第3回 小麦粉をめぐる旅|本別町・前田農産食品

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。

そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。

さあ、一緒に出かけましょう。

生産者をめぐる旅の第2回目は、小麦をめぐる旅だ。

「麦秋」という言葉がある。麦が熟す初夏の頃を表すものだ。同名の小津安二郎の映画もあった。白黒映画であったのにもかかわらず、小麦の黄金色が見えるような気がしたのを覚えている。

この麦秋をつかまえるべく、7月の十勝へと足を運んだ。

通常、生産者は小麦を農協に出荷する。その後、他の農家で生産されたものと混ぜられて製粉され、小麦粉として出荷される。

ただし、プライベートブランドとして小麦粉を作っている農家もないわけではない。その1人、本別町の前田農産食品・前田茂雄さんを訪ねた。先祖が開拓に入ったのはなんと19世紀末で、125年以上の歴史のある農家である。

取材にあたっては、どうしても収穫直前の小麦畑にうかがいたかった。連絡してみると、今年は異例の速さで麦が登熟しているとのことだった。

「親の世代では、7/26〜27が収穫でしたが、去年は7/18で、これまでの最短記録でした。ところが今年は7/16の見込みで、年々早くなっています。猛暑のせいで、小麦が早く成長してしまうんです。対策はなく、収穫するしかありません」

そんなわけで、取り急ぎ十勝へ向かうことにした。

「生産者の顔の見える小麦粉」を作りたい

前田農産食品では、「春よ恋」「はるきらり」「キタノカオリ」「きたほなみ」の4品種の小麦粉を、プライベートブランド商品として販売している。大きく分けると、「きたほなみ」が薄力粉であり、残りの3品種はパン用の強力粉である。今回のケーキの材料のお目当ては「きたほなみ」だが、これらオリジナルブランド誕生のきっかけは、パン用小麦にあった。

2007年、農林水産省は、畑作に対する政策を大きく転換させた。「品目横断的経営安定対策」の導入である。

それまでは、米や麦といった、農家が生産している品目ごとに補助金を助成していた。ところが品目とは関係なく、経営全体に助成がなされるようになったのである。

当時、前田さんは20haのパン用小麦を作付けしていた。ところが、新しい政策が導入された後、なんと200万円の赤字になったのだそうだ。

20haもの畑、これは東京ドーム約4個分に相当するのだが、ここを耕し、小麦の種をまいて、肥料を施し、農薬を散布し、収穫する。その作業がどれほどの労力をともなうのか。その結果が赤字。これならば作らないほうがいいのではないですか、と前田さんに問いかけてしまった。

「私もそう思いました。そこで、私の作る小麦が必要かどうか、実際の需要者に聞いてみようと思ったんです」

パン用小麦を使うのはパン屋だ。前田さんは、自らの小麦を製粉会社に持ち込み、特別に製粉してもらって小麦粉にした。横浜の4軒のパン屋に送ると、そのうちの1軒から、次のような返事が届いた。

「北海道産小麦が、こんなにもレベルが上がっていたことを知りませんでした」

この言葉に可能性を見出し、2008年に、自家産の小麦だけを使った「生産者の顔の見える小麦粉」の販売を開始した。

その後、実際に小麦粉を使ってもらっているパン職人から、小麦畑を見せてほしいというリクエストがあった。その時に前田さんは気づいた。「実需に小麦のことを知ってもらうという努力を、自分がやってなかったんです」

2009年には、北海道産小麦の販路拡大・ブランド化の促進を目的とした「十勝ベーカリーキャンプ」の発足に関わった。これは、生産者、菓子職人、パン職人、製粉技師、研究者たちの交流の場である。前田農場は小麦畑ツアーの農場となり、見学者を受け入れてきた。

北海道小麦のエース「きたほなみ」

本別町では、近隣の農家が生産している小麦は、きたほなみだけである。なぜなら、農協の設備では、きたほなみしか受け入れてもらえないからだ。

農協に出荷するのであれば、収穫した小麦を出荷すればいい。ところが前田さんは4品種を生産しているため、大変な手間がかかる。

収穫をするコンバイン、水分を下げる乾燥機、粒などを選別する調整機、それぞれを品種ごとに徹底的に清掃する。つまり、3機×4品種で12回もの清掃を行うのだ。

そもそも、小麦粉のプライベートブランドを生産・販売するためには、乾燥、調整、貯蔵用の設備を持たなければならない。貯蔵設備にいたっては、それほど一般的ではない低温倉庫を設置している。外部に委託しているのは、製粉の工程だけなのだ。

