
人工妊娠中絶とは
人工妊娠中絶とは、意図的に妊娠を中断させることであり、胎児が母体外で生存できない時期に、指定の医師によって胎児を母体から取り出す行為を指す。
過去30年間で妊娠中絶の自由化を法的に認めた国や地域は60以上にのぼり、現在では基本的な人権として広く尊重されている。全世界の妊娠可能な人々の約60%が、法的に人工妊娠中絶の権利が保障された地域に居住しているとされる。
一方で、こうした自由化の流れに反し、アメリカ合衆国、エルサルバドル、ニカラグア、ポーランドでは、認められてきた中絶の権利に対する見直しが進行している。
日本における妊娠中絶の権利は?
日本では刑法において堕胎罪が規定されており、胎児を意図的に流産させることは原則として禁止されている。ただし、母体保護法に基づき、妊娠21週6日までであれば、母体保護法指定医による医療行為が認められている。
また、人工妊娠中絶を受けるためには、以下の2つの条件のいずれかに該当している必要がある。
- 妊娠の継続または分娩が、身体的もしくは経済的理由により母体の健康を害する可能性がある場合
- 暴行もしくは脅迫などにより、抵抗や拒絶が困難な状況で性行為を強制され、妊娠に至った場合
日本国内での妊娠中絶で気を付ける点
日本で人工妊娠中絶を受ける場合、注意すべき点が2つある。
ひとつは配偶者の同意が必要であること。もうひとつは、22週目以降は中絶を選択できないことだ。
まず、人工妊娠中絶を受けるには原則として配偶者の同意が求められる。そのため、中絶を希望する場合は、2人もしくは家族としっかりと話し合うことが必要である。
どうしても配偶者の同意が得られない場合は、以下の条件に限り、配偶者の同意なしでの人工妊娠中絶が許可されている。
- 配偶者の行方が知れない場合
- 配偶者がすでに亡くなっている場合
- 配偶者と婚姻関係が解消している場合
- 配偶者に意思決定力がない場合
また、妊娠から22週を超えた場合は、いかなる事情があっても人工妊娠中絶は認められない。母体保護法の条件に当てはまらない意図的な妊娠状態の中断は、堕胎罪によって1年以下の懲役に科せられる。そのため、もし中絶を希望するのであれば、なるべく早めに意思決定する必要がある。、もし中絶を希望するのであれば、なるべくはやめに意思決定する必要がある。
人工妊娠中絶のリスク
人工妊娠中絶は、指定の医師のもと、しっかりと母体への影響に配慮したうえで行われる。しかし、ごく稀に身体的もしくは精神的な影響を及ぼす可能性がある。
身体的なリスク
痛みや出血、めまいなどの軽度なものから、感染症・子宮頚管損傷・繊毛遺残などの合併症までさまざまだ。医師は極力リスクを避けて対応するが、もし不安であれば、医師への相談の際に、合併症のリスク等に対する配慮を聞いておくのが望ましい。複数のクリニックを訪問するのは体力的にも精神的にも負担がかかるが、より幅広い選択肢から医療を受ける場所を選ぶことも重要だ。
精神的なリスク
人工妊娠中絶の後、PTSD(心的外傷ストレス)を発症する可能性がある。PTSDとは、トラウマになる出来事が起きたあとに発症する症状で、不眠や不安定な精神状態といった状態におちいる可能性がある。
中絶を選んだあとで、罪悪感や自己嫌悪に見舞われてしまうケースがある。もし中絶後に深い苦しみや悲しみにおちいった場合や、孤立を感じる場合、頼れるサポートがあることを忘れないでほしい。
例えば、次のような場所やサービスがある。
- 医療機関での受診(産婦人科・心療内科・精神科)
- ピアサポート
- カウンセリング
- 自治体による情報提供
- グリーフケア
一概に医療機関やカウンセリングといっても、どの症状に特化しているかは、施設や担当者ごとに異なる。そのため、事前にネットや電話で、人工妊娠中絶のPTSDを対象にしているかを聞いておきたい。対象としていない場合は、適切な対応を受けられない可能性や、それによってさらに精神的に疲れてしまうリスクがある。
人工妊娠中絶を選択する理由
