2025年3月28日、栃木県小山市の浅野市長より、30年後の市の理想像を描いた「田園環境都市おやまビジョン(以下、おやまビジョン)」が発表された。
「全ての市民のウェルビーイングの実現に近づくための客観的条件を整えていくことは、全ての市民のウェルビーイングを実現するために何が必要かを、最大公約数として探ることによって可能になる」

このように、市長が掲げたのは刹那的な幸福ではなく、他者との関係性や社会とのつながりを前提にした「より良い暮らし」の実現である。すなわち、一人ひとりのウェルビーイングの実現こそが、おやまビジョンの根幹をなす。
小山市は栃木県で2番目に多い約16.6万人の人口を有し、豊かな田園環境と都市機能を併せ持つ。おやまビジョンでは、自然の恵み(生態系サービス)を基盤に、田園部と都市部のそれぞれの特性や良さを生かし、補完し協力し合う豊かな関係性を築いた調和のとれた「田園環境都市」の構築を掲げている。市制70周年を迎えた2024年を起点とし、市制100周年を迎える2054年を見据えた長期構想だ。
このビジョンは、2022年度から3年間にわたる市民参加型のプロセスを経て策定された。11の地区別ビジョンを「たて糸」、17の行政分野別ビジョンを「よこ糸」として織り上げ、全ての市民のより良い暮らしの実現を最上位の目標に掲げた30年後のあるべき姿を描く。

市内11地区の風土性調査から、最大公約数を導き出す
「たて糸」は、風土性調査を土台とする市内11地区の地域別ビジョンである。グローバリゼーションがもたらす画一化の波に対抗し、各地域の特性を尊重した生活空間に根ざすウェルビーイングを追求する姿勢が貫かれている。
この調査は、おやまビジョン策定をサポートした有限責任事業組合風景社が受け持った。専門地域調査士の廣瀬俊介さんは全地区の現地調査を担当し、住民や職員とともに1地区あたり3か月をかけて地形の成り立ち、生物相の特徴、神社や寺院の配置、地域文化などを調査した。地域社会学を基礎学問とする簑田理香さんは、アンケート、グループインタビュー、個別聞き取り調査を担当し、複数の調査と文献調査を組み合わせて地区ごとの「風土(生活世界)」を総合的に捉えた。
「現場に足を運ぶと実際の暮らしや住民の困りごとがわかります」と市職員の五十畑安章さんは語る。「井戸のポンプに困っている」「通学路にスピードを出す車がいる」などの日常生活における困りごとが発見された。調査を通して、一見、別物に見える事象と事象がつながっているという構造的なことも明らかになった。例えば、道路整備の話が水害対策や避難経路と結びつき、地域の安全性の議論へと発展する。

また住民の協力のもと、アンケートやグループインタビューを通じて集まった声から、「水害の不安をなくしてほしい」「コウノトリの棲む自然を守りたい」といった地域に根ざした願いも共有された。
「最大公約数」を導き出すためには、単純な多数決ではなく、多様な声を丁寧に拾い上げ、全体像を把握する必要があった。定性的な調査から得た無数の声を咀嚼し、地区ごとの課題にどう応えるか、市職員と関係者は自問し続けた。行政がつくる通常のビジョンでは、効率性を重視して多数派に従いがちだが、おやまビジョンではその逆を行く。マイノリティの声や潜在的な課題にこそ目を向け、重層的な議論を行った。
おやまビジョン策定のサポートを担った風景社の簑田さんはビジョン策定のサポート方法や策定までのプロセスを検討する中で「聞き取りさせていただいた方々の切実な声が、心の中で渦巻いていた。どのようにビジョンに繋いでいけるのか、本当に苦しい時期もあった」と振り返る。その一方で「見方によっては回り道だが、そこにこそ豊かさがある」とも語る。
「回り道が一番いい道になる」と語る市職員の廣瀬華緒里さんは、2年間の調査を通じて自身の意識が大きく変化したと話す。市職員たちは、調査を通じて担当地区のスペシャリストとなり、酷暑のなかでも現地に足を運んだことで、「木陰のありがたさ」や地元の困りごとを肌で感じたという。

調査結果をもとに各地区の未来像を描き、それが実現可能なものであるかを職員自ら問い続けた。その過程で培われた行政職員と住民の相互理解と信頼関係が、ビジョンの根幹を支えている。
「おやま市民ビジョン会議」で描く30年後の小山市
ビジョン策定のもう一つの柱が「おやま市民ビジョン会議」である。農業者、自営業者、会社員、学生など、多様な立場の市民が委員として参加し、約2年にわたって議論を重ねてきた。
「小山では、自然のめぐみを活かし、どのような循環が生み出せるか」「都市部と農村部、農家と非農家の関係をどうつなぐか」といった多様なテーマのもと、異なる背景を持つ市民同士が意見を交わしてきた。この議論の過程では、「調べる」「共有する」「学び合う」「語り合う」という4つのプロセスを重視し、セミナー、ワークショップ、地区ごとの風土性調査報告会、全体報告会などを通じて、市民と行政との双方向のコミュニケーションが確立された。

