超効率化する時代。スローフードで心のゆとりを取り戻す

2022年、三省堂が主催する「辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2022』」(*1)の大賞に選ばれた「タイパ」。「タイムパフォーマンス」の略で、かけた時間に対しての効果や満足度の割合を表す言葉である。コストパフォーマンスを意味する「コスパ」と合わせてZ世代を中心に現代社会で重視されるニーズとして浸透している。

その流れは食品業界にも広がっており、コンビニ大手のローソンでは2024年上半期の商品戦略のなかで「タイパ」「コスパ」「ウェルパ(=ウェルビーイングパフォーマンス)」の3つを掲げ、ながら食べに適したパッケージなど“時短”や“効率”を意識した商品を展開している(*2)

こうした流れのなかで、私たちの食生活はますます「早く・安く・簡単に」シフトしつつある。一見便利で理にかなっているように思えるが、その裏にある影響について、今一度立ち止まって考えてみたい。

(*1)辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」|三省堂
(*2)「タイパ」・「コスパ」・「ウェルパ」のニーズに対応した商品を順次発売|ローソン

食事を効率化することの弊害

コスパやタイパの価値観が食生活に持ち込まれることによって、私たちは知らず知らずのうちに「食べる」という行為を効率化の対象として捉えるようになっている。しかし、長期的に見て身体や心に与える影響は小さくない。

主な影響は、大きく以下の3つに分類される。

  • 身体的影響:食事を急いで済ませることで、消化器への負担が増し、栄養バランスも偏りやすくなる。満腹感を得る前に食事が終わることで、過食の原因にもなりうる。
  • 精神的影響: 「とりあえず空腹は満たされたけれど、気持ちは満たされた気がしない」といった空虚感が生じやすくなる。これは“味わう”という感覚が置き去りにされているからだ。また、食事自体への関心が薄れる要因にもなりうる。
  • 社会的影響:忙しさや利便性を優先するあまり、孤食の機会が増え、人との関わりや会話が希薄になりやすい。こうした傾向は、家族や地域で培われてきた食文化の衰退にもつながっていく。

こうして見ると、効率的な食事スタイルには見えにくい代償があると言えるだろう。

スローフードがもたらす心のゆとり

このような現代の状況に対して「食事のあり方」を見直すための提案が「スローフード」という考え方だ。1986年にイタリアで提唱され、ファストフードやインスタント食品の台頭に対抗して広がり、今や世界160か国以上で支持されている。

スローフードは単に“ゆっくりとした食事”を推奨しているわけではない。味・香り・彩り・食感といった五感で食事を楽しむ行為、自然や食事への敬意、食卓を囲む時間の価値を見直し、食事のスピードよりも「質」に目を向けることを重んじている。

BIO HOTEL認証の3つの基準

「お腹が空いた」と「疲れたから休みたい」は人間の原始的な欲求であり、切り離して考えることができない感覚だ。しかし、現代では食事が単に空腹を満たす作業のように扱われがちで、心身をゆるめる時間としての役割が見過ごされている。

スローフード的な丁寧な食事は、おいしい食事を味わい身体を整えるだけではなく、立ち止まる時間を確保し、心にひと呼吸置くタイミングをもたらす。食事の時間が心のゆとりを取り戻す時間にもなるのだ。

実際に食事時間を長く確保したり、ゆっくり食事をとったりすることによって、副交感神経が優位に働き、心身がリラックスした状態に保てることは論文(*3)でも発表されている。

さらに味覚だけではなく五感すべてに意識を向けて食事をとることで、自分自身や自然とのつながりを改めて感じることができる。

たとえば、

  • 料理の彩りに目を留める
  • 香りや湯気の温かさを感じる
  • 食感や食材の音に耳を傾ける

このように一つひとつの感覚を丁寧に味わいながら食事をすることで、自分の感覚が少しずつ研ぎ澄まされ、自然がもたらす「美しさ」をより深く感じ取れるように変わっていくのだ。

(*3)心地よい食を探る試み ―コンフォートフードとしての日本食― |山崎 英恵|日本食生活学会誌 第34巻 第3号 127-134(2023) 

丁寧な食事が呼び覚ますセンスオブワンダー

丁寧な食事によって呼び起こされた感覚は、やがて食卓の外へと広がっていくだろう。

ふと季節の訪れを感じる花の香りに気づくようになったり、朝を知らせる小鳥のさえずりに耳を傾けるようになったり、何気ない日常のなかにある“豊かさ”に目が向くようになる。

これは、作家レイチェル・カーソンが『センス・オブ・ワンダー』の中で語った、「驚き、感動し、神秘を感じる力」と通じる感覚である。幼少時代にはあたりまえにもっており、身の回りのあらゆるものに対して新鮮さを感じ、驚き、感動することができた。大人になるにつれ、私たちはこうした感覚を少しずつ手放してしまうが、丁寧な食事はその感性をもう一度呼び起こすきっかけになる。

食事の「内容」よりも「姿勢」が重要

とはいえ、実際の生活において、「丁寧な食事」を実践することにはいくつかの現実的ハードルがある。

  • 忙しさによる時間的制約
  • 調理や片付けの負担
  • 一人で食べる孤食の状況
  • 意識的な余裕の欠如

このような状況では、効率性を優先することも自然な流れと言える。しかし、そうした日常のなかでも「どう向き合うか」という姿勢は変えられる。

重要なのは「どんな食事をするか」ではなく、「どんな姿勢で食と向き合うか」だ。たとえコンビニの食品であっても、スマートフォンを置き、姿勢を正し、香りや味を丁寧に感じながら食べることはできる。

つまり、スローフードの本質は、「食のスタイル」ではなく、「食との関係性」を見つめ直すことにある。

忙しい日常だからこそ、ゆっくりと味わおう

スローフードの考え方を日常に取り入れることは、決して特別な料理や贅沢な時間を必要とするものではない。

たとえば、いつもより少しだけゆっくり噛んでみる、季節の食材をひとつ加えてみる、食事中はスマートフォンを置いて五感に集中してみる、そんな小さな工夫からでも感覚は確かにひらいていくのだ。

ささやかな習慣からでも、自分の感覚が少しずつ変わり始めることを実感するだろう。効率を優先する日々だからこそ、あえて「立ち止まる時間」を自分に与える。その選択が、やがて心と身体の調子を整え、日常に小さな豊かさをもたらしてくれるのだ。

まずは一食、一口から。食を通じて、暮らしと自分自身を慈しむ時間を取り戻してみてはいかがだろうか。

参考記事
食べる速さが食事誘発性体熱産生に与える影響|濱田 有香, 林 直亨
4地域等において、みんなで一緒に食べる食事の状況と取組|農林水産省
スローフードとは|Slow Food Japan

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