京都会議が問い直す、AI時代における哲学の可能性

第1回「京都会議」が開催され、AI時代における哲学の役割が問い直された。技術が人間の思考や行動を変えていく中で、「人間とは何か」「何を価値とするのか」といった根源的な問いはますます重要性を増している。本記事では、会議の内容を紹介しながら、哲学が現代社会に果たす可能性を探る。

AI時代、なぜ哲学が必要なのか

現代の世界は、一つの解決策では対応できないような、複雑で根深い課題に直面している。気候変動や国際的な対立、そして人工知能(AI)の急速な発展は、互いに結びつき、一つの問題が別の問題をさらに悪化させるという形で社会を多層的に揺さぶっている。現代はまさに、予測困難で複雑な「VUCA時代」と呼ばれる状況にある。

危機の背景にあるのは「科学技術の発展と経済的な豊かささえあれば人類は幸福になれる」という、長らく社会の土台となってきた「進歩の前提」が、現実には機能しなくなっているという事実だ。「どうすれば(How)」技術を効率的に使えるかは分かっても、「そもそもなぜ(Why)それをするのか」という技術を発展させる目的やその価値についての答えを、私たちは見失いつつある。

技術革新が次々と新しい可能性を生む一方で、意図しない社会的な問題や、道徳的な価値の退行を引き起こすという矛盾も深刻だ。AIは確かに効率的だが、偽情報の拡散や民主主義の弱体化につながる恐れもある。社会が大きく変わろうとしている今、「私たち人間が本当に大切にするべきことは何か」「どんな未来の社会を目指すべきか」という根源的な問いに立ち返ることが必要だ、という見方が強まっている。

哲学は、まさにこの「価値」をめぐる問いに、深く体系的に向き合う学問である。京都会議が「価値をめぐる根源的問い直し」を中心テーマに据えたのは、時代の切実な要求に応えるものだ。

京都大学の出口康夫教授が指摘するように、価値の基準が「行方不明」となっている現代において、哲学的な思索なくして社会的な判断や行動の新たな基準は定まらない。哲学は、社会の課題を深く掘り下げ、根本原因を探る。その考察を基に未来の理想像(ビジョン)を具体的に構築するという思考の繰り返し(往復運動)によって、社会の変化を生み出すのだ。


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複雑な社会をどう理解するか

現代社会の問題は、価値観の対立による分断(Fragmentation)と、技術の進化による社会の変容(Transformation)という、2つの大きな力によって生み出されている。複雑な状況を乗りこなすには、目に見える出来事の奥にある「価値観」まで深く考える必要がある。

京都会議で紹介された「ABCモデル」は、社会の複雑な構造を読み解くための枠組みである。ABCモデルは、社会で起きる出来事を以下の3つのレベルで捉える。

  • 「A」=Action(実践)レベル:実際に起きている行動や具体的な現象
  • 「B」=Bridge(媒介)レベル:AとCをつなぎ、両者の間で対話や変化を促す仕組み
  • 「C」=Core(核)レベル:出来事の土台となっている価値観や世界観

ABCモデルを使い、現象(A)から根本的な価値観(C)へと深く掘り下げる(潜行)。潜行によって得た気づきをもとに、新しい社会像を描き(浮上)、描いたビジョンを実践(A)に戻すという「潜行と浮上の往還運動」によって、新しい価値が生み出されるという考え方だ。

この「前提を問い直す」思考こそ、リベラルアーツ、特に哲学が持つ知的な技術である。哲学の営みは、以下の活動を可能にする。

  • 社会で当然とされている前提を明らかにする
  • 多様な価値観の間で対話を深める
  • 新しい価値を具体的に構想する

こうした知的技術は現状の分析に留まらず、望ましい未来の社会を構想し、現実の行動へとつなげる活動そのものだ。京都会議の議論は、AIが瞬時に「正解」を出す時代だからこそ、人間には「分からないことを分からないまま抱え続ける力」や「アートのように異なる価値観を認め、つなげる力」が大切だと示唆する。

哲学的な思考は、技術の進歩を受け入れるだけでなく、技術が生み出す倫理的な課題を乗り越え、より良い社会を形作るための知恵を与えてくれる。ビジネスにおけるデザイン思考のように、これまでの枠組みにとらわれず、社会の本当のニーズ(価値)から発想を始めるアプローチとも連携する。


おやまビジョン会議の様子

哲学がつくる未来への対話の場

京都会議が目指すのは、ただ一つの「正しい答え」を決めることではない。むしろ、さまざまな価値観が共存し、時には矛盾を抱えながらも豊かさを生み出す「価値多層社会(Multilayered Society of Values)」の実現である。

この「価値多層社会」という考え方は、日本の「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」の精神に通じる。企業が利益追求だけでなく、社会全体の利益となる「利他的な行動」を目指すべきだという、現代の産業界への強い提言となっているのだ。読売新聞グループ本社社長の山口寿一氏も「価値多層主義は今後の社会を良くする有力な考え方になる」と述べている。

京都会議には、世界18カ国から哲学者・経営者・芸術家・政策立案者などが集まった。さまざまな立場の参加者が集まったことは、価値に関する探求を研究室の中に留めず、教育・ビジネス・制作といった社会の現場へと広げようとする期待の表れでもあるだろう。特に、企業経営や技術開発といった具体的な分野で「哲学的な視点をどう活かすか」という議論が深められた。

京都会議を主催する「京都哲学研究所」の共同代表理事も務めるNTT会長の澤田純氏は、企業が将来の課題に対応し根本的な意識改革を進めるために、哲学的な視点を持つ専門職、チーフ・フィロソフィー・オフィサー(CPO)の役割に期待を寄せた。

また、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル氏は、倫理と技術と文化が連携する「道徳的イノベーション研究所」が必要だと述べ、AIを人間が行う道徳的な判断をサポートする「倫理的知性」へと進化させるべきだと提案した。AI時代には「AIに対する歯止めは技術の問題ではなく、哲学的な問いである」という指摘もなされている。

京都会議は、学会やイベントという枠を超え、世界の知識人や実践者による「ネットワーク・オブ・ネットワーク」を築くためのスタート地点でもある。2027年には第2回会議が開催される予定であり、議論を具体的にまとめた「京都宣言」の発表を目指している。

こうした対話の場とネットワークが広がることで、「あらゆる視点からの眺め」が共有される可能性が生まれる。ただし、それは容易な道のりではない。利害が対立する中で合意を形成し、構想した価値を実際の制度や技術に落とし込むには、膨大な時間と試行錯誤が必要だ。「社会の深層に潜り込む→新しい価値を構想する→構想した価値を実践する」という哲学の往還運動は、AI時代という大きな変化に対する、地道だが不可欠な応答である。

Edited by k.fukuda

参考サイト

京都会議・記事詳細|京都哲学研究所
ホワイトペーパー エグゼクティブサマリー(抜粋版)|京都哲学研究所
AI時代「価値」多様に 分野の枠超えて対話…第1回京都会議―『価値多層社会』の実現に向けて|讀賣新聞オンライン
なぜNTTは「哲学会議」を3日間も開いたのか。マルクス・ガブリエルと考える「道徳的イノベーション」|BUSINESS INSIDER

About the Writer
丸山瑞季

丸山 瑞季

大学で国際コミュニケーション学を専攻。卒業後はデジタルマーケティングに携わり、現在は難聴児の子育てに奮闘しながら、楽しく生きることをモットーに在宅で働く。関心のあるテーマは、マインドフルネス、ダイバーシティ、心理学。趣味は、食べること、歩くこと、本を読むこと。この人が書いた記事の一覧

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