
夏みかんは冬に色づく
夏みかんが冬に色づくのを知ったのは三浦半島で暮らし始めてからだ。緑の実が晩秋に入った頃から、日中のあたたかな陽射しと日没後の寒暖差でゆっくりと色づいていく。メカニズムは紅葉と同じだ。光合成をするための緑(クロロフィル)が分解され、その下に存在していた黄色(カロテノイド)が表面化していく。
10月に入り、ようやく25℃を下回る日が増えた。夏みかんはまだだが、庭先で色づき始めた温州みかんの木を目にすることが増えた。

春先に伊藤農園で聞いた伊藤克己さんの言葉がふと頭を過った。
「今、三浦のみかんが日本一おいしいって言われているんですよ」
農業に対する温暖化の影響を伺ったときの言葉だった。
果樹の栽培適地が北上している
平均気温15~18℃の温暖な沿岸部が適地とされる温州みかんの代表的な産地といえば愛媛や和歌山だ。だが、近年は気候変動により、これらの地域で高温障害による浮皮(果皮と実の間に空間ができる現象)や着色不良、収穫量の減少が増えているという。みかんは適温域が3℃と小さい為、わずかな温度変化が命取りになってしまうのだ。
温度管理のできるハウス栽培と違い、露地栽培の果樹は気候への依存性が極めて高い。かつては福井までとされていた温州みかんの北限も今は新潟まで北上しているそうだ。
三浦のみかんが日本一おいしいと言われているのも、栽培適地が北上しているせいなのだろうか。
三浦半島のみかんに何が起きているのか

みかんは新しい木を植えてから平均で30年は実をつける。30年前と今、そして30年後では、平均気温も降雨パターンも大きく異なる。同じ土壌でも、世代の違う木は全く別の気候条件で育つことになる。温暖化により栽培環境が刻々と変化している中、みかんの木に何が起きていて、どんな長期予測が立てられているのか。まずは鳥瞰図的な視点で全体像を掴むべく、三浦市農業協同組合営農部営農課の秋元琉椰さんに話を伺った。
「三浦では主に興津(極早生)、宮川(早生)、藤中(普通)という3種類の温州みかんが栽培されています」
そう言って見せてくれたのは、農協で定点観測しているみかん園の令和4年から令和6年までの3年間における、それぞれの開花日、肥大率、収量の栽培データだった。
もっとも開花の早い興津(極早生)が令和4年は5月5日、令和5年は4月25日、令和6年は4月26日にそれぞれ満開を迎えている。また、令和4年は5月9日に満開となっていた藤中(普通)も令和6年は興津と同じ4月26日が満開日だった。
また、肥大率が100%を迎えた11月下旬の大きさでは令和4年には59.8ミリだった縦幅は令和5年には69.6ミリを、令和6年には73.6ミリを記録している。横幅も令和4年の46.6ミリから令和5年は54.6ミリに、令和6年には59.5ミリを記録している。
「開花は年々早く、実は年々大きくなっているんです」
一方、収量は令和5年だけが前後の年の3分の1程度まで落ち込んでいる。
「みかんは隔年結果と言って収量の多い”表年”と収量の少ない”裏年”を一年おきに繰り返します。実を成らすと木は大きく体力を消耗するので一年おきに収量を落として体力を回復させているんです」
50年前に植えられたみかんの木
今年の三浦みかんはどうなのか。今度は虫のように地を這い小さな声を聞こうと、秋元さんとともにあるみかん園に向かった。地平線まで畑が広がる134号線を南端へ。三崎港の手前で脇道を入った山中にあるのが「飯島みかん園」だ。

「2025年のみかん狩りは今日からスタートなんです」
三代目の飯島正也さんの案内で螺旋状の坂を下っていく。山の斜面に広がる段々畑でみかんの木が鈴なりになっている。無数の緑葉の中に黄色に色づき始めた大きな実が顔を覗かせている。

「こっちの斜面に並んでいるのはどれも50年選手の老木なんです」
飯島さんは「自分よりも少し年上なんです」と笑っていた。みかんの木は平均寿命が30年と聞いていたわたしは、1975年、50年前に植えられた木が2025年も現役で実をつけていることに自分を重ねて胸が熱くなった。
「経営的には30年ごとに植え替えるのがいいとされているんですけど、幹が太くて骨格がしっかりしている木は50年経ってもちゃんと実を成らしてくれるんです」
三浦特有の黒ぼく土という土壌の力もあるのかもしれない。一方で同じ50年選手でも骨格が弱いと、たわわに実ったみかんが支え切れなくなって枝が曲がったり折れたりしてしまうのだという。
「人間と同じで個体差ですよね。老いてきのこが生えて来たりすると、数年で腐っちゃったりするし」

根元に白いきのこが生えたみかんの木に老いの哀しみを感じた。それはみかんの木も限りある生命であることの証拠でもあった。
気を取り直して、温暖化の影響についても話を訊いた。
「カメムシが出るようになりましたね。あとは雨の降り方が極端じゃないですか。今年は干ばつで実が乾燥していたところに大量に雨が降ったので、一気に水分が入って実が内側から割れちゃったんです」

