促進する運動が社会に広がるなかで、従来の「女性らしさ」というイメージは徐々に確実に和らいできた。しかし、「男らしさ」のイメージは変化に乏しく、その固定概念から生まれる生きづらさに悩んでいる男性は多くいる。ダンカン・カウルズ氏が制作したドキュメンタリーにて、男性たちが自身が感じてきた苦しみや葛藤を語った。彼らの苦しみの背景には一体何があるのだろうか。そしてこれからのメディアは、どうあるべきなのだろうか。
静かなる男たち
2024年6月、ドキュメンタリー映画『Silent Men』がイギリスのシェフィールドで開かれた国際ドキュメンタリー祭で上映された。製作者であるダンカン・カウルズ氏は、英国映画テレビ芸術アカデミーの受賞歴を持つスコットランドの映画監督だ。
タイトル「Silent Men」は、日本語では「静かなる男たち」を意味する。タイトルの通り、この映画では、「弱音を吐いてはいけない」という思い込みを抱えてきた男性たちが、その沈黙をやぶる。
ダンカン氏はこのドキュメンタリー映画を通じて、男性たちが気持ちを抑えてしまう背景にせまり、この現状を変える策を模索する。映像には、ダンカン氏自身のエピソードだけではなく、SNSで呼びかけ集まった男性たちや旅先で出逢った男性たちのインタビューも含まれている。

ダンカン氏がインタビューを行ったのは、住まいや年齢を問わず、異なる境遇の男性たちだ。彼らは共通して、気持ちを吐き出せない苦しさを告白した。
とある男性は、はじめて父親になってから自分の雰囲気が変わったというが、その変化は視聴者が予想するものとは異なるらしい。彼にとって父親になるという責任は自分の気持ちを吐き出す機会が減ってしまうことだと言う。
一方で、周りから気持ちを隠すことへの疲労感を吐露する男性もいる。また、別の男性は「助けなんて必要ない、誰の助けも必要ないっていうのは、それをしてはいけないっていう考え方があるだけ。その考え方は僕を真っ暗闇に連れてきてしまった」とカメラに向かって話した。
しかし、今まで自分の感情を抑えてきた人たちに、心を打ち明けてもらうのは難しくはなかったのだろうか。ダンカン氏はBBCに次のように述べた。
「おかしいかもしれないけれど、家族に話すよりも、まったく知らない人に話すほうがハードルが低いんです。失うものが少ないからね」
インタビューからは、家族を支える責任感、一人で悩みを抱えつづける苦しさ、そしてその気持ちをもっとも近しい家族にかぎって吐き出せない苦悩を感じる。「頼もしい」「強い」というイメージを守りつづけてきた男性たちは、実は孤立に追い込まれているのだ。
男性は精神的に強いというのは誤解
自分の弱音をこぼす男性を見ると驚きや違和感を感じる人もいるかもしれない。なぜなら、人々は男性にたいして、「泣かない」「忍耐づよい」といった無意識の偏見、つまりアンコンシャスバイアスをもっているからだ。この男らしさというイメージから波及する生きづらさは今に始まった話ではない。
日本では、2014年から2023年までの10年間、男性の自殺率は常に女性の2倍をうまわってきた。1980年まで遡っても、その比率が1.5倍を下回ったことはない。これは他国にも通じる問題で、ダンカン氏の出身国であるイギリスでは、50歳以下の男性の死亡理由の1位を自殺が占めている。
女性は感情的で精神的に弱く、男性は精神的に強いと思われてきたが、それは誤解である。自殺率が明らかにしているのは、社会的なプレッシャーのなかで逃げてはいけない、我慢しなくてはいけないと思う傾向が女性に比べて男性のほうが高い可能性があるということだ
つまり、「男性は強い」という偏見そのものが、男性を生きづらさや苦しみ、そして孤立に追い込んでいるのである。

この映画を作成したダンカン氏自身、身近な人にたいして心をオープンにできないでいた。そしてこのドキュメンタリー映画を作成する際にも、葛藤はまだ残っていたと言う。
ダンカン氏はBBCとのインタビューのなかで、「伝統的な男らしさには社会的な圧力がまとわりついている」と訴えた。
「007シリーズのジェームズ・ボンドのような男性像には今も魅力的なものがあるし、それを追い求める人は多いと思う」「僕の経験から思うに、もう少しオープンさと繊細さを持ち合わせているほうが良い人間関係を築いていける。そのほうが、たのしさ、つながり、そして充足感を得ることができる。だけどそれでも、僕たちは一匹狼であることに惹かれてしまうんだ」
分かってはいるが変えられない。つまり、「男らしさ」というプレッシャーと魅力は、それほど強く男性たちの心に、そして社会に、こびりついているのである。
なぜ男たちは語れないのか
男らしいといえば、多くの人が「頼りがいがある」「我慢強い」「自信に溢れている」「優しい」といったイメージを挙げるだろう。この理想像は、生育環境やメディアを通じて徐々に染みこんできた。
幼い頃から触れてきた「男らしさ」というイメージ
