
クマ問題は、「駆除か保護か」という単純な対立ではない。適切な管理を望んでも、ヒト・モノ・カネのすべてが足りていない。その背景には、過疎化・高齢化・少子化という、地方が抱える構造的な課題がある。この問題が本当に問いかけているのは、「地域をどう持続させていくのか」という根源的な問いではないだろうか。
“駆除か保護か”の先にある、クマ問題の本質とは?

2023年度、クマによる人身被害は197件(218人、うち死亡6人)に達し、月別統計が始まった2006年以降で最多の記録となった(※1)。翌2024年度は82件(85人、うち死亡3人)とやや減少したものの(※2)、2025年度は10月30日時点で死者数が12人に上り、過去最悪だった2023年度の2倍という異常事態が続いている(※3)。
こうした状況を受けて、世論では「クマを駆除すべき」と「クマがかわいそうだ」という二項対立の構図で語られがちである。
しかし、解決策の方向性については、専門家と行政のあいだで概ね一致している。科学的な調査に基づいて個体数を把握し、適度な捕獲で調整する。同時に、緩衝帯を整備して人間とクマの生活圏を分離する。この方向性に異を唱える者は、ほとんどいない。
それでも実行に移せないのはなぜか。本当の争点は、「誰が費用と責任を負うのか」という点にある。二項対立の裏側には、対策を進めるための予算と人材の圧倒的な不足という現実が横たわっている。
クマが増え、山を下りてきた背景

クマが増えた理由は一つではない。保護政策の転換、気候変動による生息環境の変化、そして地方の人口減少など、複数の要因が重なり合い、クマと人間の距離を縮めてしまったのだ。
保護政策の転換が生んだ「増加と拡散」
この30年で、クマの個体数は劇的に増加した。北海道のヒグマは2020年度時点で推定約1万1,700頭と、30年前の2倍以上に達している(※4)。本州のツキノワグマも、調査可能な地域の多くで個体数が増加または安定化している。
分布域も拡大しており、平成15年度から30年度の間に約1.4倍に広がった(※5)。とくに低標高域での出没が目立つようになっている。
その背景には、1990年代以降の保護政策の転換がある。それまでの積極的な駆除から、生態系保全を重視する方針へと舵を切った結果、個体数は徐々に回復した。生物多様性の観点から見れば、評価すべき成果だったと言えるだろう。
人間側の変化:過疎・放棄・林業衰退
しかし同時に、人間側にも大きな変化が起きていた。中山間地域の過疎化と高齢化である。耕作放棄地が増え、里山の手入れが行き届かなくなった結果、クマにとって格好の移動ルートと餌場が生まれた。
環境省の調査によれば、クマは森林や河畔林を伝って人の生活圏に接近し、河川沿いから市街地へ侵入するパターンが確認されている(※6)。
地方の人口減少に伴い、野生動物の分布域が広がる問題はクマに限らない。鹿や猿、猪など、多くの野生動物が同様の構造的課題に直面している。
気候と食料事情:ブナの凶作が追い打ちに
2023年度の大量出没には、もう一つの要因があった。東北地方でブナ科堅果類(ドングリ)が大凶作となり、山中で餌を得られないクマが人里へ降りてきたのである(※7)。
こうした現象自体は過去にも繰り返されてきたが、今回は個体数の増加と人里環境の変化が重なり、被害が急速に拡大した。
「誰が費用を負担するのか」という根本的な壁

クマ対策には膨大な費用がかかる。国、自治体、そして住民――それぞれが限られた予算の中で負担を分け合っているが、どこも財政的な余裕はない。
限られた予算:国も自治体も追いつかない現実
環境省は2026年度予算の概算要求で、クマを含む「指定管理鳥獣」対策の交付金として37億円を計上した(※8)。2025年度の30億円からは増額されたものの、全国の自治体が抱える課題の規模を考えると、この額は決して十分とは言えない。
自治体レベルでは、さらに厳しい現実がある。
秋田県は2024年度、クマ対策費として約2億2千万円を計上し、専門職員を2人増員した(※9)。福島県も約3千万円の補正予算を組み、市町村支援に乗り出している(※10)。ただし、こうした対応ができるのは被害が深刻な一部の県に限られる。財政基盤の弱い自治体では、予算を確保すること自体が困難なのだ。
担い手不足:減り続けるハンターと現場の高齢化
そして何より深刻なのが、人材の枯渇である。クマの捕獲を担う狩猟免許所持者は、1975年度の約52万人から2020年度には約22万人へと半減した(※11)。
しかも60歳以上が6割近くを占め、高齢化が著しく進んでいる。一頭あたりの駆除報奨金は1万円から6万円程度が相場だが(※12)、この金額でリスクの高いクマ猟に若い世代が参入するとは考えにくい。
制度の空白:”誰の責任か”が曖昧なまま
2024年4月、政府はクマを「指定管理鳥獣」に指定し、対策強化の姿勢を示した(※13)。都道府県は国の交付金を活用して、個体数調査や捕獲手法の検討を進められるようになった。しかし、制度を整えても現場で実際に動ける人材がいなければ、政策は絵に描いた餅である。
根本的な原因は、中山間地域の過疎化・高齢化・少子化という、大きな社会的流れにある。
クマ問題と向き合う、小さな模索

