
2025年春、アルゼンチンに誕生した州立自然公園「パタゴニア・アスル」が注目を集めている。300万ヘクタールにおよぶ広大なユネスコ生物圏保護区内の沿岸域で、従来の「保護か利用か」という二択を越えたモデルを実現。自然保護と地域経済発展を両立させ、世界の海洋保護政策とサステナブルツーリズム業界に新たな道筋を示している。
30万ヘクタールの沿岸地域を、保護しながら発展させる

2025年5月、アルゼンチン南部チュブ州に、約30万ヘクタール(東京都の約1.35倍)の広さを持つ海洋保護区「パタゴニア・アスル州立自然公園」が設立された。(※4月24日に州議会で可決、5月17日に官報公告をもって正式発効)。
パタゴニア・アスルは、ユネスコ人間と生物圏計画(MAB: Man and the Biosphere Programme)により2015年に国際指定された、総面積約310万ヘクタールのパタゴニア・アスル生物圏保護区の核心部に位置する。310万ヘクタールはベルギーの国土にほぼ匹敵し、国際基準に沿った海洋保護区として管理が進む。
ユネスコ指定の生物圏保護区は、島々や湾、大型海藻であるケルプの森、クジラ類や海鳥の繁殖地など、世界的に重要な海洋・沿岸生態系を含む。保全・緩衝・移行という三層ゾーニングで自然保護と持続可能な利用を両立させる「学習の場」として機能してきた。パタゴニア・アスル州立自然公園は、その中でも特に生態学的価値の高い区域を州法により厳格に保護している。漁業や観光、開発に一定の規制を設けつつ、エコツーリズムや科学研究を推進する。
その結果、「保護か利用か」という二元論を超え、地域経済と生態系保全を相互に高め合うモデルが実現されている。地域住民や観光客は、自然の価値から遠ざけられるのではなく、体感しながら保全に関わることができる。この仕組みが、海洋生物多様性の維持と地域社会の持続可能な発展を両立させる新たな国際モデルとして期待されている。
地域住民がガイドに、観光客が保護の担い手に。地域を巻き込むエコツーリズムの仕組み

パタゴニア・アスルのエコツーリズムは、地域住民が主体的に自然や文化を伝えるガイドとなり、観光客が保護活動を支える仕組みが成り立っている。
例えば、人口千人あまりの小さな町カマロネスでは、アルゼンチン・レワイルディング財団(Fundación Rewilding Argentina)のプロジェクトのもと保護と利用の実践が進む。
「クラブ・デル・マール(海のクラブ)」が設立され、子どもたちはシュノーケリングやカヤックを体験。海との触れ合いを通じて環境教育が進められている。
また、地域住民は「アミーゴス・デル・マール(海の友達)」という団体を作り、ビーチクリーンや廃棄物削減活動に参加するなど保全を担う。
エコツーリズムの推進により、漁業や牧畜など一次産業に依存した地域経済に、ガイド業や宿泊・飲食業などの新たな雇用が創出された。さらに、地域特産品の販売による収入源の多様化が進み、観光収益がコミュニティに還元される仕組みが整いつつある。
さらに、地域環境諮問委員会が対話と協働の場を提供し、保護と持続可能な利用のバランスをとる意思決定を支えている。自然保護と地域振興の対立構図ではなく、住民と観光客の双方が保護の担い手となるための新しい観光モデルが実践されているのである。
「パタゴニア方式」は海洋保護の新スタンダードとなるか

