ネイチャーポジティブとは
ネイチャーポジティブとは、「自然再興」を表す国際的に注目されているキーワードで、自然を回復軌道に乗せるために、生物多様性の損失を回避し、反転させることを意味している。
現代は自然環境の変化によって生物が絶滅するスピードが速くなり、過去1,000万年間に比べて、そのスピードは10倍〜100倍加速しているとも言われている。そうしたネガティブな状態を、経済や社会、政治、技術といった人間の生活にかかわるあらゆる分野における問題を改善してプラスの状態に戻すことがネイチャーポジティブの目指すべき目標だ。
2021年6月には、企業や金融機関が、生物多様性、自然資本に関するリスクや機会を適切に評価し、情報開示することで。適切な意思決定を行うことを目的に、「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD=Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)」が設立され、2023年9月18日には情報開示のフレームワークを公開している。
2024年1月に開催された「世界経済フォーラム(WEF)」の年次総会(ダボス会議)では、KDDIや日本航空といった日本企業80社を含む320社が早期開示宣言を行ったことが報告されており、ネイチャーポジティブに関する動きに世界で注目が高まっている。
ネイチャーポジティブの必要性
地球上では、生物多様性によってすべての生物が互いに影響し合い、補完し合って存在している。例えば、ある種の生態系が失われると、人間を含めた他の生物にも何らかの影響が及ぶ。つまり、一つの種の絶滅によって、全体のバランスに乱れが生じるということなのだ。
わたしたち人類も、バラエティに富んだ生物が存在していることでさまざまな恵みを受け取っている。これは生態系サービスと言われ、「供給サービス(水や太陽など)」「調整サービス(水の浄化など)」「文化的サービス(魚釣りなどの機会が提供されているなど)「基盤サービス(一次産業など生命維持のための基盤となっていることなど)」という4つの種類がある。「水と空気はただ」という言葉もあるが、環境破壊が進んだことによって無料でこれらの生態系サービスの恩恵を受け取ることが難しくなっている。
これまで保たれてきた生態系の絶妙なバランスが近年急速に崩れ始めており、ネイチャーポジティブを実現する必要性が高まっているのだ。なお環境省では、ネイチャーポジティブだけではなく、カーボンニュートラル、サーキュラーエコノミーという3つの要素を統合的に考えることが重要としている。
国際的な動き

ネイチャーポジティブは2020年以降に注目を集めたキーワードだが、G7サミットなど国際的な会議の場で取り上げられるなど注目度は高い。代表的な世界での動きを紹介する。
昆明・モントリオール生物多様性枠組み
2022年12月に、カナダ・モントリオールで開催された「生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)」で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」は、2020年までの国際目標だった「愛知目標」に変わる2030年までの新しい国際目標だ。新しい枠組として、「2050年ビジョン」「2030年ミッション」「2050年グローバルゴール」「2030年グローバルターゲット」などが設けられている。
この中には、生物多様性の保全対策として日本が重視している「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」も盛り込まれており、生物多様性の損失を食い止めるために、2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする目標を定めている。
G7サミット
2021年6月、イギリス・コーンウォールで開催されたG7サミットにおいて採択されたのが「2030年自然協約」だ。この協約には、ネイチャーポジティブの意義である「2030 年までに生物多様性の損失を止め、反転させる」という世界的な使命の達成を目指すことが盛り込まれている。
ネイチャーポジティブの実現のためには自然への投資やネイチャーポジティブ経済の促進が挙げられており、その流れを受けて、2023年4月に札幌市で開催された「G7 札幌 気候・エネルギー・環境大臣会合」では、ネイチャーポジティブ経済に関する知識の共有や情報ネットワークの構築の場として「G7 ネイチャーポジティブ経済アライアンス(G7ANPE:G7 Alliance on Nature Positive Economies)」が新たに設立されている。
日本の動き
一方、日本での動きも活発化している。代表的なのが「生物多様性国家戦略2023-2030」だが、そのほか環境省で行っている取り組みについても解説する。
生物多様性国家戦略2023-2030
「生物多様性国家戦略」とは、生物多様性の保全と生態系の持続可能な利用に関する政府の基本的な計画だ。1997年に最初の戦略が策定され、2022年に「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択されたのを機に改定。2023年3月31日には、自然と共生する社会を2050年までのビジョンとする「生物多様性国家戦略2023-2030」が閣議決定された。
2030年に向けた目標として「生態系の健全性の回復」「自然を活用した社会課題の解決」「ネイチャーポジティブ経済の実現」など5つの基本戦略を設定し、ネイチャーポジティブの実現を目指す。具体的には、「気候変動による生物多様性に対する負の影響を最小化する」「生態系が有する機能の可視化や一層の活用を推進する」など、自然資本を守りつつ活かす社会経済活動の推進などが組み込まれている。
