食は科学で最適化できるのか?データ化される私たちの身体

「あなたの体質に合った食事」を提案するサービスが、急速に広がっている。テクノロジーの進化により、食はデータとして管理される時代になりつつある。しかし、科学で食事を最適化することは可能なのだろうか。本記事では、科学と食の自由について探っていく。

あなたの体質に合わせる食事。広がるパーソナライズ栄養

もし、あなたのスマートフォンにこのように表示されていたらどうだろう。

「今日の腸内細菌の状態なら、昼食はパスタより玄米のほうがいいですよ」と。パスタを食べようとしているあなたは、玄米に変えるだろうか。

昨今、このような個別化された食事提案は、現実のものになりつつある。これまでの栄養摂取基準は、平均的な人間を前提に作られてきた。1日に必要なカロリー・塩分の目安・野菜の摂取量などは、大勢のデータから導き出された平均値だった。つまり、唯一の正解が最適な栄養だと定められていた。

だが、私たちの身体は決して「平均値」という型にはまるものではない。同じものを食べても、太りやすさや血糖値の上がり方は人それぞれだ。腸内細菌や遺伝、食後の習慣といった目に見えない要素が、一人ひとりの反応を形作っているからである。

こうした流れの中で広がっているのが、一人ひとりの体質やデータに合わせた食事を提案する「パーソナライズ栄養」という考え方だ。予防医療への関心の高まりや、AIによるデータ解析の進化などの影響で、ビジネスとしても急拡大している。世界のパーソナライズ栄養の市場は、2034年までに約669億ドル規模に成長すると予測されている(*1)。

では実際に、どのようなサービスが生まれているのだろうか。

株式会社明治は2024年、腸内細菌を測定して自分の腸のタイプを把握し、それに合った商品と生活アドバイスを提供するサービス「Inner Garden」を開始した。健康診断では見えてこない体の内側を、データで可視化するという発想から生まれている。

株式会社askenが手掛ける「あすけん」は、累計会員数は1300万人を超える食事記録アプリだ。管理栄養士の知見とAIの分析技術が駆使され、料理の写真を撮るだけで各ユーザーに適した栄養計算とアドバイスが届く仕組みとなっている。

ウェアラブル端末の世界でも変化は進んでおり、指輪型デバイスのOura Ringは、睡眠や体温のデータを記録し、食事時間や摂るべき栄養素を考えるヒントとして活用されている。

このように、私たちの日常は今、あらゆる角度からデータで管理されている。栄養学もまた、誰しもに与える共通の答えから「あなただけの答え」へと変わりつつある。だが、食事は本当に、科学で「最適化」できるのだろうか。


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「科学的に正しい食事」は存在するのか

「正しい食事」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。野菜をたくさん食べること、脂質を控えること、あるいは適正なカロリー内に収めることなど、さまざまな回答が出てくるかもしれない。

だが、そもそも「正しい食事」という概念自体が揺らいでいる。栄養科学の研究機関ZOEが15,000人以上を対象に行った調査によれば、同じ食事をとっても、血糖値の上がり方や体への影響は人によって大きく異なるという。同じDNAを持つ一卵性双生児でさえ、食事への反応が違うケースが報告されている(*2)。

つまり、同じカロリーを摂っても、太りやすい人とそうでない人がいる。同じ野菜を食べても、栄養の吸収率が違う。これを食べれば誰でも健康になれるという食事は、少なくとも科学的には存在しないに等しいと言えるだろう。

また、正しい食事を一つに定めにくい原因の一つとして、食の研究の難しさが挙げられる。栄養に関する研究の多くは、「昨日何を食べたか」を自分で報告する形式に頼っている。しかし、人は食べたものを忘却しやすく、無意識に『健康的な食事』を多めに申告する傾向(社会的望ましさバイアス)が、研究上の課題として指摘されている。

