#15 失われた里山と野生を取り戻すこと

それは、自然の報復なのか

酷暑の次に待っていたのは、熊被害だった。原因を作ったのは人間だ。かつては熊の生息地と都市の間に緩衝地帯としての里山があった。わたしたちはそこで木を伐採し建築資材やエネルギーとして利用していた。果樹や野菜を育てていた。時は流れ、資材がコンクリートやプラスチックという化学物質に代わったことによる木材の利用減少と担い手不足で人は里山を捨てて都市に密集した。手が入らなくなった自然は秩序から解き放たれた。里山に放置されたまま自生していた果樹などを求め熊たちは生息地を拡大。絶滅危惧種と言われていた個体数は激増した。そこに襲い掛かったのが近年の温暖化による食糧不足。記録的な暑さと干ばつで今年は冬眠前の主食としていたどんぐりが不作なのだ。生きるために食を求めリスクを顧みず人里に降りてきた熊たちの行動は温暖化を招いた人間に対する報復にも思えた。

三浦半島には熊こそいないが、わたしも自然との縄張り争いに直面している。相手は畑に蔓延る竹。不耕起栽培のおかげで干ばつでも土が渇かずに済んだが、代わりに竹に居座られてしまった。耕していたときは掘り起こしていたが、不耕起にしたせいで地下茎に領土を広げられてしまったのだ。竹は深さ50センチから1メートルのところで地下茎を伸ばしている。

「除草剤を使って下さい」

地主さんからそう指導された。周りでは使っているのだろうか。わたしの区画以外では竹どころか他の雑草もほとんど見当たらない。

里山の再生

畑で竹と共生することはできないのだろうか。それとも除草剤という最終兵器を使用するしかないのだろうか。混沌としていたタイミングで「久しぶりに会って話しませんか」と連絡をくれた人がいた。農業生産法人パラダイスフィールドの伊藤力さん。今から10年前、2015年に湘南国際村の下に広がる1万5,000坪の荒野でわたしたちは出会った。

そこはかつて宝金山と呼ばれていた里山だった。地域の人々が炭焼きなどを行っていた。昭和30年に尾根を削り開発が始まったが、資金難により頓挫。森林を伐採し、工事車両を通す道を通しただけの広大な荒れ地となっていた。

県有地となっていたその場所で伊藤さんは「森と畑の学校」という環境保全型の里山再生に取り組んでいた。取材を通じて取り組みを知ったわたしも、何度か草刈りや畑仕事に参加させて貰っていた。

「理想は高かったけど現実は厳しかった」

あれから10年——2020年に土地を県に返還した伊藤さんが同じ三浦半島の衣笠山に作った新たな拠点が今回訪問した「ありんくりんの森」だ。またしても70年近く放置されていた里山の集落を2年がかりで再生した森と畑のフィールドである。敷地は5,000坪にも及ぶという。

10年ぶりに現れたわたしというタイムマシンが伊藤さんを過去に連れ戻したのだろう。

「理想は高かったけど現実は厳しかった」

宮大工の指導を受けながら改修したという古民家でコーヒーを淹れながら伊藤さんが当時の里山再生について述懐し始めた。

「環境へのこだわりが強ければ強いほど自分の首を絞めることになる。幸福度は大きいけど」

それは竹の駆除に悩んでいたわたし自身の思いでもあった。

7年に渡って環境に寄り添う農業をしてきたが経済的には「一番良い時で自分に月4万円払えただけ」だったという。本業は半導体輸入会社の経営である伊藤さんもわたしも別の収入源があるから経済合理性のないやり方で農業に取り組めているのだ。

この土地を利用したいと最初に手を挙げたのもメガソーラーの事業者だったそうだ。耕作放棄地の利用を経済合理性で考えればそうなるのも頷ける。だが、地主さんの「建物も含めてこのまま使ってくれる人に譲りたい」という意向で環境保全型の農業を続けていく場所を探していた伊藤さんに白羽の矢が立ったという。

「何でも好きなようにやれ」—ありんくりんの森

最初に取り組まなければならなかったのは2,000坪にまで広がっていた耕作放棄地の竹林を伐採して畑を再生すること。2013年に里山の再生を目指して県有地を借りたときと同じだった。