男性たちは、生まれたときから「頼もしくいなければ」と責任感を背負っているわけではない。周りの大人たちやメディアを見て、もしくは言葉で「男なら泣くな」と伝えられ、自分がどうあるべきかという理想像を形成していくのだ。
長い歴史のなかで、狩猟時代も職業が誕生してからも男性は一家の大黒柱として、家族を支える役割を担ってきた。それゆえに「頼もしい」「強い」「泣かない」という特性は、男性には欠かせないものだったのだろう。
今の時代は、戦争が起こらないかぎり命を懸ける義務は生じない。仕事を失ってもどうにか次の職業を見つけられる人は多い。しかし時代背景が変わっても、男らしさという概念は、父親から息子へ、そして孫へと、世代をわたって伝えられてきた。
さらにダンカン氏の映画は、言葉だけではなく、接し方にも「男らしさ」という固定概念が反映されていると指摘している。映画のインタビューに応じたトラウマの専門家は、赤ちゃんを対象にした研究で、女の子に比べると男の子のほうがボディタッチをしてもらう機会が少ないことを明らかにした。子どもという守るべき存在であっても、男の子は「女の子ほど繊細ではなくて、感情的なサポートも不必要だと思われているのではないか」と専門家は言う。
メディアがつくる「男らしさ」という理想
人々との交流だけではなく、メディアも「男らしさ」というイメージを形成し、人々の言動に影響を与えている。
たとえば男性向けのアパレルブランドや美容関連の広告は、筋肉質の男性や、スーツをスタイリッシュに着こなした男性のイメージを起用している。これらのイメージに日々さらされていると、頼もしさや仕事ができるといったような、一定の社会的ステータスが男性には必要だと錯覚してしまうリスクがある。
マスメディアが人々の認識に与える影響の大きさは、2002年に発表された研究で明らかにされている。この研究では、とあるフィジーの学校にかよう女子児童65人を対象に、テレビが普及しはじめた1995年と、その3年後の1998年における体型の捉え方のちがいを調査した。その結果、摂食障害の傾向にある人は3年間で13%から29%に増加。この実験は、メディアには理想像や在り方を確立させる機能があることを証明したのだ。
しかし本来、人の在り方は多様であり、生まれたときの性や自認している性によって定義されるべきものではない。痩せている人だけが女性として認められるわけではないように、男性一人一人の魅力や価値も、メディアに映る男性像のみに集約されるわけではない。
テレビや広告を見て自分を変えなければいけないと感じる人がいるということは、それほどにメディアに描かれている理想像には偏りがあるということだ。

多様化する「女性らしさ」と変化に乏しい「男らしさ」
社会に深く根付いてきた偏見だけではなく、「男らしさ」というイメージは女性にたいする固定概念に比べて変化に乏しいという問題がある。
メディアのなかの女性と男性
メディアのなかで、女性の美の基準は多様化されてきた。たとえば2019年には、女性向けのランジェリー・ブランドであるヴィクトリア・シークレットはプラスサイズモデルを採用。2024年には、Netflixのオリジナルドラマ「ブリジャートン家」でぽっちゃり女優のニコラ・コクランのベッドシーンに登場。彼女は、自身のSNSでどんな体型でも自分を認める「ボディ・ポジティブ」を促進してきた女優だ。
しかしプラスサイズモデルという言葉も、ボディ・ポジティブという言葉も、女性にたいしては使われているが、男性のあいだでは普及していない。ぽっちゃりとした男性が美人の妻を持っていても、それはたいていホームコメディでよく見る、お決まりの設定でしかなかった。
社会的役割にみる女性と男性
メディアにおける女性の美の多様化に加え、社会のなかでも女性の生き方はバラエティに富むようになった。
専業主婦もしくは低賃金の簡単な仕事のみの選択肢から、男女同一賃金の促進や女性起業家・管理職の誕生など、女性のステータスは少しずつ底上げされている。インタビュー記事や映画でも、従来の男性のサポート役という立場から解放され、自らの意思にしたがって活躍している女性が多く描かれるようになった。
そのなかで男性も家事や子育てに参加する人が増えているが、仕事と家庭のバランスをとる男性は「奥さんを手伝う良い旦那」のように、あくまで女性を支える存在として語られることが多い。
つまり男性の働き方やライフスタイルの変化は、男らしさからの解放ではなく、女性の社会進出の一貫として捉えられているのだ。そこには「男らしさ」の一言におさめられるべきではない、個々人の特性や意思は感じられない。
「男らしさ」からの脱却が難しい理由
男らしさという概念は、従来の男性の役割やメディアによって形成されてきた。しかし、男性と女性の役割が少しずつ平等になっていくなか、その概念は不必要なものとなってきている。