世界保健機関 (WHO)によると、毎年世界中で行われている人工妊娠中絶は、約7,300万件とされている。望まない妊娠をした女性の61%、妊娠全体のうち29%は、人工妊娠中絶によって、妊娠を中断している。日本では、令和3年に126,174件の人工妊娠中絶が行われた。
妊娠中絶を選ぶ主な理由は、次の通りだ。
- 子育てをするのに十分な資金がないため
- 国や自治体からの子育て支援ではまかないきれないため
- 学業を優先したいため
- パートナーとの安定的な関係性が見込めないため
- 子どもを育てるのに適したタイミングではないため
- 母体の身体もしくは精神への影響を考慮したため
- キャリアを優先したいため
このように見ると、日本における人工妊娠中絶は強制的な性行為よりは経済的な問題や年齢、そしてキャリアへの願望が影響していることが分かる。人工妊娠中絶をもし減らすのであれば、若年層での望まない妊娠を避ける性教育と並行して、経済的もしくはキャリアに関する理由で出産を諦めずに済むような子育て支援の充実も求められる。
人工妊娠中絶に関する誤解

人工妊娠中絶に対する社会的な理解は足りていない。その誤解によって、中絶後にさらなる精神的なダメージを負う可能性がある。
例えば、次の2つのような誤解だ。
- 人工妊娠中絶の選択は無責任であるという誤解
- 産んだ後に養子に出せばいいという誤解
人工妊娠中絶の選択は無責任であるという誤解
人工妊娠中絶を選択した人に対して、「無責任だ」「避妊をしろ」といった心無い言葉が投げかけられることがある。しかし、軽い気持ちで妊娠中絶を選ぶ人などほとんどいない。
中絶そのものが、身体的にも精神的にも大きな負担となるためだ。また、100%成功する避妊方法は存在せず、たとえ避妊効果が高いとされる低用量ピルでも、効果は99.7%と高水準だが完全ではない。
人工妊娠中絶に関してどのような意見を持つかは個人の自由である。しかし、特定の個人やグループを攻撃することは、他者の権利や意志を傷つける行為であることを忘れてはならない。
産んだ後に養子に出せばいいという誤解
人工妊娠中絶を減らすために、「子どもを産んだ後に養子縁組に出せばいい」という意見もある。確かに養子に出せば、胎児の命は守られるかもしれない。
しかし、人工妊娠中絶を選択する理由は、出産後の生活への負担や不安だけではない。妊娠期間中にも金銭的な負担がかかり、さらに学業やキャリアが一時的に中断される。もともと身体的あるいは精神的に負担を抱えている人にとっては、妊娠自体が大きな負担となり、耐えられない可能性もある。したがって、出産後に焦点を当てたサポートや政策のみでは、十分な解決策とはならない。
人工妊娠中絶に反対する理由
人工妊娠中絶の法的な自由化がすすんでいる一方で、違法化を求める声もあがっている。英語圏では「プロライフ(命に賛成)」と表現されており、胎児の権利に焦点を当てる考え方だ。その背景にあるのは、宗教的な価値観や倫理観である。
例えば、カトリック教では、聖書に「汝殺すなかれ」という文言が記載されており、胎児であっても意図的に命を奪うのは許されないと考えられている。また、胎児であっても生きる権利や他者によって人生を奪われない権利が保障されるべきであり、その権利を奪うのは倫理や法律に違反しているといった見方もある。
人工妊娠中絶反対派は決して少数派ではない。例えば、アメリカ選挙戦において、人工妊娠中絶に対する政策は、大きな議題のひとつだ。2024年の大統領選挙戦では、民主党のカマラ・ハリス氏が、憲法による人工妊娠中絶の合法化を約束する一方、共和党のトランプ氏は州に判断を委ねることで、人工妊娠中絶反対派の支持獲得を狙っている。
人工妊娠中絶は、なぜ合法化されてきたのか
人工妊娠中絶の合法化は、主にフェミニズム団体をはじめとした、女性の権利を求める人々によって推し進められてきた。その背景にあるのは、次の3つだ。
- 女性の選択権を女性自身に委ねるため