「ひとりじゃ無理だし、人を雇う余裕もない。かといってボランティアでは続かないのも前回の場所で経験しました。だから今回はお金を頂いて能動的にやって貰うことにしたんです」

2020年に月6,000円の山会員(敷金3万円)と畑会員(敷金1万8,000円)を募集したところ、コロナ禍で「家族だけで過ごせる空間」を求めていた多くの人が入会してくれたという。ある人は整地してキャンプ場にしたり、ある人はハーブガーデンにしたりと思い思いの時間を過ごす光景が森の中に広がっていった。

「たくさんの人に好きなことや得意なことをやってもらったら、この山を譲ってくれた方が希望していたような場所になっていくんじゃないかなと思って」

その話を沖縄の友人にした時に教えて貰ったのがこの場所の名前にもなっている「ありんくりん」という言葉。親が子に「何でも好きなようにやれ」と伝えるときに使うのだという。

文明社会に生きるわたしたちが失ったもの

古民家の前に広がる1,000坪の畑も見せていただいた。

「5年目に入ってだいぶ地力も上がり、虫にも勝てるようになりました。草もある程度ないと土が渇き過ぎるから残してあります。今年の三浦半島は特に雨が振らなかったですしね」

畝と畝の間を歩きながら収穫を終えたオクラの茎を根から引っこ抜いていく。

「ヤギのランチです」

農園では草刈り担当の雄ヤギが飼われている。除草剤のように環境への影響もないし、草刈り機のようにエネルギーも消費しない。”ヤギ除草”は環境保全型の農業を志向する伊藤さんのこだわりのひとつだ。

ヤギの次に餌やりに向かったのはひよこ小屋。

「餌は全部地元の副産物です。蕎麦屋の出汁殻。豆腐屋のオカラ。料理店の魚のあら。混ぜて煮たものをひよこたちにあげてます」

餌代が掛からないだけでなく、資源を循環させることでゴミの削減にも貢献している。

「この小屋も廃材で作ったんです」

廃材が出るたびに貰ってきて小屋を建てているという。フィールドにはいくつもの小屋が点在していた。

平飼いの鶏舎では雌鶏たちが餌の到着を待っていた。小屋全体がネットで覆われている。

「オオタカに食べられちゃうんですよ」

狩りのできないカラスがオオタカを連れて来ておこぼれに預かるのだという。カラスのずるがしこさに舌を巻く。

「でも、オオタカがネットに足を絡ませて死んで以来、来なくなりました」

淡々と話す伊藤さんの声を聞きながら、オオタカの死骸を黙々と土に埋める背中を想像していた。

もともとこの土地に植えられていたという樹齢40年のザボンの木を抜けた先に、2つめの鶏舎があった。

「餌の米も業務用精米機で割れた米(砕米:さいまい)を貰ってます」

砕米の中に幾つもの小石が混ざっていた。業務用精米機には石抜機がついている。精米時に出る小石などの不純物を砕米と一緒に排出するのだ。

「鶏は歯がないから意図的に小石や砂利を飲み込んでいる。砂嚢という消化器官の内部で小石が歯の代わりに食べたものをすり潰しているんです。だから小石が混ざってる砕米がちょうどいいんです」