こうした構造的な課題に正面から向き合い、小さな一歩を踏み出す試みが、いま日本各地で始まっている。
土地の使い方を変え、若い世代を巻き込む動きはまだ点にすぎない。それでも、未来へつながる手がかりとなるはずだ。
京都府宮津市・熊本県球磨村:耕作放棄地を「再エネ拠点」に変える
地域の持続可能性を探る動きは、すでに各地で始まっている。
京都府宮津市や熊本県球磨村では、里山と人里の境界に位置する耕作放棄地に、太陽光発電設備を設置する取り組みが進められている(※14)。
クマの侵入を防ぐ緩衝帯として機能させながら、同時に再生可能エネルギーによる収益を地域へ還元する仕組みだ。地域資源を活用した小規模エネルギー事業は、過疎地域に新たな可能性をもたらしつつある。
岩手県大槌町:若手ハンター育成とジビエ事業
岩手県大槌町では、「大槌ジビエソーシャルプロジェクト」が若手ハンターの育成に取り組んでいる(※15)。
ジビエを通じて地域課題と向き合い、狩猟技術の習得から捕獲体験まで、移住者と地域住民が協働する場を作り出している。
捕獲された野生動物を廃棄せず、命をいただきながら持続的な個体数管理を行う手段として、ジビエは注目されている。
地域内で資源と人を循環させるこの仕組みは、お金だけに依存しない地域経済の可能性を開いていると言えるだろう。
まとめ:クマ問題に問い続け、里山再生が描く新しい経済のかたち

クマ問題が問いかけているのは、「日本の山間地域をどう維持していくのか」という、答えの出ない問いである。
個体数管理や緩衝帯の整備は、理論上は実現可能だ。しかし、それを実行するための社会的・経済的基盤は、すでに失われつつある。有効な対処法が分かっていても、誰も行動に移せないのが現実だ。
私たちが直面しているクマ問題は、「駆除か共生か」という二択の問題ではない。それは、人口減少と地域衰退が進む日本社会が抱える、より大きな危機を映し出している。
ただ耕作放棄地を再エネ拠点に変える試みや、ジビエを通じて地域経済とつなぐ取り組みなど、各地では小さな模索が始まっている。
たしかに答えはまだ出ていない。それでも、地道な実践を重ねる人たちがいることを、私たちは忘れてはならない。
Edited by c.lin
注解・参考サイト
注解
※1 環境省「クマ類の生息状況、被害状況等について」2024年2月を参照。
※2 環境省「クマ類による人身被害について [速報値]」2025年10月による。
※3 TBS NEWS DIG「クマによる死者数12人 これまで過去最多だった年の2倍に 環境省」2025年10月による
※4 環境省「北海道のヒグマ対策 の現状について」2024年2月による。
※5 環境省「クマ類による被害防止に向けた対策方針」2024年2月による。
※6 環境省「令和7年度第1回クマ被害対策等に関する関係省庁連絡会議」2025年9月を参照。
※7 環境省「クマ類の生息状況、被害状況等について」2024年2月を参照。
※8 Yahoo!ニュース「クマ対策交付金に37億円」2025年8月による。
※9 朝日新聞「県予算案5842億円、クマ対策1・5倍超」2024年2月による。
※10 福島テレビ「クマ被害防止緊急対策で異例の補正予算約3000万円」2025年10月による。
※11 TBS NEWS DIG「ハンターの人材不足・高齢化深刻」2025年10月による。
※12 Yahoo!ニュース「『クマ被害』急増でも、1頭駆除で『1万300円』の現実」2024年による。
※13 DOWA環境「クマ類が『指定管理鳥獣』に指定」2024年6月による。
※14 損保ジャパン総研「人口減少時代における人とクマの距離」2025年2月を参照。
※15 MOMIJI「岩手ハンター育成プロジェクト」/ 大槌ジビエソーシャルプロジェクト公式サイトを参照。


























Sea The Stars
大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。哲学や歴史をメインに執筆し、西洋哲学に関する書籍の執筆も担当。厳しい時代だからこそ、寛容さ(多様性)が大事だと考えている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。
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