
溜め息が出るほど早い、桜の開花
1月の終わりには、もう桜が咲いていた。海沿いの陽だまりの下に咲く河津桜だ。花弁は淡いソメイヨシノよりも濃い桃色。寒さでほんのり染まった赤子の頬のようだ。そう、早春の桜といえども、暦はまだ1月なのだ。陽射しは強いものの、風は冷たい。冬の浜辺で焚き火に当たっているような肌感覚だ。
「もう春はないんだよ」と桜を見上げて娘が言った。「”寒い”の次に”暑い”が来るんだよ」と。四季が二季になっていくと聞いたとき最初に心配したのは生態系ではなく『四季の歌』のことだった。春と秋を愛する「心清き人」と「心深き人」はいなくなってしまうのだろうか。「まだ1月だよ」。桜を見上げて溜め息をついたのは生まれて初めてだった。この分だと娘の言う通り、3月の終わりには夏を感じるようになっているかもしれないと思っていたら、2月のうちに熊本で初の夏日を記録した。想像を超えるスピードで季節は早まっている。
例年は2月中旬に始まる三浦海岸の河津桜まつりも開催日を一週間繰り上げていた。

それが、2026年の春の始まりだった。
30年に一度の記録的少雨

2月初旬、三浦半島のある農園で援農をした。こちらで3年前から取り組まれている不耕起栽培を学ばせてもらうためだ。午前中は学校給食用に18㎏出荷するという人参の収穫。山間に広がる圃場はやわらかな草で覆われていた。農園の方とともに生い茂る草を掻き分け、人参の葉を見つけては根から抜いていく。思うように抜けないのは土が乾いて締まっているせいだ。
「雨が降っていないですからね、今年はまだ一度も」
暑さほど話題になっていないが、気象庁からは「30年に一度の少雨」という衝撃的な発表があった。三浦半島では毎日のように乾燥注意報と林野火災注意報が発令されていた。県内ではダムの貯水量が軒並み平年より低い状態が続いている。節水も呼び掛けられている。農家は夏に続いて、冬も水不足に喘いでいる。渇水が続けば収量減とコスト増により都市部ではまた野菜が値上がりするのではないか。数ヶ月後の世界を憂慮しながら、人参を抜いていく。
渇水で土が締まっているにもかかわらず、根は地中深くまで伸びていた。水分を求めて地中深くに根を伸ばしたこともあるのかもしれないが、土壌が団粒構造になっていなければここまでは太れない。30年に一度の少雨にもかかわらず天水だけで根菜がここまで育っているのを見ると気候変動に対する農業の適応策と緩和策はやはり不耕起栽培なのだという納得感があった。
中腰で縮んだ腰を伸ばして、空を見上げた。見事過ぎるくらいの碧空だった。明日も明後日も雨は降りそうにない。今年生まれた赤ん坊は、まだ雨の音を聞いたことがないのではないか。

大地を潤さない雪

2026年2月8日日曜日、衆院選投票日は雪だった。今シーズン初めての雪だ。東京や横浜では数センチ積もったそうだが、三浦半島は乾いた粉雪がふわふわと舞っているだけだった。舞い落ちた雪がアスファルトを濡らすこともなく消えていく。上空に水分がほとんど存在していない証拠を残酷なまでに見せつけるようなパウダースノー。三浦半島には二度と雨は降らないのかもしれないと絶望的な気持ちになる。
慈雨
2026年2月11日水曜日、建国記念日。雨が降った。三浦半島では今年初めての雨だった。絶望していただけに、菩薩の心が大小様々な草木、生きとし生けるものすべてを平等に癒やすような慈悲深い雨に感じられた。
1ヶ月ぶりとはいえ、溜め込んだ水分を一気に放出するような、夏の夕立のような勢いはない。ミストシャワーのような霧雨が音もなく降り注いでいく。傘に落ちる滴も雨音ひとつ立てず、滑り落ちていく。

先日、chottoの三木真理子さんと、川を堰き止める土砂の流入を防ぐ”しがら土留め”と里山の養分を海に届けるための水脈作りをした関根川に思いを馳せた。締まっていた土壌が浸透していく雨水で解されていくところを想像した。一緒に埋めた落ち葉や炭が雨に解けながら地中に運ばれていくところを。コンクリート壁のない土中層を伝って海底から湧き出る湧水の流れを。

すべての生命を支えているのは、こうした水の循環なのだ。と、安堵したのも束の間、午後になる頃には止んでしまっていた。
2月のおろ抜きワカメ
佐島漁港で初物のワカメとメカブ。1月中旬から並んでいるおろ抜きワカメだ。おろ抜きとは、生育途中のものを間引くために抜いたもの。サイズは小ぶりだが、柔らかい。