だが、だからといって「強い男性」を卒業するのは容易ではない。幼いころから教え込まれてきた概念を手放すことは、今まで信じてきた教えを手放すということだ。さらに「固定概念をなくそう」と言葉で言うのは簡単だが、女性と男性では事情が異なる。
女性の役割の変化について言及すると、今までとはちがう生き方を選択することは、選挙権の獲得や学習の権利、職業選択の自由といった、「自由」と「権利」を得ていくものだった。一方で、「男らしさ」からの脱却は「強い」「一家の大黒柱」「社会的な地位の高さ」といったイメージを手放す印象を与え、「弱い」「負け組」「女々しい」という頼りない人物像に繋がってしまう。
この状況で「男らしさ」を手放すということは、何が起こるか分からない真っ暗闇に進んでいくようなものではないか。語らない選択をつづける理由は、この恐怖にある。
世代によって意見は異なる
男性への固定観念は、女性に比べて変化に乏しいが、それでも状況は決してネガティブではない。少しずつ男性のコミュニケーションの取り方には、変化が生じているとダンカン氏は言う。
たとえばダンカン氏が両親に「愛している」と伝えた際、父親は彼の気持ちや行動を受け入れたものの、少し違和感も覚えた。彼の父親が言うには、「気持ちを伝えないのは、良いサイン。今その人に助けが必要ではなく、充足感を得ているということ」らしい。
これに対してダンカン氏は次のように述べている。「父は動揺を見せてはいけないって考えてきた世代だから、何も言わないことが大丈夫だって意味になるんだ。言いたいことは分かるよ」「若い世代のほうがオープンになろうとする傾向があるんだ」
ダンカン氏は『Silent Men』の制作を通じて、世代によっても意見や考え方が異なることに気付いたと言う。それでも、男らしさというイメージ像からうまれる生きづらさがゼロになったわけではない。だからこそ、彼はこの映画を完成させたのだ。
今後のメディアに必要なこと
BBCは、ダンカン氏のドキュメンタリー映画『Silent Men』を、重たい内容が、見やすい中身になっていると評価している。たとえば、映画のなかには花に蜂がとまっている映像など、やわらかな描写も混ぜこまれている。これは、ダンカン氏がメンタルヘルスについてだけではなく、ユーモアを交えて見る人が笑顔になれるようにしたいと考えたからだ。
実は彼のように真面目さとユーモアを交える工夫は、社会的なメッセージを伝えるメディアには欠かせない。なぜなら、飽きずに最後まで見てもらう必要と、今起きている問題に目を向けてもらうきっかけを作る必要があるからだ。
たとえば2023年に上映された映画「バービー」は、ピンクの可愛らしい世界観とポップでコミカルなキャラクターに溢れており、誰もが楽しめそうな印象を受ける。しかし実は、かなりフェミニズム的なメッセージが込められている映画だ。さまざまな体型・人種・職業・バックグラウンドに基づき、バラエティ豊かなバービー人形が発売されてきたことを知らない多くの日本人にとっては、驚きの内容となった。
ダンカン氏は、自身が作成したドキュメンタリー映画と今後のメディア展望について、次のように語っている。「これ(Silient Menの上映)がハリウッドの在り方を変えるとは思わないよ。ちょっとずつ変わっていくんだ」
さいごに
女性が社会への参画の機会をはばまれるなか、これまで男性は仕事に就き、選挙権をもち、社会をリードする存在として、もしくは家族を守る存在として生きてきた。しかし昨今は、女性の社会進出が進み、男性の役割も変わっている。
そのなかで、男性の生きづらさを伝えているのはダンカン氏のドキュメンタリー映画だけではない。日本を含む多くのメディアで、「男らしさ」から生まれた苦しみや葛藤が語られるようになった。
しかし、その傾向は新聞やニュース番組のコンテンツにとどめられており、彼らの生きづらさに気付いている人は少ないのではないか。私たちは沈黙されてきた問題とその背景に気付き、自分たちが無意識に抱えている偏見や、それによる言動を取り除いていかなくてはいけない。
ドラマや映画のなかで、自らの意思で活躍をする女性たちが描かれるようになったように、男性のロールモデルも豊富に描かれていくことを期待する。
【参考記事】
Silent Men (2024)|Duncan Cowles
Silent Men film asks why so many still struggle to open up|BBC
The Fiji Experiment: How the rise in television led to disordered eating in Fiji|Psychminds
警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移等|厚生労働省自殺対策推進室
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