委員にはもともとまちづくりに関心のある者が多かったが、口コミを通じて徐々に広がり、委員以外の市民の参加も見られるようになった。将来を担う若い世代の参加もあり、30年後を見据えた議論はさらに深まった。委員だけでなく、より多くの市民が興味関心を持ち、まちづくりに関わることで、地域全体の意識の底上げを図る。ビジョン会議の阿久津座長はこれを「市民性を上げる」と表現する。まちづくりは一部の人間だけが関わるものではなく、多くの市民を巻き込むことを重要とする。
浅野市長は「市長は変わるが、市の職員と市民は変わらない。だからこそ、変わらない人々が継続して対話と議論を行える環境をつくること、市民との共創によるまちづくりが重要だ」と語り、一過性ではなく、30年先を見据えた持続的なまちづくりの必要性を強調する。
市民が主役となり、行政が伴走者として支える。そうした関係性こそが、小山市が変化に柔軟に対応しながら、豊かに生き抜くための鍵である。「市民と一緒につくり上げるという意識が、これまで職員には染みついていなかった」と五十畑さんは語る。田園環境都市おやまビジョンは、市民と行政が共に歩み、共に育てる、新たなまちづくりのかたちである。
完璧な答えは出なくてもいい。必要なのは「問い」つづける土壌
このような取り組みを通じて小山市が育んできたのは、単なる計画の完成ではなく、「問い続ける」ことが当たり前となる文化である。市民と行政、そして専門家が共に学び合い、考え合うプロセスが、ビジョンという名の「正解」を導くためではなく、地域の未来に対する問いを絶やさない仕組みそのものになっている。
「答えを出さなくてもいいんです。大事なのは問いを立てること」と簑田さんが語るように、模造紙にまとめるワークショップの場では、「自然環境と生活の利便性は両立できるのか?」「持続可能な暮らしとは何か?」といった根源的な問いが自然と浮かび上がる。誰かの意見にすぐに白黒をつけるのではなく、モヤモヤした気持ちのまま共有し、他者の視点と交わることで、それぞれの価値観や気づきが深まっていく。

この“問いを立て続ける”ことを支えるのが、風景社が丁寧に設計した仕組みだ。「調べる」「共有する」「学び合う」「語り合う」をサイクルとして組み立て、セミナーやワークショップを実施。行政職員も一市民として議論に加わり、議員や他部署の職員とともに机を囲んだ。風土性調査では各地区に通い、インタビューや対話を通して地域の声を丁寧に拾い上げるという地道なプロセスも大切にされた。
廣瀬(華)さんは「30年後に何があるかわからない」と話す。だからこそ、ビジョンもかっちりとした完成形ではなく、「目指す姿」として柔らかく描かれている。市民と共に筋道をつくるための土台を整え、今後は構築した関係性や学びのノウハウを活かして、時代に合わせて柔軟に修正しながら歩んでいく。行政もまた、市民と同じ目線で学び続ける主体なのだ。
こうした営みは、行政内部にも変化をもたらしている。「他の課でもワークショップを通じて方向性を探る動きが広がってきた」と五十畑さん。従来の縦割り組織ではなく、横のつながりを意識した柔軟な体制づくりも進んでいる。環境問題などの複雑な課題に立ち向かうためには、従来の枠組みを超えて協働する姿勢が求められるからだ。
「土壌はもう出来上がっています。これが広がり、学び合い、対話を続けながら、私たち自身もレベルアップし、小山市がより良くなっていくことをイメージしています」と五十畑さんは語る。
完璧な答えを出すことよりも大切なのは、問いを立て続ける土壌を育むこと。そのための“しくみ”があれば、迷うことを恐れず、他者と対話しながら未来を描くことができる。小山市の挑戦は、これからのまちづくりに必要な文化のあり方を提示している。
小山市が目指すもの。ウェルビーイングなまちづくりとは
小山市が掲げるウェルビーイング。それは、単なる健康や物質的な充足だけでなく、心身ともに満たされ、他者や自然とのつながりを感じながら生きられるまちの姿である。そして、多様な生き方が尊重され、一人ひとりの自己実現を、周囲が後押しできる状態を指す。
多様な人々によって丁寧に織り上げられた「おやまビジョン」を指針として、今後30年間、多様な価値観が共存し、心理的・物理的に「住みやすい」と感じられる環境づくりが進められていく。「おやまビジョン」の策定過程で培われてきた“問い続ける”という土壌は、目まぐるしく変化を続ける世界において、市民・事業者・行政がともに学び合い、共創し、地域課題を乗り越えていく力となる。

「子供たちが『カエルの鳴き声が聞こえてきたから、雨が降るのかな』『田んぼにやってくるトンボが変わったね』と、周囲の環境の変化に感動し、楽しむ姿。そして、それを見守る大人たちの喜び。こういったものを大切に守っていきたい」と、廣瀬(俊)さんは力を込めて語る。
そこには、まちの豊かさが表れているのだろう。豊かな自然の恵み(生態系サービス)に支えられ、田園部と都市部の交流が行われるまち。その中で、個人のウェルビーイングの最大公約数が、少しずつ浮かび上がってくるのかもしれない。
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田園環境都市おやまビジョン
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