あたたかくなるのが早いせいで咲くのが早くなった河津桜とは逆に”寒さで始まり、寒さで育つ”ワカメの生育はここ数年ずっと遅れ気味だ。温暖化で冬になっても思うように海水温が下がらないせいだ。それでも今シーズンは8年続いた黒潮の大蛇行の終焉で海水温の上昇が抑えられているのではないかと期待されている。立石の潮溜まりでも豊かな海藻の群生が確認されている。収穫期は遅れ気味でも収量が落ちないことを祈った。3月11日に漁が解禁されるしらすとともに、この町の経済を支える水産資源が未来に受け継がれていくことを願った。
3万年前に三浦半島で起きていた種の絶滅
三浦半島では春の訪れが年々少しずつ早まっている。河津桜も、ワカメも、蜜柑の木も生長サイクルが少しずつ狂い始めている。彼らは適応できるのだろうか。それとも絶滅してしまうのだろうか。

絶滅といえば先日、横須賀市の自然・人文博物館で娘と一緒にナウマンゾウの化石を見学した。三浦半島は世界で最初にナウマンゾウが発掘された地域でもある。

江戸末期のことだ。幕臣・小栗上野介忠順がヴェルニーとともに横須賀製鉄所建設のため東京湾側を造成したときに発掘されたのがゾウの下顎の化石だった。それまで発掘されたどのゾウとも異なる形状であるのを見出したドイツの研究者ナウマンの名を取ってナウマンゾウと名付けられた。ナウマンゾウの化石は同じ三浦半島の長井地区などでも発見されている。

3万年ほど前の旧石器時代、三浦半島に生息していたナウマンゾウは寒冷化により餌となる植生が減少したこと、狩猟過多で急激に個体数が減少したことにより絶滅したとされている。
もしも旧石器時代の人々が持続可能な狩猟を心掛けていたら、その後の人類がナウマンゾウと共生する暮らしを続けていたら、三浦半島の生態系は今と大きく違っていたはずだ。わたしたちの暮らしもナウマンゾウに配慮したものになっていただろうし、地球との関わり方も違っていたかもしれない。
さよならも言わず消えていったナウマンゾウの化石を前に、種を失うことの代償の大きさを痛感させられた。悠久という大河の一滴に過ぎない己の小ささを実感した。わたしたちは誰もがほんのひとときだけ、この地球を間借りしている旅人に過ぎない。立つ鳥跡を濁さず。借りていた部屋を出ていくときのように現状復帰して次の世代に明け渡す責任があるはずだ。
650年後の未来のために

菩提寺の境内で見上げたカヤの木は25メートルもある巨木だった。幹が天に向かってまっすぐに伸び、中程から大きく枝を四方に張り出している。樹勢も旺盛で堂々としている。住職の話では江戸時代中期に植えられたものだという。樹齢350年。手入れを怠らなければあと650年はゆうに生き続けるそうだ。
娘にとっては曾祖父にあたる義祖父の三回忌法要だった。一週間前は降雪するほどの寒さだったのに、その日は4月並みの、汗ばむくらいの陽気だった。
戦国時代に創建された寺の本堂で遺影に手を合わせた。98歳で他界した義祖父はいつも仏のように穏やかに笑っている人だった。隣りに坐っている妻も娘も、義祖父が戦争で亡くなっていたら、存在していない。当然わたしがここで手を合わせることも。
菩提寺の建つ国道467号線は湘南へと続いている。10代の頃スクーターで何度も走った想い出深い道だ。10代の自分が墓参りに訪れた義祖父や義父、幼き日の妻とすれ違っていたかもしれないと想像するとなんとも不思議な気分だった。後につながる縁をこのカヤの木が見ていたかもしれないと思うと、余計に。
気候変動は進んでいるが、自然にはまだ復元する力が残っている。わたしたちはこれ以上その足を引っ張ることなく、後押しするようにほんの少しだけ手を動かす。枝や落ち葉で作ったしがら土留めや土中に長い棒を差し込んで小さな穴を開ける水脈作りもそのひとつだし、カヤの木が1000年と言われる樹勢を保てるよう定期的に剪定するのもそうだ。
ひとつひとつは小さな力だけれど、それが未来を作っていく。里山で手を動かしていると昔の人たちも同じ想いで土を耕し、水路を補修し、木々を剪定してきたのではないかと強く感じる。
こうした先人たちの意志を感じるたびに、この大地と海を受け継いでいかなければならないという使命感が強くなっていく。三浦半島で出会ってきた誰もが同じ使命を背負って、受け継がれてきたものを未来に繋ぎ続けているように、わたしも。旅するように暮らすこの町で。

2026年2月23日、春一番が吹く日に。
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。











































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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