クエスチョニング(Questioning)とは?
クエスチョニング(Questioning)とは、自身の性自認や性的指向、つまりSOGIが定まっていない状況に置かれている人のこと。性が流動的な場合もあれば、自らの性は定まることがないと考えている人もいる。彼ら/彼女らは、周囲には性的マイノリティとは認識されていないことも多く、ときに自身の心のうちだけで葛藤を抱えていることもある。
ここ数年で「LGBTQ+」というワードの認知度は飛躍的に高まった。Lがレズビアン、Gがゲイ、Bがバイセクシャル、Tがトランスジェンダー、そして最後のQはクエスチョニングとクィアを表している。それぞれ定義は違えど、現時点は性的マイノリティと捉えられることが多い。
もうひとつの「Q」、クィア(Queer)とは?
クィアとは、セクシャル・マイノリティの全てを包括する言葉だ。同性愛者やトランスジェンダーだけではなく、クロスドレッサー(生まれ持った性別とは違う性別の服装を好んで着る人)など、「ジェンダーやセクシャリティにまつわるマイノリティ」すべてを含む言葉がクィアだ。
クィアはそもそも、英語で「変な」という意味を持つ言葉で、当初は、同性愛者はクロスドレッサーなどを嘲笑する言葉として使われる侮蔑語だった。しかし、20世紀後半以降、セクシャル・マイノリティの当事者らが自らに誇りを持ってクィアを自称するようになった。侮蔑語だったクィアを、当事者らが肯定的な意味合いで使い始め、言葉の意味を変えていったのだ。
侮蔑語を当事者らが自称することで意味合いを変えていった例はたくさんある。黒人に対する差別語であるニガーや、女性に対する差別語であるビッチという言葉でも、同じ流れが確認できるだろう。それらの言葉は当初、単なる蔑みを表す言葉として使われたが、当事者らが自称し、言葉の意味合いを変えることで、侮蔑的な意味から、エンパワーするための言葉に変わっていったのだ。
クィアを自称する人の中には、クィアという言葉を「ジェンダーとセクシャリティの因習に逆らう挑発的な表現」として捉え、クィアという言葉を使うことで「自分たちクィアのコミュニティが、現状を打破できるという力強い気持ちになる」と考えている人もいる。
クィアは、「変な人」と蔑まれてきた人たちが、自称することで自らの尊厳を取り戻していった歴史が刻まれている言葉だ、と言えるだろう。
クエスチョニングの例

クエスチョニングは、自らの性的指向や性自認について確信が持てない、または探究中の状態を指す。クエスチョニングは、一時的な状態である場合もあれば、自分自身を説明するアイデンティティになる場合もあり、内情は多様だ。
ここで、クエスチョニングにはどのような例があり得るのか確認しておこう。
1 自分の性別がわからない
女性として生まれたAさんは、自分の性別が女性だと言われると、どこかしっくりこない感覚が幼少期からあった。だからと言って、男性か、と言われると、それもしっくりこなかった。大人になって、トランスジェンダーの存在を知り、自分はそれかも?と考え始めるが、手術をしたいとか、男性として扱われたいとは思えなかった。もやもやしながら長年過ごし、30代に入ってノンバイナリーという言葉を知った。ノンバイナリーとは、「女・男」といったバイナリーのどちらか一方にとらわれないすべての性自認を指す言葉だ。Aさんは、「これだ!」と思い、以降、ノンバイナリーを自認するようになった。
このケースの場合、Aさんは、クエスチョニングから抜け出し、ノンバイナリーという性自認を見つけ出した、ということになる。
2 「恋愛」がわからない
Bさんは、幼い頃から恋愛感情がわからなかった。成長するに伴って、皆が彼氏や彼女の話をするようになり、誰が好きかを聞かれたが、うまく答えることができなかった。Bさんは惹かれる異性がいなかったので、自分は同性愛者かも?と思ったが、同性の友達にも恋愛感情が湧かなかった。当時は、恋愛感情は人間なら誰でも持つものだとされていたため、自分はどこかおかしいのではないか、と悩んだ。しかし、20代になってから、アロマンティックという言葉と出会う。アロマンティックとは、他人に対して恋愛的に惹かれない恋愛的指向の人を指す言葉だ。アロマンティックという言葉と出会ったBさんは、恋愛に対するモヤモヤが晴れ、恋愛感情を抱かない人もいるのだ、と腑に落ちた。
Bさんの場合もAさんと同じく、クエスチョニングの状態から抜け出したケースだ。しかし、場合によっては、クエスチョニングであること自体がアイデンティティになる場合もある。
