ルッキズムとは?「すべての人は美しい」では解決しない差別について

ルッキズムとは?

ルッキズム(Lookism)とは、外見に基づく差別や偏見のことだ。

ルッキズムという言葉を含む学術論文を調査した研究によると、ルッキズムという言葉が使われ始めたのは2000年頃からであり、比較的新しい言葉であることがわかる。

社会的に望ましいとされている外見に合致しない人が不公平な扱いを受けることは、学校、メディア、職場、プライベートな空間、あらゆる場所ではるか昔から行われてきたが、ルッキズムという名前がつけられたのは、最近になってからなのだ。

特筆すべきは、ルッキズム(外見に基づく差別)と呼ばれるもののなかには、レイシズム(人種差別)やセクシズム(性差別)が相当含まれているという点だ。つまり、人種や「男らしさ/女らしさ」という点から「見た目の美しさ」の基準が固定されてしまうことがある。以下で、ルッキズムの具体例を紹介していく。

具体例|ルッキズムは、美しくても、差別される

ルッキズムという言葉から、「美しい人が優遇され、醜い人が不公平な扱いを受ける」場面を連想する人は少なくないだろう。実際、仕事の力量に関係なく、「望ましい容姿の人」を採用し、「望ましくない容姿の人」を不採用にする、というのはルッキズムのひとつであることは間違いない。しかし、「望ましくない容姿の人」が、必ずしも社会的に「醜い人」というわけではない。美しいとジャッジされても、差別の対象になる場面はたくさんあるのだ。

ルッキズムの具体例1 オーケストラの演奏者は男性が採用されやすい

たとえば、オーケストラの奏者のオーディションにおいて、ブラインドテスト(奏者の容姿が隠された状態で、音だけを聴いて行われるテスト)にオーディション方法を変えたとき、女性の採用率がぐっと上がった、という調査がある。

これは、「オーケストラの奏者は男性」というイメージが強かったため、採用する側が無意識に女性を差別していたことになる。美醜の如何に関わらず、「女性という外見」が差別の対象となった事例だ。この事例からわかるように、ルッキズムは、セクシズム(性差別)のひとつの形として現れることがあるのだ。

ルッキズムの具体例2 大阪なおみ選手の肌を白く描く

ルッキズムの対象となるのは、社会的に弱い立場の人だけではない。数々の賞を得てきた、憧れの対象となる人であっても、ルッキズムに巻き込まれることはある。たとえば、著名なテニスプレイヤーである大阪なおみ選手は、スポンサー企業である日清食品のカップ麺のCMでアニメ化された際、意図的に肌が白く描かれていた。

このCMは、非白人を意図的に白人に書き替える人種差別的行為である「ホワイトウォッシュ」だと批判された。アニメ化を主導した人は、なぜ大阪なおみ選手の肌を、そのままの色として描かなかったのか。そこには、黒い肌よりも白い肌のほうが望ましいという差別意識が透けて見える。これは、ルッキズムが、レイシズム(人種差別)と結びついていることがよくわかる事例のひとつだ。

ルッキズムの具体例3 男か女かわからない人を嘲笑する

2024年7月から放送予定の宮藤官九郎脚本ドラマにて、「男か女かわからない看護師長」を演じる俳優は、「見た目もインパクト大(笑)」といったコメントを寄せている。ここには、「男か女かわからない人は、逸脱した存在であり、笑ってもいい」という外見に基づく差別意識がにじみ出ている。この差別意識は、「男女二元論」に基づいたものだ。男女二元論とは、女性と男性という性別は確固たるもので、その境界が揺らぐことはないというイデオロギーである。

このイデオロギーが強固な人は、「外見に基づいて人を嘲笑してはいけない」と普段思っている人でも、「男女どちらかわからない人は、おかしい」と思い込んでいるため、無意識の差別をしてしまいがちなのだ。「男女どちらかわからない」人を嘲笑う人は、「男らしくない」「女らしくない」人もまた、笑いの対象とみなしがちだ