三浦のみかんが今、日本一おいしいと言われる理由
気候変動による悪影響がある一方、栽培適地が北上している中で「今、三浦のみかんが日本一おいしいと言われている件」についても伺った。すると「おいしいという評価には個人差もあるので一概にそうとは言えないですけど」と前置きした上で教えてくれた。
「木に成っている期間が長くなったからじゃないですかね」
温暖化で開花が早くなった。実が成るのも早くなった。だからといって収穫期が早まったわけではない。寒暖差が大きくならないと色づかないせいで収穫期はむしろ遅くなっている。結果として実が木に成っている期間が伸びているのだという。
「木に成っている期間が長いほど木から与えられる栄養が増えるので、実は大きくなるし、味も乗り易くなるんですよ」
それこそが、おいしいと言われている原因ではないかと飯島さんは分析した。
「でも、色づくのが遅いせいで、以前は10月10日に始めていたみかん狩りが今年は5日遅れになったんですよ。最終日は11月30日って決まっているから営業日が短くなっちゃうんだよね」
三浦のみかん狩りは週末が勝負だ。シーズン中に天候に恵まれた土日が何回あるかでその年の売り上げは大きく左右される。ならば営業日を伸ばすわけにはいかないのだろうか。
「長く実をつけていると木が成り疲れしちゃうんです。11月の終わりから12月の頭には残さず実をもいで木を休ませないと次の年の収量に影響するんですよ」
すべての実を収穫した後、木は葉に養分を蓄えながら、春からの成長に備える。飯島さんのみかんが”裏年”と言われている今年も鈴生りなのは毎年の休養期間をしっかり確保しているからだという。
温暖化で開花日がさらに早くなれば、休養期間を確保するために最終日を繰り上げる必要も出てくるのかもしれない。そうなれば、みかん狩りのシーズンはさらに短くなる。
三浦のみかんは市場出荷されていない
「三浦のみかんは、みかん狩り用のみかんだからね」
50年前、飯島さんのおじいさんが山に段々畑を作ってみかんの木を植えたのが飯島みかん園の始まりだ。同じ県内で小田原のみかん狩りがブームになっていた時代である。「三浦でもみかん狩りを」。祖父はみかんが成る前に亡くなったが、三浦の未来に対する思いを受け継いだ飯島さんのお父さん世代が「三浦のみかん狩り」を地場産業として発展させたそうだ。

「東京が近いのが強みだよね」
週末には首都圏から多くの人が束の間の自然を求めて訪れる。眺望が良いのも飯島農園の特色のひとつだ。まぶしい陽射しを受けて黄色いみかんがたわわに実る段々畑の向こうに青い海が広がっている。弁当持参で訪れた都会っ子たちが一日中野山を走り回っていることも少なくないそうだ。
「良かったら食べてみて下さい」

木の下でもぎ取ったばかりのみかんを頂いた。前日の雨で水分を多く含んでいたが、ジューシーで糖度が高い。何よりこの鮮度はもぎたてでなければ絶対に味わうことができない。

「三浦のみかんは市場出荷されていないので、三浦に来ないと食べられないんです」
秋元さんが誇らしげに言った。産地から消費地に大量出荷されているみかんと違い、口にするときの鮮度が高いことも「三浦のみかんが日本一おいしい」と言われている理由なのかもしれないと感じた。
50年後の未来のために飯島さんが今年植えたみかんの木
最後に、農園で一番若い木を見せて頂いた。
「これです」
それは、今年、飯島さんが植えたというみかんの苗木だった。
「温暖化対策に、少しでも早く色づく極早生の苗木を植えたんです」

「でも、心配なのは環境よりも担い手かな」
飯島さんと秋元さんが苦笑いしていた。
「20年前は30軒あったみかん園が今年は9軒だもんね」
三浦では担い手の高齢化と後継者不足で閉園するみかん園が後を絶たないという。50年前、おじいさんが植えた木を父親とともに大切に繋いできた飯島さんが植えた木を誰が50年後の未来へと繋いでいくのか。
「娘は二人いるんだけどね」
簡単に言葉にできない飯島さんの複雑な思いを同じ父親として感じていた。
もうひとつの未来
みかんの栽培適地が北上し続ける中で、農研機構が策定した「もうひとつの未来」がある。ひとつは今世紀末までの適地移動の詳細な予測。

もうひとつが、適地よりも高温になった地域がアボカドの栽培適地になっていくという提言だ。

温州みかんの名産地だった愛媛の松山ではすでにみかんやいよかんからの転作としてアボカドの栽培が始まっている。輸入に頼っているアボカドを国産品でまかなうことはCO2の排出削減にも繋がるし、気候変動下において食料を確保するための適応策でもある。だが、露地栽培のみかんとともにある生態系にどのような影響が及ぶかはわからない。
2025年に植えたみかんの木が実り続けている未来

50年前に飯島さんのおじいさんが植えたみかんの木に、ご家族がその命を大切に繋いできた年月を想像した。今年、飯島さんが植えたみかんの苗木に、50年後の世界を想像した。そして、大人になった娘が老木となったこの木でみかん狩りをする未来を想像していた。わたしたちが地球温暖化を食い止めない限り、決して訪れることのない未来のことを。
旅するように暮らす、この町で。
2025年10月15日
三浦みかん狩り組合(*2) (事務局 三浦市農協)
入園時間 9:00〜15:00
開催期間 2025年10月15日〜11月30日(雨天休園)
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。






