3 わからないまま生きる
Cさんは女性として生まれ、中学と高校で女子校に進学した。女子校時代には、かっこいい先輩に対し、恋愛感情を抱いたこともあったが、付き合うまでには至らなかった。大学に進学後は、恋愛をして男性と付き合い、就職してしばらくのちに結婚して子どもをもうけた。Cさんは男性としか付き合ったことはなかったが、かっこいい女の子がいるとドキドキしたし、この人と付き合ったらどんな感じだろう、と想像することもあった。結婚後、しばらくして夫には家族としての愛情はあっても、恋愛や性的な感情は抱かなかくなった。代わりに、ドラマに出てくる素敵な女性にときめきを感じることが増えていった。Cさんは「チャンスがなかっただけで本当は女性と付き合いたかったのではないか」、「社会的に異性愛が普通とされているから男性を選んだだけではないか」と考えていた。40代になっても、自分の恋愛的指向、性的指向がいまいちよくわからなかった。ずっと確信がないまま生きて、このままも確信がないまま、生きていくだろう、とCさんは思った。
この事例の場合、Cさんにとって恋愛的指向、性的指向がわからないことは、もはやアイデンティティになっていると言える。ある人が「同性が好き」「異性が好き」と言うのと同じようにCさんにとっては「男性が好きなのか、女性が好きなのか、わからない」という状態がアイデンティティの一部なのだ。
このようにクエスチョニングという言葉は、いずれは解消されることを前提としている概念ではなく、「ずっとクエスチョニングのまま生きる」こともあり得ることを想定されている言葉なのだ。
クエスチョニングは、「男性は女性を愛するもの」「女性は男性を愛するもの」「女性は女性らしく装い、男性は男性らしく装うべき」「女は女らしく、男は男らしく生きるべし」といった規範に疑いの目を向ける概念であり、そういった意味でクィアと同じく「ジェンダーとセクシャリティの因習に逆らう挑発的な表現」だとも言えるだろう。
なぜクィアやクエスチョニングという言葉が必要なのか。自分の欲望を探究する
クィアやクエスチョニングという言葉は、自分の欲望や自分自身を探求することに役立つ言葉だ。探求しなければ、自分が本当に欲しいと思っていないものを欲しいと思いこみ、気がついたら、欲しくないものばかり手にしている可能性がある。
比較文学の教授ルネ・ジラールの「欲望の三角形理論」によると、「人間は、他人の欲望を模倣する」という。人が欲しがっているから、自分も欲しくなる、というわけだ。ブランドバッグに100万円以上支払うのはなぜか、結婚式までに痩せて綺麗になろうとするのはなぜか、それは、「他の人もそれを欲しているから」だとルネ・ジラールは言う。
ルネ・ジラールの理論が正しければ、欲望が発揮できる最高の場所である性行為や恋愛、結婚、出産だって「他人の欲望の模倣」の可能性は十分にある。そのため、結婚した後に同性愛者だったと気づく人は珍しくないし、中年以降で現在の生活は自分が望んでいるものではなかったかもしれない、と考え始める人も少なくない。
義務教育でLGBTQ+についてしっかり教えるべきだ、という人と、いや、教える必要はない、という人がいて、後者の中には「そんなことを教えてしまったら、子どもが同性愛者(もしくはトランスジェンダー)になってしまうかも」と懸念する人もいる。セクシャル・マイノリティの中には、「自分は生まれた時からゲイだった。教育では変わらない」と懸念の声に反発する人もいるが、実際のところ、「同性愛者」というモデルを示されたことで、自分の中に同性に惹かれる可能性があることに気が付く人は一定数いるだろう。
人間の欲望が他人の模倣であるのだとしたら、私たちはモデルがないものを欲っすることはできない。
クィアやクエスチョニングという言葉は、与えられた既存の欲望のモデルが自分にフィットしない場合に、実は別の欲望があったのかもしれない、と気づかせる契機になる言葉だ。そういった意味で、「より自分にフィットするモデルを見つけるための、自己探究を後押しする言葉」だと言えるだろう。
参考書籍
エリス・ヤング著、上田勢子訳『ノンバイナリーがわかる本 heでもsheでもない、theyたちのこと』明石書店、2021年
高橋幸、永田夏来編『恋愛社会学 多様化する親密な関係に接近する』ナカニシヤ出版、2024年
ルーク・バージス著、川添節子訳『欲望の見つけ方』早川書房、2023年
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