- すべての女性が平等な権利を有するため
- 危険な妊娠中絶を避けるため
1. 女性の選択権を、女性自身に委ねるため
人工妊娠中絶賛成派は、個人の自己決定権の尊重に焦点を当てており、英語圏では「プロチョイス(選択に賛成)」と表現されることが多い。各国で人工妊娠中絶の合法化が進められてきた背景には、身体や将来に関する選択権は本人が持つべきだという考えがある。望まない妊娠は、妊娠可能な身体を持つ人の健康に影響を及ぼし、将来性を制限してしまう可能性が否めないためだ。
また、人工妊娠中絶の判断やそれに関する法律など、女性の健康や将来に深く関わる決定権が男性に委ねられているという見方もある。そのため、女性が自己決定権を有しない現状に反対する声が上がっている。中絶を禁止する地域の中には、妊娠継続が母体の健康に悪影響を及ぼす場合に限り、例外的に中絶を認める地域もある。しかし、その判断を下す医師は多くの場合男性であり、人工妊娠中絶に関する法律を作成しているのも男性の政治家や法律家が多い。
2. すべての女性が平等な権利を有するため
一部の国や地域で人工妊娠中絶が合法化されると、中絶を希望する近隣の国や地域の人々も当該の医療施設に頼ることが可能になる。しかし、これは選択の自由を保障するものではない。経済的に余裕のある女性のみが自らの意思に基づいた選択ができる一方で、移動費用を負担できない人には同等の機会が与えられないからである。
3. 危険な妊娠中絶を避けるため
人工妊娠中絶が合法化されていない状況で、どうしても出産が難しい理由がある場合、危険な方法で中絶を試みる可能性がある。たとえば、医師の判断なしに中絶薬を使用したり、転落や腹部への衝撃を加えることで流産を図るといった方法だ。また、違法なクリニックを利用するケースもある。
しかし、専門的な判断と適切な対応ができる医師がいない環境での人工妊娠中絶は、母体の健康に深刻な影響を及ぼす。たとえば、大量出血や感染症、生殖器や内臓の損傷が起こり得る。さらに、最悪の場合、命を落とすリスクも伴う。
まとめ
人工妊娠中絶には賛否両論がある。しかし、中絶するかどうかの判断は、個人の価値観や政治、宗教的な信条だけに基づくものではない。現在の経済状況、健康状態、そして今後妊娠を継続し子育てが可能かどうかといった要因も考慮し、多角的に判断されるべきである。
実際、世界各国では合法的に人工妊娠中絶を受けられないために、妊婦が命を落とす事件が発生している。たとえば、2024年9月に米ジョージア州で発生した事例では、州法の制約により中絶手術が制限されていたために、女性が命を落とした。この女性は他州で中絶手術を受けたが、その措置が不十分で容態が悪化し、ジョージア州の病院に搬送された。そこでD&C法(中絶手術の一種)が検討されたが、州法の制約により手術実施の判断に時間がかかり、迅速な対応ができなかった。州の調査委員会は、速やかにD&C法が実施されていれば、この女性の命は助かった可能性があると結論付けている。
望まない妊娠を防ぐ対策や、胎児の権利を尊重するための政策も重要だ。しかし、法による制約で母体が危険にさらされる事態を招いてよいのだろうか。各個人の状況に応じた判断が可能となる柔軟な体制が維持されることを期待する。
Edited by k.fukuda
参考サイト
The World’s Abortion Laws|Center for Reproductive Rights
母体保護法|法令検索
Abortion|World Health Organization (WHO)
Amber Thurman was killed by Georgia’s abortion ban. There will be others|The Guardian
HONORING SAN FRANCUSCO’S ABORTION POIONEARS|University of California, San Francisco




