2羽の烏骨鶏が暮らす鶏舎を含め、3つの鶏舎で雌鶏の羽数は50羽近くになるだろうか。

「養鶏農家を名乗るには全然少ないですよ」と伊藤さんは苦笑していた。

確かに調べてみたら県内の養鶏農家一戸あたりの平均羽数は2万7千羽だった。

「今日は4個か」

その日の朝に産まれた卵を見せてくれた。雌鶏は急激に温度が下がると卵を産まなくなる。だから養鶏場の多くは冷暖房完備だ。

「葉山ステーションに棚を持っているんですけど、この数だと運送費で赤字になっちゃうので自分たちで食べちゃいます」

産卵数は一日平均20個。自然養鶏なので一個110円で販売されている。

養鶏を始めたのは鶏を飼うことで食糧自給率を上げることができるからと伊藤さんは言った。

「卵を産んでくれるし、産まなくなったら絞めて食べることもできますから」

若鳥ではないので市販のものと比べて肉質は固いが旨味がある。米麹にひと晩浸けておくと柔らかくなるそうだ。

かつての里山の暮らしがここにはあった。都市で生きているわたしたちが目を背けているものがここにはあった。地球というひとつの星で多様な命との共存共生していくことの熾烈さと苛酷さ。命をいただいて生きていくことの喜びと哀しみと、深き慈しみ。気候変動や熊被害など自然が牙を剥いて文明社会に襲い掛かってくる世界で生きていくには失われた野生を取り戻さなければならないと強く感じた。

自然の中で生き抜いていく知恵

もうひとつ、身につけておかなければならないのは自然の中で生きていく知恵だ。ありんくりんの森にはあちこちに水瓶がある。雨水を溜めているのだ。畑の水やりだけでなく、食器の油汚れを落としたり、風呂の水などとして使っている。水道が通っていないわけではないが、水すらもなるべく文明に頼らず天然の資源を循環させているのだ。

伊藤さんは廃材による小屋作りの一環として、薪で沸かせる風呂だけでなく、環境負荷ゼロのコンポストトイレまで自作していた。災害時には会員が避難生活を送れるよう水と食料とエネルギーが自給できる環境を整えているのだという。水は貯めた雨水と山の湧き水。エネルギーは森の木を伐採した薪だ。料理や暖房などで年間5トンは使っているという。

「冬は薪運びばっかりしてますよ。昔話みたいに」と伊藤さんは笑っていた。

未来を生き抜く鍵は第三の場所にある

すべてに手間と時間が掛かっていた。ここが無人島ならともかく、車で10分走ればコンビニがあり、全国チェーンのスーパーマーケットもある。そこには大量生産されたパック詰めの卵を始めとする食べ物が並んでいる。

「それでもやるのはどうしてですか?」

意地悪な質問は、他でもないわたし自身に向けたものでもあった。

「安い卵や安い野菜がいつまでも続くとは信じていないんですよ。色んなところに無理が来ているじゃないですか。農薬を使い続ければ地力が落ちていく。生産者は不安を抱えながらもやめることができない。一方で、環境に良くても経済合理性がないと続けられない。私が続けられるのは他の収入があるからです。だからやれるうちはやってやろうと」

「誰のためにですか?」

これもわたし自身への問い掛けだった。

「一番は自分のためです。自分を満足させるため。それがお金になるとかならないとか関係なくです。尊厳が守られない生き方って、空っぽになっちゃうじゃないですか。人はね、空っぽになると本当にしんどいんですよ」

伊藤さんはこの森を使って、フリースクールも運営している。

「農業体験をして貰って、夏はバーベキューをしたり、冬は鍋をしたりね。ベーコンを燻製したり、鶏を絞めて食べたりもしています」

自分の手で食べるものを育てる。それは”生きる力”を養うことでもある。わたしたちが文明社会で失った”野生”を取り戻すことでもある。

「みんな畑や山遊びをしているようで実はサードプレイスとして来ているんだと思います。仕事と家庭以外の場所を必要としていると思うんです。私も含めて」

経済合理性という物差しでしか評価されない学校というラインを降りた子どもたちと、その先に未来はないと気づいていてもそのレールを降りることができない大人たち。そのどちらもが効率や採算だけでは語ることのできない里山というサードプレイスへの回帰を求めているような気がした。本能的に。

人里への熊の出没も、わたしが畑で縄張り争いをしている竹林の拡大も、長年資材として使ってきた里山の木や竹を経済合理性がないからと放置したことがそもそもの原因だ。

都市と山林の緩衝地帯である里山を再生すること。失われた野生を取り戻すこと。より苛酷になっていく未来を生きていくための鍵はそこにあるのではないだろうか。そんなことを思っている。

旅するように暮らす、この町で。

2025年10月29日

About the Writer

青葉 薫

横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~

文・写真 青葉薫

夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。

15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで

「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。

#17 里山の生態系で外来種と正しく向き合うための科学と倫理
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