
産地で暮らすということ
三浦半島では春キャベツの収穫が最盛期を迎えている。陽射しの強さと夜露の冷たさの寒暖差で甘味の乗った春キャベツは断然生食がいい。朝採れの新鮮なものをがぶりと囓ったときのジューシーさはまるで果物のようだ。
子安の里山で小さな菜園を15年近く営んでいるわたしもキャベツは育てたことがない。キャベツの指定産地になっている横須賀・三浦では市場出荷されなかったキャベツがあちこちから巡ってくる。たとえば馴染みの精肉店で「今夜は生姜焼きかな」と厚めにスライスしてもらった豚肉を買うと「キャベツいるだろ」とひとつふたつ持たせてくれたりする。農家の庭先や無人販売所には規格外で出せなかったキャベツが50円とか100円で並んでいる。ロールキャベツ。コールスローサラダ。広島焼き。自分で育てずともシーズン中は毎日のようにキャベツが食卓に上る。

2024年、畑で何が起きていたのか
それが2024年の冬は大きく違った。大鍋で丸ごとポトフにする大玉をほとんど見かけなかった。頂くことはあっても小ぶりな玉ばかりだった。直売所に並ぶことはあっても1個300円近い値がついていた。都心のスーパーでは1個1,000円で販売されていると聞いた。キャベツ畑で何が起きていたのか。三浦半島で暮らし始めた頃からお世話になっている伊藤克己さんに話を聞いた。江戸時代から400年続く伊藤農園の30代目だ。
「やっぱり気候変動ですよね」
伊藤さんは堰を切ったように話し始めた。三浦では例年8月中旬から9月上旬に冬キャベツの種を蒔く。
「水をやると種が煮えてしまうほどの暑さでした」
遮光ネットを例年以上に掛け、地温を下げてから夕方に水やりをした。育てた苗は例年通りなら9月下旬から11月上旬に定植していく。
「日照りが強すぎて苗がスムーズに根付かないんです。過剰なストレスが掛かってしまいました」
観測史上最高の平均気温となった2024年は10月になっても真夏日が続いていた。
「でも、一番の原因は雨が少なかったことです」
乾燥で土が締まっていると植物は思うように根を張ることができない。
「根が大きくなれないからキャベツの玉も例年のような大きさまで成長できなかったんです」
土の中で育つ大根でも土の締まりで”コブラ”のように首が曲がる現象が多く見られたという。例年は市場で買ってもらえない規格外品だったが、今期は品薄による特例で販売されたそうだ。
「加えて例年になかったような病害虫も多く発生しました」
冷涼な気候を好むキャベツは高温が続いたせいで病気になった。高温のため冬に活動することのないカメムシなどの害虫が大量発生し、葉を蝕んでいった。
「病害虫を防ぐ為の肥料や農薬といった資材も軒並み値上がりしていました」

価格は需要と供給で決まる
栽培コストが価格に上乗せされたという単純な話ではない。むしろそれならまだいい。価格を決めるのは生産者ではない。市場だ。どれだけ栽培コストが掛かっても需要に対して供給量が上回っていれば価格は下がる。価格が上がるのは供給が需要を下回っているときだ。
「首都圏にキャベツを供給している千葉と愛知は高温障害でほとんど収量がなかったと聞いています」
生育不良かつ収量も落ちていたが、三浦半島ではまだキャベツを出荷することができていた。需要に対する供給量の少なさ。それこそがキャベツの価格が高騰した理由だ。
しかしながら、伊藤さんをはじめとする生産者の方々はキャベツが値上がりした恩恵を受けていないはずだ。手間とコストを差し引いたら儲けは例年とほとんど変わらないのではないだろうか。わたしもこの夏、菜園で自分たちが食べる野菜を育てていたが、手間と苦労を考えたらトマト1個5,000円でも安いくらいだ。

2024年は暑さ対策で例年以上にコストと手間が掛かった年でもあった。
「スイカを切ると中が煮えてどろどろになっている。カボチャも焼けてしまっている。だからひとつ一つに遮光テープを巻かないといけなかったんです」
屋外での運動が原則禁止となる中、伊藤さんたち農家は炎天下でスイカやカボチャひとつずつに白いテープを巻いていたのだ。もちろんそのテープにだってコストが掛かっている。
「これだけ経費が掛かる上に命に関わる暑さの中で農作業したところで儲けが出ないんじゃ、やってもしょうがないとすら言う人も出てきています」

先日、普段は高級外車が行き交う青山通りを泥だらけのトラクターが行進していた。首都圏で開催された「令和の百姓一揆」だ。
「気候変動で作物が今まで通り育てられない」
「物価の上昇で作物が今まで通りの経費では育てられない」
「農家は時給10円」
悲痛な言葉の数々には消費者に対する訴えを強く感じた。”つくる側”である自分たちとともに”食べる側”である消費者にも農業を守ってほしいという強い思いを。
信じられないかもしれないが、日本の食料自給率は1960年にはカロリーベースで79%もあった。戦中戦後に食糧難を経験した日本では農家でなくとも多くの人が庭先で鶏を飼い、野菜を育てていた。多くの人が仕事や学校を休んで田植えや稲刈りを手伝っていた。食べることは生きること。その重みを知っているからこそ、一人ひとりが自分の命を繋ぐ食べものに責任を持って生きていた。それが50年足らずで38%にまで落ち込んだ原因は農村を捨てて都会に働きに出た人々が、それまでいなかった「消費者」となったからだ。
わたしが三浦半島に移住して小さな菜園を始めたのはそれまで当たり前だと思っていた都会での消費生活に危機感を覚えたからだ。キャベツ、カボチャ、ナス、トマト、オクラ、どの野菜も可憐な花を咲かせることを知った。彼らもわたしたちと同じように未来に種を繋いでいる宇宙船地球号の乗組員なのだと。

フェアトレードを国内でも
わたしは今、南房総の農家さんから直接お米を送っていただいている。畑仕事を学ぶ際に弟子入りした農業歴70年を越えるおばあちゃんのお孫さんが継いでいる有機農家だ。市場出荷されていない米なので価格は農家さん自身が決めている。不作の年も、豊作で市場価格が下がっているときも大体同じくらいの値段だ。それは買い始めた15年前に交わした約束に基づいている。
「不作の年も言い値で買い支えるのでこの先どんな不測の事態があっても我が家のお米だけは確保してくださいね」
師匠のおばあちゃんは笑っていたが、私は本気だった。災害とか戦争による食糧不足を想定していた。おかげで去年から今年にかけての米不足や値上がりでも何の影響も受けなかった。
労働力に見合った適正価格で購入すること。フェアトレードは国内でも広く推進していくべきだと思う。消費者が安さばかり求めると生産者は農業を続けていくことができなくなる。
価格だけでなく、気候変動の問題も同じだ。生産者が農業を続けられる環境をひとり一人の力で再生していかなければ、わたしたちの食卓は危機に陥る。
農業が続けられる環境を再生すること。それは2040年に大人になる子どもたちがこの地球でしあわせに暮らしていく未来に繋がっていく。だからわたしは声を上げ続ける。都会での消費生活を当たり前だと思っていたかつてのわたし自身に向かって。旅するように暮らす、この町で。
2025年4月10日
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。








































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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