第5回 バターをめぐる旅|興部町・チーズ工房アドナイ

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。

そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。

さあ、一緒に出かけましょう。

生産者をめぐる旅の第3回目は、バターをめぐる旅だ。

バターという食材は、普段、あまり吟味して買うことの少ない食材ではないだろうか。そもそも、どのバターにしようかと考えるまでもなく、売り場には1種類しかないこともある。そして、大手の乳業メーカーが製造しているものがほとんどである。

そこで注目したのが、発酵バターである。発酵バターを作っているのは、酪農地帯のまっただなかに工房をかまえるチーズ職人だった。北海道のオホーツク海に面した興部町にある、チーズ工房アドナイを訪ねた。

実はアドナイさんとは日常的な縁がある。私は、週に1回、札幌の小さな書店「Seesaw Books/シーソーブックス」で働いている。書店では夏の間、ソフトクリームを提供しており、そのソフトクリームミックスが、チーズ工房アドナイで製造されているのだ。つまり、私はアドナイさんのソフトクリームをくるくる巻いている1人なのであった。

そのチーズ工房アドナイで発酵バターも作っていると知り、一路、オホーツクへと向かった。

家族で営むチーズ工房

家族経営の小さなチーズ工房であることは知っていた。事前に調べたところによると、1994年に堤田克彦さんが牛舎を改装して工房を設立したとのことだった。

取材を申し込むと快諾していただいたのだったが、メールには堤田めぐみさんの名前が記されていた。一体どなたが対応してくださるのだろうと思いつつ工房にうかがうと、待っていてくれたのは、克彦さんの長女・めぐみさんと、次男・まことさんだった。

実はチーズ工房は、ここ1、2年で両親から子どもの代に移行したのだそうだ。家族経営と聞き、両親が営み、子どもたちが手伝うという形態を想像していた。だが現在では、なんと、10人きょうだいのうち、長女と長男、次男、三男、四男の5人で経営しているのだと言われた。

こんなに見事な家族経営の話は聞いたことがなかったので「後を継ぐことにためらいや抵抗はなかったのですか」とたずねた。

チーズ製造を主に担っているまことさんは言った。

「後継ぎについて、いずれはやるんだろうなと思っていました。むしろ、やりたくないと強くは思わなかったという感じでしょうか。父は、口では『好きなことしろ』と言ってたんです。でも、後を継いでほしいのだという気持ちはいつも感じていました」

すると、代表取締役のめぐみさんも付け加えた。

「いつも、チーズ作りの手伝いには、駆り出されていたんです。でも、父は感性の人なので、『同じようにやればいいんだ。こうやってカチョカバロは伸ばせ』などと言われても、どうすればいいのか、なかなかわからないんですよね。でも次男はなぜか上手に作っていました」

原料の生乳は近隣の酪農家から

お父さんの時よりも、スタッフがたくさんいる工房では、商品数も生産量も増えた。チーズの種類も多くなり、現在ではヨーグルト、フローズンヨーグルトバー、ソフトクリームミックス、発酵バターなども生産、販売している。

原料となる牛乳は、3軒の酪農家から仕入れている。メインは近所にある牧場である。そう話を聞くだけで安心感が湧き上がってくる。

ソフトクリームミックスの原料である生乳は、隣町の西興部の酪農家からやってくる。その原料乳は、牧草のみで育ったグラスフェッド・ミルクである。持続可能な放牧酪農によって生産される牛乳なのだ。

3軒目は、堤田牧場だ。実は、堤田家の五男であるひじりさんが経営する牧場である。ひじりさんは、小さい頃から牛が好きだったという。2020年に20歳で就農し、興部町内で酪農を営んでいるのだ。堤田牧場の生乳は、有塩発酵バターの原料である。

「牧場によって、生産される牛乳の風味や脂肪分が異なります。たとえ同じ餌を揃えても、場所や飼育の仕方で変わるんです」とまことさんは教えてくれた。

現在、酪農をめぐる状況は厳しいものになっている。卵の回でも触れたが、特に飼料価格の高騰が畜産経営を圧迫している。国際情勢や円安などが影響しており、酪農家の努力と関わりのないことで、大変な苦労を余儀なくされているのだ。