環境省の取り組み
環境省では、ネイチャーポジティブ経済の実現に向けて、次の取り組みを実施している。
●ネイチャーポジティブ経済移行戦略の策定
●TNFDなどの情報開示への対応支援:自然関連財務情報開示のためのワークショップ「ツール触ってみようの会」の開催など
●民間で保全されているエリアなどの自然共生サイト関連:自然共生サイト認定の法制化、経済的インセンティブの検討など
このほか、ネイチャーポジティブ宣言発出の呼びかけや、中小ベンチャー企業と大企業のビジネスマッチングを図る「生物多様性ビジネスマッチングイベント」の開催などを積極的に行っている。
なお、ネイチャーポジティブ宣言とは、企業や団体などが「ネイチャーポジティブの実現を目指す」ことを宣言するもので、産官民の連携によって発足した「2030生物多様性枠組実現日本会議」(J-GBF)が運用。ネイチャーポジティブ宣言には、生物多様性国家戦略の5つの基本戦略の1つ以上の内容を含める必要がある。
ネイチャーポジティブとビジネスの関連
ネイチャーポジティブ経済への移行は、2030年までに年間10兆ドル超の事業価値を新たに生みだし、3億9500万人の雇用を創出すると言われている。あらゆる業界で、自然保全に好影響を与えるような革新的な技術や製品、サービスが新たに生み出され、それによって雇用創出にもつながるとされる。
これは2020年の「世界経済フォーラム」で報告されたことで、環境省ではこの報告をベースに日本における2030年での経済効果は最大104兆円(波及効果を含めると約125兆円)、雇用効果は約930万人にのぼると報告している。また環境省では、ネイチャーポジティブ経済に移行するビジネス機会の具体例として、環境配慮型養殖技術、都市住宅の行動変容と生物多様性の回復による顧客満足の向上、バイオマスや廃材からプラスチックに代わる素材へのアップサイクル、Techベンチャーによる技術活用などを紹介している。
企業としては、TNFDの導入がネイチャーポジティブの実現に向けた取り組みの一つと言える。情報開示に至るプロセスの過程で自社のビジネスと自然との関係を見直すことができ、生物多様性への依存度を把握することで事業リスクに気づくこともできる。その一方で、新たなビジネスチャンスのヒントを見つける可能性もあり、事業拡大につながる可能性もある。
企業のネイチャーポジティブに関する取り組み事例
ネイチャーポジティブは比較的新しいキーワードだが、国内外の企業ではすでにネイチャーポジティブに取り組んでいる企業もある。ここでは、国内企業の代表的な取り組み事例を紹介する。
サラヤ

消毒薬やうがい薬などの衛生用品で知られるサラヤでは、国際協力機構JICAやNGOなどとともに設立したNPO法人「BCTジャパン」を通じて「緑の回廊プロジェクト」を実施している。世界各地では農園の拡大に伴って野生動物の生息地だった熱帯雨林が縮小しているが、このプロジェクトではその土地を買い戻し、分断された緑をつないで「緑の回廊」を復活させることが目指される。
2009年5月に2.2ヘクタールの土地を買い戻したことを皮切りに、2022年10月までに10回にわたって土地の買い戻しを実施している。
キリンホールディングス
キリンホールディングス傘下のメルシャンでは、「日本を世界の名醸地に」というビジョンを掲げ、日本国内製造ワインの市場拡大に向けて有休荒廃地をワイン用のブドウ畑に転換する活動を行っている。
2003年には長野県上田市の農地を取得。ワイン用ぶどう畑「椀子ヴィンヤード」として、年間80トン〜100トン以上のワイン用ぶどうを収穫している。2014年からはこの「椀子ヴィンヤード」で、農研機構との共同で植生調査を実施。垣根栽培・草生栽培のブドウ畑に転換することで、良質で広大な草原に生まれ変わっていることを確認している。
また希少種や在来種の植生活動では、平均出現数が4年で約2倍に増加していることも確認。より良質な草原になっているとし、生物多様性の保全に継続的に貢献できることを報告している。
私たちができること
ネイチャーポジティブを実現するためには、自然との共生を意識した行動が欠かせない。国や企業だけが取り組みを行うのではなく、個人個人が行動を起こすことも重要だ。消費者の意識が変わることで、企業や国の取り組みに変化をもたらすこともできる。
例えば、地域の自然保護活動に参加するといった本格的な活動を行うほか、身近なもので言えば食事や買い物の見直し、フードロスの削減に加え、リサイクル品の活用やゴミの削減、外来品種をむやみに生活に取り入れないことを意識することで、生物多様性や生態系バランスの維持に小さく貢献することができる。
まとめ
世界は前例のない環境危機に直面している。気候変動に注目が集まりがちだが、生物多様性は驚くべきスピードで失われており、対策が急務とされる。こうした背景の中で生まれたネイチャーポジティブという考え方は、企業などが取り組むべき環境課題として急速に地位を高め、企業活動に新しい指針を提示している。
私たち自身もネイチャーポジティブの意義を理解し、生活の中でできる取り組みから行うと同時に、ネイチャーポジティブに関する活動を行う企業や団体を支持することも有効な手段となるだろう。
参考資料
「ネイチャーポジティブ移行による日本への影響について 第4回 ネイチャーポジティブ経済研究会」
SDGs ACTION「ネイチャーポジティブとは? 社会・経済の基盤を守る新たな世界目標」
日本経済研究所「ネイチャーポジティブで経済が変わる」
日経ESG「TNFD早期開示に日本企業80社」
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