「望ましくない外見の人を差別する」ルッキズムは、性別役割規範(男なら、または女なら、こうあるべきという規範)と強く結びついている、とも言えるだろう。

ルッキズムの具体例4 派遣会社テンプスタッフが女性の容姿をランクづけ

1998年、派遣会社の登録リストが流出したことが社会問題になった。登録リストの流出が問題になったのは、個人情報の観点からだけではない。女性の登録スタッフがA,B,Cにランクづけされていたのだ。

仕事内容に関係ないにも関わらず、「容姿がよいとされている派遣女子」を求めるのは、女性に職場の華としての役割を期待している証左であり、この事例もまた、セクシズム(性差別)とルッキズム(外見に基づく差別)が深く関連していることを示している。

対策|ルッキズムをしない、させないためにできることとは

最後に、ルッキズムをしない、させないためにできることを解説する。

ルッキズムとは何かを知る

ルッキズムの被害者にも加害者にもならないためには、個人や会社組織がルッキズムの存在を認識し、その影響を理解することが必要だ。何気ない一言がルッキズムになると理解することができれば、加害者になることが防げると同時に、被害にあった際に、声を上げやすくなるだろう。

公平な評価・採用基準を設ける

先に挙げたオーケストラの奏者のブラインドテストのように、外見に左右されない公平な評価・採用基準を設けることで、無意識のルッキズムを防ぐことができる。たとえばアメリカでは通常、履歴書に年齢を明記したり、顔写真を張り付けたりする必要はない。そうすることで、外見や年齢を採用基準から除外することができ、エイジズム(年齢差別)やルッキズム(外見に基づく差別)を防ぐことができるのだ。

多様な美しさを表象する。ボディポジティブを広める

メディアや広告業界が多様な美の基準を尊重し、さまざまな外見の人々を積極的に取り上げることも大切だ。白い肌の人が美しいとメディアが繰り返し唱えてきたことが、黒い肌の人に対する差別を生みだしているのだとしたら、様々な形の美を表象することで、そういった差別感情は薄れていくだろう。

近年、頻繁に見られるようになったのは、太っている人を美しく表象するボディポジティブ・ムーブメントだ。これまでの痩せ至上主義と異なり、様々な美しさの形がメディアで見られるようになれば、過食症・拒食症などに悩まされる若い人が少なくなる、といった効果も期待できるだろう。

ボディポジティブからボディニュートラルへ

ただし、ボディポジティブには、「美しさのバリエーションが増えただけでは?」という批判もある。「みんな違ってみんな美しい」という言葉に救われる人もいれば、「美しいとか美しくないとか、ジャッジされるのがそもそもキツイ」という人もいる。

「美しくなくても、不公平な目にあわないで生きられる世界が望ましい」「美しい、というジャッジであったとしても、外見をジャッジされたくない」「自分の容姿を美しいと思えなくてもそれでいい」といった人たちの考えをサポートする言葉として、ボディニュートラルという言葉がある。

ボディニュートラルとは「ポジティブ」であることを強要せず、自分の容姿について嫌いなところもあるけれど、それでよい、という考え方だ。

どんな状況でもポジティブにいようとすると、それ自体がストレスになり、余計に容姿に捕らわれることになりかねない。外見に囚われて苦しくなっている人、ボディポジティブに疲れた人は、ボディニュートラルの考えを取り入れてみるのもよいだろう。

さいごに|ルッキズムは社会問題

自分の容姿を磨いて、自分の容姿にポジティブになれることは素晴らしいことだ。しかし、いくら美しくなっても、ルッキズムから自由でいることはできない。なぜなら、ルッキズムは、個人の問題ではなく、社会の問題だからだ。ルッキズムは性差別、人種差別とも密接に結びついているため、そういった様々な差別が無くならない限り、ルッキズムが完全になくなることはないだろう。

しかし、ルッキズムについて学ぶことで、差別しない側になることはできる。ルッキズムは社会問題だ。私たち一人ひとりが社会を構成している一員なのだから、個人ができることから始めていくしかないだろう。

【参考文献】現代思想2021年11月号 特集=ルッキズムを考える(青土社)

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