ジェンダーフルイドとは?ノンバイナリーとの違いやよくある誤解を解説

ジェンダーフルイドとは?ノンバイナリーと何が違う?

ジェンダーフルイドとは

ジェンダーフルイド(Gender fluid)とは、ジェンダーが固定的ではなく、流動的に変化する人を指す言葉だ。ジェンダーフルイドを自認する人は、自分の性別を時には女性だと思い、時には男性だと思い、時には男女どちらでもないと感じることもあり、性自認が流動的だ。彼らのジェンダー・アイデンティティは、ひとつに固定されておらず、一日の中で変化することもあれば、数日単位、数ヶ月単位で変化することもある。

外見は、男性的、女性的、中性的、いずれのファッションを選ぶのかは、時と場合によって変わる。ただし、外見は女性にしか見えないし、女性的なファッションを好むけれど、ジェンダー・アイデンティティは流動的だ、というケースもあるので、必ずしも外見的な変化が伴うというわけではない。

ノンバイナリーとの違い

ジェンダーフルイドはノンバイナリーと混同されやすい。厳密にいうと、ジェンダーフルイドは、ノンバイナリーのいち形態だ。

ノンバイナリー(Non Binary)とは、男女という二元的な性別に当てはまらないジェンダー・アイデンティティのことだ。ノンバイナリーの人の中には、自分は男女どちらでもなく中性だと感じる人もいれば、日によって自認する性別が違う(ジェンダーフルイド)の人もいる。

ジェンダーフルイドについてのよくある誤解

ジェンダーフルイドについてのよくある誤解

ジェンダーフルイドには、数々の誤解や偏見がある。ここでは、その一部を紹介していく。

誤解① 若いからまだ混乱しているだけ

レズビアンやゲイの人たちが、若い時に同性を好きになったと周囲に打ち明けた際、「今はまだ運命の相手に出会っていないから」「若いうちにはよくあること、大人になったら迷いは晴れる」と諭されることがよくある。

同様に、ジェンダーフルイドの場合も、一時的な気の迷いだと思われることが多い。しかし、ジェンダーフルイドは一時的な混乱や迷いではない。

誤解② 中性的なファッションを好む

ジェンダーフルイドを含むノンバイナリーの人たちは、中性的なファッションを好むと思われている。当然、中性的なファッションを好む人もいるが、フェミニンなファッションやボーイッシュなファッションを好む人もいるし、日によってファッションが変わる人も多い。

誤解 バイセクシュアルな人だ

ジェンダーフルイドの人は、バイセクシャルだと思われることもよくある。しかし、ジェンダーフルイドは単に性自認を表す言葉であり、性的指向とは関係がない。ジェンダー・アイデンティティとセクシュアリティは混同されやすいが、分けて考える必要がある。

ジェンダーフルイドの人たちの性的指向は多様であり、バイセクシャル(男女両方、性的に惹かれる)の場合もあれば、特定の性別しか性的に惹かれない場合もあれば、パンセクシャル(性的に惹かれる人の性別は問わない)の場合もある。

ジェンダーフルイドを公表している有名人

近年、ジェンダーフルイドであることを公表している有名人が増加している。ここでは一例を紹介していく。

ルビー・ローズ(Ruby Rose)

人気ドラマ『オレンジ・イズ・ニューブラック』などの出演で知られるオーストラリア出身の俳優でモデルのルビー・ローズは、「男性、女性、どちらの性別もフィットしない感覚がある」とし、自身がジェンダーフルイドであることを公表している。

リリー・ローズ・デップ(Lily-Rose Depp)

ヴァネッサ・パラディとジョニー・デップの間に生まれ、2世俳優として活躍しているリリー・ローズ・デップもジェンダーフルイドであることを公表している。

サム・スミス(Sam Smith)

イギリスの歌手であるサム・スミスは、ジェンダー・アイデンティティが流動的であると感じることを表明し、自身がノンバイナリーであることを公表している。

2024年、サム・スミスは同じくノンバイナリーを公表している宇多田ヒカルとコラボ曲「Stay With Me」を発表した。

このように、アメリカやイギリスでは、頻繁にセレブがジェンダーフルイドまたはノンバイナリーであることを公表している。しかし、日本人セレブでノンバイナリーを公表しているのは宇多田ヒカルのみだ。

日本人の有名人がノンバイナリーやジェンダーフルイドであることを公表しない背景には、そもそもジェンダー・アイデンティティという概念の認知度が低く、未だ偏見が強いことが関係しているだろう。

ジェンダーは本当に内面的なものなのか

ジェンダーは選べる? ジェンダーはパフォーマンスなのか

ジェンダー・アイデンティティとは、個人が自分のジェンダー(社会的な性)をどのように認識しているのか、を表す概念だ。生まれた時に女性だと医師から告げられ、自分が女性だと認識している人のジェンダー・アイデンティティは、女性だ。生まれた時に女性だと告げられたけれど、自分の性別は男女どちらでもない、あるいは流動的だと感じているならば、ノンバイナリー、あるいはジェンダーフルイドがジェンダー・アイデンティティになる。そう聞くと、生まれてから自分の性別に疑問を抱いたことがない人は、「ジェンダーは生まれつき決まっていて、選べないのでは?」という疑問を持つかもしれない。

哲学者のジュディス・バトラーは、ジェンダーに関して、「ジェンダー・パフォーマティブ・モデル」という概念を提唱した。「ジェンダー・パフォーマティブ・モデル」とは、一般的に、生まれ持った性質が表に現れたものとして考えられているジェンダーが、実は、「行為、パフォーマンス」の反復や積み重ねによって、内側にあるとされている「本質」があたかも最初から存在するかのように事後的に作られているのだ、とする概念だ。

例えば、女の子が、「女の子なんだから、優しくしなさい」男の子が「男の子なんだから泣いちゃだめ」などと繰り返し教育されることで、子どもたちは女らしさ、男らしさのパフォーマンスを繰り返し行い、内面化していき、そしてついには、「やっぱり女の子だから優しいね」「男の子だから泣かなくて強いね」と言われるようになる、ということだ。つまり、バトラーは、私たちが社会的に期待される性別役割に従って行動する、「行為」こそがジェンダーなのだ、と述べている。

バトラーのこの主張は、「バトラーは、ジェンダーが行為であり、誰もが自由にジェンダーを選べると主張しているのだ」と誤解されがちだ。しかし、バトラーは「ジェンダーは自由に選択できる」とは言っていない。むしろ「ジェンダーは強いられるもの」だと述べている。

女らしくしなさい、男らしくなれ、女らしくないからやめなさい、男の子なんだから、といった指示、嘲笑、恫喝を受けて、子どもたちは育つ。社会的に強いられることで、女らしさ、男らしさが作られていくのだと、バトラーは言っているのだ。

バトラーの説を鑑みると、ノンバイナリーや、ジェンダーフルイドを自認する人たちは、社会から押し付けられるジェンダーという行為にNOを突きつけた人、と言い換えられるかもしれない。

さいごに。ジェンダー・アイデンティティは人によって違う

自分のことを男性だと自認するのか、女性だと自認するのか、どれにも当てはまらないと感じるのか、日によって違うと感じるのか、は人によって違う。

多様な生き方が排除されない社会を作るためには、「ジェンダー・アイデンティティは人によって違う」と知っておくことが大切だろう。

Edited by c.lin

参考サイト

『バトラー入門』(藤高和輝著 ちくま新書)

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