生物多様性の保護と利用を両立させようとするパタゴニア・アスルの取り組みは、どのように評価されるのだろうか。この事例の先進性や今後の課題、日本への適用可能性について解説する。
「パタゴニア方式」は世界の先進事例
パタゴニア・アスルは、ユネスコMAB計画の生物圏保護区において、海洋保護と地域発展を両立する世界的先進事例といえる。そのうち州立自然公園は、IUCNカテゴリーII(※)に準拠し、保全・研究・教育・観光を実施しながら多層的に管理されている。
特に「保全・緩衝・移行」というゾーニングを導入し、地域住民の参画と利益還元を制度化している点が国際的に評価されている。住民をガイドや運営主体として組み込み、収益を地域振興や環境保全に再投資するシステムは、持続可能な観光と生態系保全の両立を実現する鍵である。
収入源の多様化により、保全活動の経済的基盤を安定させる仕組みは、他国の海洋保護区にも応用可能だろう。「パタゴニア方式」ともいえる包括的なアプローチは、海洋保護区における実践モデルとして期待されている。
※IUCNカテゴリーII…国際自然保護連合(IUCN)「国立公園」に相当する保護区分類。自然保護と持続的な人の利用を両立させる区域。
今後の課題
パタゴニア・アスルが国際的な先進事例である一方で、気候変動やオーバーツーリズムといった複合的な課題への対応は避けられない。気候変動による海水温の上昇や極端な気象の頻発は、クジラや海鳥の回遊パターンの変化、さらには海の森ともいえるケルプ林の健全性に深刻な影響を及ぼす可能性がある。
また、エコツーリズムの拡大は地域経済を支える一方で、野生生物の生息環境やインフラへの負荷といったリスクを伴う。悪影響を最小限とするために、モニタリング体制の強化や生態系回復プロジェクトの推進などの対応が求められる。
さらに観光面では、訪問者数の上限設定や区域ごとの利用制限、環境教育の徹底といった管理手法の高度化が求められる。これらの改善を積み重ねることで、パタゴニア方式は国際的に信頼される持続可能な海洋保護モデルとしての地位を確立できるだろう。
日本への適用可能性
パタゴニア方式は、日本の沿岸域や離島の海洋保護にも応用できる可能性がある。日本では自然公園法や漁業法など複数の制度に基づき、沿岸域および沖合域の約13.3%が海洋保護区として守られている。
日本では少子高齢化や都市部への人口流出が進み、保護地域を抱える地域の人口減少は深刻だ。例えば、国立公園内の人口は2050年までに半減すると推計され、管理の担い手不足が顕著になると予測される。この点は、人口流出と高齢化に直面するカマロネスの状況と共通している。日本でも、過疎化が進む沿岸部や離島で、地域住民を主体とするエコツーリズム型の保全モデルを導入すれば、雇用創出や収入源の多様化につながるはずだ。
また、観光客の利用をゾーニングで管理する仕組みは、脆弱な生態系を守りつつ観光利用を可能にする点で有効である。また、気候変動対応や脱炭素政策と連動させることで、国際的な基準に沿った保全と地域振興を両立できるだろう。人口減少の時代の日本において、地域社会を主役とした海洋保護のあり方を見出すために、パタゴニア方式は持続可能な沿岸管理の鍵となり得る。
約310万ヘクタールのユネスコ生物圏保護区の核心部を守るパタゴニア・アスル州立自然公園。厳格なゾーニングと地域住民主体のエコツーリズムにより、自然保護と地域経済発展を両立させるモデルは、未来の海洋保護の新たなスタンダードとなる可能性を秘めている。海と沿岸部の生物多様性を豊かなまま未来の世代に受け継ぐために、地域社会が主体の「保護と利用」を実現していくことが望まれる。
Edited by k.fukuda
参考サイト
Argentina’s wild new coastal escape
https://www.lacult.unesco.org/noticias/showitem.php?getipr=&id=4284&lg=2&pais=0&uid_ext=orcalcadmin_1&utm_source=chatgpt.com
Parque Provincial Patagonia Azul
Patagonia Azul Project
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eis/51/4/51_27/_pdf
https://www.env.go.jp/content/900489164.pdf
























曽我部 倫子
大学で環境問題について広く学び、行政やNPOにて業務経験を積むなかで環境教育に長く携わる。1級子ども環境管理士と保育士の資格をもち、未就学児や保護者を対象に自然体験を提供。またWebライターとして、環境、サステナブル、エシカル、GXなどのテーマを中心に執筆している。三姉妹の母。
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