
海辺の町で暮らして15年、夕暮れが訪れるたびにビーサンで浜辺を歩く。いにしえの海に思いを馳せる。1000年以上降り続いた雨によって生まれた原始の海はほんの少しの塩気しか持っていなかった。長い年月をかけて波が削り取った陸地から鉱物質が浸出。海は塩辛くなり、生命が育まれた。最も古い生命体のひとつが27億年前に誕生した藻類だ。まだ大気の大半を二酸化炭素が占めていた地球で彼らは光合成によって酸素を放出。現在のように酸素が大気の21%を占めるようになったのは8~6億年前だといわれている。後にその働きによって貯蔵された炭素を海の青さになぞらえ” Blue Carbon(ブルーカーボン)”と命名した、わたしたち人類が誕生する遙か遠い昔の話だ。
縄文時代から海藻を食べてきた
毎年2月にはわかめ漁が解禁になる。漁港の周辺では生わかめがひと袋数百円で無人販売される。ビーチクリーンのついで浜に打ち上げられたわかめを持ち帰ることもあった。

茶褐色の生わかめは湯通しすると一瞬で鮮やかなグリーンになる。初物はしゃぶしゃぶのようにポン酢で頂く。
めかぶや茎わかめはごま油と唐辛子でピリ辛炒めにする。残った葉わかめはさっと湯通ししてから小分けにして冷凍し、味噌汁やサラダに使う。

釜揚げひじきは漁師町の伝統食だ。網元が採れたてのひじきを釜揚げにしたものだ。豆腐なんかと一緒にサラダで頂く。
梅雨が明けた頃からは鮮魚店をはじめ、精肉店の軒先や直売所にも天草が並ぶ。冷たい水で洗い、貝の欠片やゴミを落としたら、水と少量の酢を沸かしたもので40分ほど煮溶かしていく。とろみのついた液を布で濾して型に入れ、冷蔵庫で凝固させると、不透明な板状の寒天になる。5センチ幅くらいに切り出して天突きに入れる。心棒で押し出すと細切りになってにゅるにゅると器に滑り落ちる。ところてんだ。青のりと白ごまを振りかけ、酢醤油を垂らして、練り辛子で頂く。夏場なんかは日曜の午後から、ところてんをつまみに冷えたビールを空けてしまう。夏の涼の王様はところてんなんじゃないかと、海辺の町で暮らすようになってからひそかに思っている。

かつては漁師たちが網に絡みつく”ジャマモク”と毛嫌いしていたアカモクも今ではポリフェノールやミネラルなどの栄養素が豊富に採れるスーパーフードだ。湯通したものをまな板に載せて包丁で叩くと、粘り気を帯びていく。これもポン酢で頂く。炊き立ての白米にたっぷりかけても最高にうまい。

海藻の森は多様な生命を育んでいる
海藻がわたしたちの生命を支えてくれているのは食べるからだけじゃない。山に行くと「空気がおいしい」と感じるのは木々が光合成によって酸素を送り出してくれているからだが、海の中でも同じことが起きている。いや、むしろ海の方が、と書くべきだろう。地球の酸素の75%は海中に生息する海藻が光合成によって供給している。2009年、国連は海の森が吸収し固定化する炭素をブルーカーボンと命名した。
しかも海藻が生い茂る藻場には稚魚や稚貝が育つ海のゆりかごとしての機能もある。しらすなどの稚魚は海藻に身を隠して捕食者から逃れる。サザエやアワビは海藻を食べて育つ。すなわちわたしたちが食べている魚も貝も海藻が育んでくれている。
いま、海藻の森が消えている
そんな海藻の生育環境が激変したことに気づいたのはここ5年ほどの話だ。
「わかめ、今年は生育不良らしいよ」という話を地元のあちこちで耳にするようになった。浜に打ち上げられたわかめを目にすることもほとんどなくなった。
今年もわかめの収穫は生育不良で3月にずれ込み、3月11日に解禁したしらすも4月まで不漁が続いていた。

3月に、ある取材で地元の漁船に乗せていただく機会があった。ウインドサーフィンの群れを追い越した辺りで船縁から覗き込むと海の底まで透けて見えた。

「昔はアカモクなんかが船に絡みつくぐらい生えてて何も見えなかったんだけどね」と漁師さんが苦笑いしていた。
磯焼けによる海の砂漠化。原因のひとつに海水温の上昇がある。かつて海藻の新芽が出る1月頃の水温は10℃~11℃だったそうだ。それが近年では13℃~14℃から下がらなくなっている。海水温の上昇で冬場も活発に活動するようになったウニの食害でカジメや天草、アカモクなどの海藻は100分の1程度まで減っている。藻場が消えることはそこで育っていた魚や海藻を食べて育っていた貝が消えるということでもある。
「サザエもアワビも採れなくなっちゃったんだよ」
その影響は漁師さんたちの収入に、そして魚や貝を食べているわたしたちの食卓にも及ぶ。
「子どもの頃、漁師さんが『海が塩辛いうちは大丈夫だ』って言っていたんだけどね」
水揚げ量が減ったのは海水温の上昇だけではないと思う、と漁師さんは言った。
河川の氾濫を防ぐための護岸工事で山から海に流れ込む川の水が栄養分のない真水になってしまったのも原因なのではないかと。
海はプランクトンのスープだ。スープに真水を入れると味も栄養も薄まるように、海に真水を入れると窒素やリンなど海藻をはじめとする生命に必要な栄養分も薄まってしまう。その結果、藻場で育つ魚や貝などの多様な生態系が消えていく。わたしたちは自らの手で自分たちの食文化を、そしてこの地球で最も大切な海を危機に晒しているのだ。遙か遠い昔、陸地の鉱物質が溶け出したことで塩辛くなり、多くの生命を育んできた母なる海を。
経済成長が人をしあわせにすると信じて働いてきた。災害から暮らしを守るために自然をコンクリートで覆い尽くすことを当然のことのように思ってきた。三浦半島で暮らし始めて15年。持続可能だと信じていた暮らしが揺らぎ始めたことでその正しさはわたしの中で揺らぎつつある。
などと嘆いているばかりではない。藻場を再生する取り組みが三浦半島の各地でも始まっている。わたしも2024年の夏に子どもと一緒に参加させていただいた。造成された追浜の浅場に砂を入れて、多様な生き物が息づく干潟を再生しようと7年前に始まったプロジェクトだ。子どもたちと一緒に膝下くらいまでの浅瀬に入り、近海で採取されたコアマモという海草の苗を田植えのように定植していく。地道に取り組んできたおかげでアマモの群落では産卵にきたモンゴウイカが目撃されたり、どこかから胞子が流れてきたわかめやアカモクが根付いたりしている。葉山では再生したカジメの藻場でカマスの大群が確認されている。
海の森を再生させることは地球温暖化の抑制にも欠かせないと世界でも注目されている。ブルーカーボン。海藻や海草の苗を地道に植え続けることが、2040年に大人になる子どもたちがこの地球でしあわせに暮らしていく未来と直結している。だからわたしたちは植え続ける、希望の苗を。旅するように暮らす、この町で。
2025年4月5日
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。







































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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