つまり、データ化された最適な食事は、曖昧な記憶の上に成り立っている。正しい食事を一言で定めることは、今の科学ではできない。それでも、私たちの身体情報は日々データとして大量に集められ、蓄積され続けている。


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データ化される身体と、食の自由

健康アプリを開くのが、少し怖いと感じたことはないだろうか。記録した食事に点数がつき、足りない栄養素を指摘される。続けるうちに、いつの間にか「アプリに怒られない食事」を選んでいる自分がいる。

便利だと感じる人もいれば、なんとなく息苦しさを覚える人もいるだろう。健康を管理しているつもりが、気づけば何者かに見られているような感覚。その違和感は、あながち思い過ごしではないのかもしれない。

私たちが食事管理アプリに入力した記録や、ウェアラブル端末が集めた睡眠・心拍のデータなどは、「要配慮個人情報」として法律で保護されている。一方、匿名化されたデータは、本人の同意なしに企業間で利用できる仕組みになっている。自分の身体のデータが、どこでどう使われているか、個人には見えにくい構造になっているのだ。

アプリの世界も同じだ。医療・健康系のモバイルアプリは、2021年時点で世界で推定10万件存在するといわれているが、その多くでユーザーのデータが広告主や第三者と共有されている可能性が指摘されている(*3)。健康のために使っているはずのアプリだが、知らないうちに自分のデータを外部へ渡していることになる。

そもそも私たちは、そこまでして「最適化された食事」を求めたいのだろうか。たとえば、仕事後のケーキや深夜のラーメンなど好きな食事を摂った際、「これは脂質が多い」「カロリーオーバーだ」と言われたとする。たとえデータが正しいことは分かっていても、食の自由がじわじわと奪われていく気がするのではないだろうか。夜に食べるスイーツやラーメンなどは、栄養素の数値では最適ではない。しかし、誰かとの記憶や、疲れた自分へのご褒美がそこにあることを、データは測れないのだ。

科学は、食をより深く理解するための手段になる。だが食は、栄養を重視するものであると同時に、文化であり、人とのつながりでもあるのだ。

「何を食べるべきか」を教えてくれる科学は、食をより賢く選ぶための道具にはなる。しかし、「なぜ食べるのか」という問いには答えられない。最適化されきらない部分があるからこそ、食はデータではなく、人間が主役でいられるのではないのだろうか。

Edited by k.fukuda

注解・参考サイト

注解
(*1)パーソナライズド栄養市場規模・シェア・成長レポート(2034年)|FORTUNE BUSINESS INSIGHTS
(*2)Personalized Nutrition Explained: Why Everyone Is Different|ZOE
(*3)無料の健康アプリ、プライバシー管理に問題か|Beyond Health

参考サイト
一人ひとりに適した食を提案・提供する「個別化・層別化栄養」の実現へ|早稲田大学
健康のDX「パーソナライズド・ニュートリション」|NTT EAST
体の状態を可視化! 「免疫チェック」を展開している明治「見える化」サービスより第二弾 腸内細菌を測定し、腸内タイプにおすすめの商品を提供「Inner Garden(インナーガーデン)」|株式会社明治
あすけん| 株式会社asken
Oura Ring
食事摂取量の把握方法と 結果の活用|日本スポーツ栄養研究誌
匿名加工情報 |個人情報保護委員会
日本人の長寿を支える「健康な食事」の あり方に関する検討会 報告書|厚生労働省

About the Writer
中村衣里_中村エレナ

エリ

大学時代は英米学科に在籍し、アメリカに留学後は都市開発と貧困の関連性について研究。現在はフリーライターとして、旅行・留学・英語・SDGsを中心に執筆している。社会の中にある偏見や分断をなくし、誰もが公平に生きられる世界の実現を目指し、文章を通じて変化や行動のきっかけを届けることに取り組んでいる。関心のあるテーマは、多様性・貧困・ジェンダー・メンタルヘルス・心理学など。趣味は旅行、noteを書くこと、映画を観ること。この人が書いた記事の一覧

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