「きたほなみは北海道小麦のエースと言えます。品種改良によって新品種が生まれるのは1万に1つとされているので、育種に携わっている方には大変感謝しています。次世代の農家は、多様な小麦の普及、提案を実需とつながってやるべきだと思いますね」

規格外小麦粉の意外な活用方法

現在、前田農園の畑は約150ha。そのうち小麦は100haであり、他はビート20haとポップコーン30haである。

ポップコーンの生産は、北海道の農家でも珍しい。2016年に始まったもので、国内初の電子レンジ専用「北海道十勝ポップコーン」の加工・販売という物語も含め、実にユニークな試みである。

前田農産食品は、法人であり、社員を雇用している。そのため、農閑期である冬場の仕事を作ろうとして始めたのがポップコーンなのだ。

そして、ポップコーンと小麦は思わぬところでつながっている。

「規格外の小麦と、ポップコーンを混合して乾燥させることで、小麦にゆっくりと水分を吸ってもらうんです。ポップコーンの乾燥効率は半分になりますが、電子レンジでお客さんに食べてもらうために、水分を均一にしたいという工夫なんです」

まさか、規格外の小麦がこんな形で有効利用されるとは驚いた。自社で小麦の乾燥・調整を行っているからこそできるわけだが、効率ではなく、お客さんのためを思って開発された商品なのである。

取材後、ポップコーンを自宅で作ってみた。確かに、弾けずに残ってしまうコーンはとても少なかった。そして味わいと旨みがあった。

小麦は“バトンリレー”の作物

前田さんは、農業をする上で、どんなことを大切にしているのだろうか。

「個人的なモットーは、悲壮感を漂わせる農業をしないということですね。3K(きつい、汚い、危険)だとか、あれは大変でできないとか、そんなふうにぼやいているのではなく、消費者や需要者から見ても、次の世代の農家から見ても、農業に対して前向きな人が作っていたら嬉しいだろうと思います。だから、疲れてるけど元気でいたいんです。

そして、北海道の片田舎であっても、単に取引をするのではなく、実需者と『一緒に取り組みましょう』という姿勢でいます。1年だけいい思いをしたいのではなく、持続的に食文化を作る取り組みを、パートナーと一緒にやっていきたいんです」

前田さんの先祖は明治時代に入植した。昭和に入って、馬鈴薯デンプン工場の操業が開始され、戦後、前田農産食品という会社ができたという歴史を持つ。

「調べてみたら、農産や、食品を冠した会社はあるんですが、『農産食品』という会社名は少なかったんです。それだけ、農家と加工が断絶していたのでしょう。なぜ、先代たちが『農産食品』と名付けたのか。何を語ろうとしていたのか。考えてみると、デンプン工場も冬型の仕事だったんです。だから、私のやっていることが時代にマッチしてきたのではなく、多くの人が、農業と加工の結びつきが大切だとわかってきたから、マッチしたように見えるだけなのだと思います」

前田さんは、「小麦はバトンリレーの作物」なのだと語る。

「小麦が小麦粉になってさらに食品に加工されて、食べる人のところに届くまでには、たくさんの人が関わっています。品種を作り出す育種機関、生産者、集荷業者、製粉会社、食品加工者、そして消費者と、バトンはリレーされていきます。パンやケーキを食べるときに、十勝の小麦畑を感じてくれたら嬉しいですね」

黄金色の麦秋の美しさが、目に焼きついた。ケーキを焼くとき、きっと思い出すだろう。

今回の生産者さん

前田農産

前田農産食品は、日本を代表する畑作地帯である十勝地方・本別町にある、畑作と食品加工を営む会社だ。代表取締役は、本別で農業と馬鈴薯デンプン工場などを営んできた4代目・前田茂雄さん。プライベートブランドの小麦粉、ポップコーンを生産・加工・販売している。前田農場の周りに小学校、中学校、高校が立ち並んでいるのは、初代が土地を寄贈したからなのだそうだ。

About the Writer
林心平_横松心平

横松 心平

1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
この人が書いた記事の一覧

いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜

文・写真 横松心平

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」


身近なところで、

小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。

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