そんななかで、地域で酪農家とチーズ工房が結びついていることは、どれほどお互いの支えになっていることだろうか。そして、牛乳やチーズやバターを購入して生きる糧とする私たちも、実はこの結びつきに加わることができる。

アドナイのチーズをおいしく食べることは、ともに支え合う一員になることなのだ。

チーズ工房と発酵バターの深い関係

アドナイで作られるバターはすべて発酵バターである。どうしてなのだろう。まことさんにたずねた。

「チーズ作りをしながらバターを作るのに、発酵バターは向いているんです。発酵させるため、チーズと並行して作業ができて、普通のバターよりもかえって作りやすいですね。父の代から、うちではクリームにプレーンヨーグルトを入れて発酵させて作っています」

発酵バターは生乳からクリームを取り出し、そこにヨーグルトを入れて1日発酵させ、冷蔵庫に1週間寝かせて完成する。実は、こうしてチーズ工房でバターを作るのには、もう一つ合理的な理由がある。

「生乳からチーズを作る際には、チーズの種類に応じて、脂肪分を調整しなければなりません。脂肪分の少ないチーズを作る場合、どうしてもクリームが取れます。それを活用するのがバター作りなんです」

めぐみさんが教えてくれた。

なるほど。生乳を無駄にせず使い切る知恵なのであった。有塩発酵バターの説明にはこう書いてある。

「一頭一頭をかわいがり絞った生乳から作ったバターはやさしいコクがあり良い香り。色は温かみのある黄色味が特徴です」

発酵バターは爽やかな酸味があり、口に含むと、草原の風に吹かれているような爽快な気持ちになる。

笑顔と共に作られるチーズやバター

まことさんは、チーズを作っていて楽しいことは、思い通りに完成品ができることだと言う。「上手に作れて美味しいと言ってもらえるとモチベーションが上がりますね」

ただし最近は、以前よりも暑い日が多くなり、熟成期間中の温度管理が難しいのだそうだ。

創業30年の工房には、数多くの固定ファンがいる。とはいえ、経営上の苦労はないのだろうか。すると、めぐみさんは笑いながら言った。

「家族でやっていると遠慮がないんです。『言わなくても、わかってるでしょ』みたいになってしまって、かえって綿密な意思疎通が取れないことがあります」

経営の問題というよりも、ごく普通の家族内のやり取りのように聞こえて、むしろチームの結束の強さが感じられた。

実際に興部を訪れて現地の環境のなかで、作り手のお話をうかがってわかったのは、次のようなことだ。

素晴らしい環境で大切に育てられた牛から搾られる、とても新鮮な生乳が使われていること。そして、チーズやバターを心底好きな人たちが、笑顔で作っていること。

そうやって生産された食べ物が、美味しくないわけがない。

創業当時に建てられた、子羊の看板に見守られながら、今日もアドナイではチーズやバターやヨーグルトが作られている。

爽やかで優しい風味の発酵バターは、チーズにも、かわいがられている牛にも、そして堤田家の人たちにもつながっている。たくさんのつながりを得て、また一歩、ケーキに近づいたのであった。

今回の生産者さん

チーズ工房アドナイ

チーズ工房アドナイは、北海道のオホーツク海に面した興部町にある、家族経営のチーズ工房。代表取締役は、創業者の長女・堤田めぐみさん。4人のきょうだいとともに、ヨーロッパの農家が作るチーズを手本として、独自の製法でチーズを作っている。近隣の酪農家の牛乳を使い、モッツァレラやカチョカバロなどのイタリアンチーズを中心に、フレッシュタイプ、セミハードタイプ、ウォッシュタイプなどのチーズ、ヨーグルト、発酵バターなどの生産・販売を行っている。

About the Writer
林心平_横松心平

横松 心平

1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
この人が書いた記事の一覧

いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜

文・写真 横松心平

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」


身近なところで、

小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。

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