私たちが生きる現代社会は、ITやデジタル技術の進化により大きな変革を迎えているといっても過言ではない。今日の常識も、あっという間に非常識になる。そうした時代の変化は年々早くなり、ついていくことができず心が疲弊してしまう人も多いのではないだろうか。
しかし激しい時代の変化は、人類史上何度も登場している。日本でも古くは狩猟から農耕社会、律令国家から王朝国家、戦国時代から天下泰平の江戸時代を経て、明治維新へと何度も社会が一変する出来事が起こっている。そして二度の大戦を乗り越え、高度成長期という現代社会に繋がる大きな転換期を迎え、今に至る。
こうした動乱の世の中に先人たちはどのように向き合い、生き抜いてきたのだろうか。今回は、鎌倉時代の文学やそこから垣間見える思想に焦点をあて、激動の時代を生きるためのヒントを探っていきたい。
この世はすべて「常ならむ」もの
日本で11世紀ごろから詠われてきた「いろは歌」は、「いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど 散りぬるを)」から始まり、「わかよたれそ つねならむ(我が世誰ぞ 常ならむ)」と続く。これはそれぞれ「花が咲いても散ってしまうというのに」、「この世で永遠に変わらないものなど誰があろうか」という意味だ。花が咲いても散っていくように、生きとし生けるものはすべて等しくいつか死ぬ、という死生観を表したものとされている。
いろは歌は、仮名をすべて使っていることから手習い歌(文字を覚えるためのお手本となる和歌)として有名だが、そのような日常的な歌の中にも表れているところを見ると、この時代の人々がいかに「常ならむ」という考え方=「無常観」を大切にしていたかが窺えるだろう。
一体なぜ、こんなにも無常観が人々の生活に根付いていたのだろうか。
無常観が根付いた歴史的背景
そもそも日本人の精神思想である「無常観」とは、仏教における教えのひとつである「諸行無常」に基づいている。この世のすべてのものは常に移り変わっており、何ひとつ同じ状態であり続けるものはない、という考え方だ。
日本文学で描かれる無常観の象徴として、花(主に桜のこと)の散る様子や月の満ち欠け、川の流れなどが多いのは、四季の変化に富む日本では自然の現象を通して、その意識が深く刻まれていったからだと考えられる。その美意識が根付いたことで「もののあはれ」や「幽寂」「わびさび」など、独自の感性が後世でも育まれていったのだろう。
また、文学史において鎌倉幕府が確立した12世紀末から江戸幕府が開かれるまでの約400年間を「中世」と区分するが、中世が始まる鎌倉は、前時代である平安の王朝国家体制から社会が一変した、まさに時代の大転換期にあたる。南北朝、室町、戦国、そして安土桃山と続く中世は、各地で戦乱が繰り返されていた時代だ。
このような世相にあって、人々はしだいに浄土宗や日蓮宗などの新しい仏教宗派にすがるようになったという。仏教が権力側に寄っていた時代が終わり、宗派が多様化する中で「民衆救済」が打ち出されたことから、一般市民にとっても仏教が身近なものとなったのだろう。
平安時代から無常を嘆く文学は見られていたものの、より色濃く表れたのは中世文学からである。ここから分かるように、世の中が混乱していくと同時に市井の間で仏教宗派の多様化が浸透したことで、中世の人々の心の中に「どんなことでも必ず終わる、どんな人でも必ず滅亡する」という無常観を植え付けていったと考えられる。
「無常」をどうとらえるか。厳しい時代と向き合う姿勢

鎌倉時代に成立した随筆といえば鴨長明の『方丈記』と兼好法師の『徒然草』だが、どちらも仏教的な「無常観」を背景に描かれており、激動の時代に生きる者のリアルな心情を感じ取ることができる。さらに軍記物語である『平家物語』は、平家一門の栄華と衰退という実際の出来事をもとに「諸行無常」と「盛者必衰」を見事に描いた作品として今なお評価されている。
『方丈記』(鴨長明)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。」という書き出しは、多くの人が学生時代に暗唱した覚えがあるだろう。『方丈記』は、最後まで一貫してこうした無常観が描かれていることが特徴である。
前半は自身が遭遇した五つの出来事(大火、竜巻、遷都、飢饉、地震)について、後半は俗世を離れて方丈(一丈四方)の庵に移った自身の内面を記している。無常観文学として最も有名であり、乱世をいかに生き抜くべきかという人生論のような作品だ。
山奥の草庵での暮らしやそれに対する愛着、そこから得られた心の安寧について述べながらも、その愛着さえも妄執(悟りへの妨げになる迷いのこと)になるのではないかという、自責の念を感じるような自問で終わっている。動乱の世を見つめ無常観を強く表しながら、自身の心としっかり向き合っている『方丈記』は、現代の私たちが「昔は良かったのに」と嘆きながら、どうにか“いま”の状況に合わせながら必死に生きていこうとする様と、似ている部分があるのではないだろうか。
『徒然草』(兼好法師)
『徒然草』は、執筆動機を記した「序」と多彩なテーマで綴られた243段からなる随筆集だ。全編を通して、雅な平安王朝文化への追慕と無常観を基調として展開されている。無常の世で生きる難しさや、人の心もまた移り変わるものであることも記しており、現実の厳しさを鋭く見つめていたのだろう。
『徒然草』の大きな特徴は、無常を嘆くだけではなく、儚く移りゆくものに美しさを見出した中世的美意識が見られることだ。それは、「世は定めなきこそいみじけれ(この世は無常であるからこそ素晴らしい)」(7段)という一節からも窺える。また、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(93段)という部分は、「人が死を憎むのなら、生を愛さなければならない。日々楽しく過ごし、生きる喜びを感じなくていいのだろうか」という意味だ。
こうした考え方は、『方丈記』で見られる“ストイックさ”とは正反対のように思える。『徒然草』の中で見られる「無常であるからこそ、楽しみながら生きるべきだ」という兼好法師の思想は、現代の私たちの心にも響くものがあるだろう。
『平家物語』(作者不詳)
源平合戦前後における平家一門の栄華と衰退を描いた、軍記物語の最高傑作『平家物語』。この作品は、「諸行無常」を謳う序文が印象的だ。
冒頭の「祇園精舎の鐘」というのは、祇園精舎(インドの寺院)にある無常堂の鐘のことを指している。無常堂は病人や死期の迫った人々を収容する施設であり、この鐘は臨終を迎えた者に「諸行無常」の真理を悟らせ、その苦しみを和らげることを目的として鳴らされていたという。そんな一文から始まる序文は、「奢れる人も久からず」「猛き者も遂にはほろびぬ」と続き、一時代の隆盛を極めながら壇ノ浦の戦いで滅亡した一族の儚さを見事に表している。
物語は合戦の様子だけではなく、戦乱に翻弄される公家、時代に愛されなかった悲劇的な女性たちの姿も描かれており、この頃の社会の大きな変化に巻き込まれた人々の様子を窺い知ることができる。
『平家物語』で印象的な「盛者必衰」という言葉には、平家の辿る運命から見ても悲観的な印象を強く受けるだろう。しかし視点を変えると、いつの世も人が執着してしまう地位や名誉、財産も、いつかは消えてなくなってしまうものと捉えることができる。すると、流転しつづける“いま”をどのように生きるべきか、改めて考えるきっかけとなるかもしれない。
変化する世の中で、「諦めない生き方」を見つける

人類自体は長い間大きな進化をしていないにもかかわらず、周囲の環境だけが猛スピードで変化しつづけている。国際情勢に目を向ければ、戦争や経済状況の急激な変化によって、ある日突然昨日までと同じ生活ができなくなる国もある。現代の日本は、昔ほど社会情勢が一変するようなことはなくなったが、これから先もそうであるとは限らない。
あまりにも息苦しいこの世は、まるで修羅道のようだと言われることもある。そう感じるのは現代人だけではない。だからこそ人は古来、宗教や哲学、文学などを生み出すことで救いを求めてきたのだ。
人が抱える悩みは、時代が下っても案外変わらないものなのかもしれない。現代を生きる私たちが当時の価値観や思想に触れ、何を感じるかは人によってさまざまだろう。しかし、共通して言える大切なことは「激変していく世の中で、“諦める”(当時の宗教観でいえば来世に期待する)のではなく、無常の中での生き方を見つけること」ではないだろうか。ぜひ一度、鎌倉時代の文学をじっくり味わってみてほしい。あなたの知りたい答えが、そこに記されているかもしれない。
参考文献
『改訂版 プレミアムカラー国語便覧』数研出版株式会社
『面白いほどよくわかる仏教のすべて』金岡秀友監修 田代尚嗣著|日本文芸社
参考サイト
いろは歌 | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
無常堂 |新纂浄土宗大辞典
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