本連載では、生産者を訪ねる取材記事と、そこから広がる食卓での物語を交互にお届けしている。
前回、江別製粉では、小麦が畑から食卓へ届くまでの“橋渡し”をテーマに取材を行った。
そして今回は取材後記として、小麦粉を使う側の私たちが「消費」をどう捉えるのか――ゼロから料理を作る想像を
通して、食の背後にある人や営みに思いを巡らせてみたい。
ー編集部よりー

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。
そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。
さあ、一緒に出かけましょう。
前回、江別製粉では、小麦生産者から消費者への橋渡しについて取材をさせていただいた。その中で「一大消費地である札幌」という言葉が出てきた。私自身、その消費地の真っただなかに住む、まごうことなき消費者の1人であるわけなのだが、どうも「消費」という言葉に抵抗を覚えてしまう。そこで取材後記として、消費について考えてみたい。
トースター作りとケーキ作り
トーマス・トウェイツ著、村井理子訳『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫)という本がある。鉄鉱石などの原材料から、自分の手でトースターを作ってみた記録である。
本連載を始めるにあたって頭の片隅には、この本の存在があった。表紙に掲載されている、どろっとした黄色い物体が、著者が作ったトースターである。この完成品の形態を見るだけで、悪戦苦闘ぶりが想像できる。ゼロからトースターを作るのは、極めて困難な挑戦であっただろう。
つまり、トースターというごくシンプルな装置を作るためにも、本当に多くの知恵と努力が注ぎ込まれているのだ。本書は身をもって、そのことを教えてくれた。
このトースターをケーキに置き換えてみたらどうだろうか。工業製品と異なり、ケーキの場合は、産業革命以前と大きく作り方が変わっているわけではない。材料を混ぜて焼くのだ。鉱山に行き鉄鉱石を手に入れることに比べたら、自分で小麦を栽培したり、乳牛を飼ったりすることのほうが、比較的できそうな気はする。
実際にゼロからケーキは作れるか

ただし、できそうであることと、本当にできることの間には大きな隔たりがある。実際に牛に出産をさせて、乳を絞って、バターを作るのは簡単なことではない。結局、買うほかないということになる。
だからと言って「お金を払って買っているのだからそれでいい」みたいな、不遜な態度も取りたくはない。なぜなら、ただ無自覚に購入しているだけでは、何かしらの問題が潜んでいることに気づかないことがあるからだ。
地球の資源の使い方であったり、廃棄物の処分の仕方であったり、動物福祉の問題であったり、環境汚染であったり、私たちの生活の基盤には、本当はそのままにしておくとまずい問題が埋め込まれている場合がある。だからこそ、都市に暮らす一消費者であっても、生産現場を知ることには意味があると思うのだ。
これまでに卵と小麦粉とバターの現場を訪ねてきた。それらの食材を口にするとき、それぞれの現場と、そこで奮闘する人たちの姿を思い浮かべずにはいられない。そこからは決して、「お金を払っているからそれでいい」という発想は生まれない。
ゼロからケーキを作れない私は、時にはゼロに戻って考えてみたい。ケーキをめぐる旅が折り返しを迎えようとしている今、そんなことを思っている。
手作りピザのアドバンテージ

さて、生きていく上で、料理を作ることはどうしても必要だ。自分は料理をしないという人であっても、家族やプロの料理人や、自分以外の誰かに食事を作ってもらっているだろう。
そして、料理をする人はしない人に比べて、自然と食材に関心を払うようになる。私自身パン作りを始めてから、小麦粉への関心は高くなった。
江別製粉では、ピッツァの世界大会に向けてピッツァ職人と共同開発した「100%HOKKAIDO ピッツァ用粉」という小麦粉がある。香りと甘みのある北海道産小麦100%で、EU基準をクリアするための情熱が新しい製品を作り出したのだ。
そうだ。今晩はピザにしよう。もちろん、職人のように素晴らしいものができるわけではない。それでも手作りには大きなアドバンテージがある。できたてという必殺技だ。
ピザもパン作りの延長線上で取り組むことができる。酵母と小麦粉とバターと塩と砂糖と水をこねて発酵させる。ここまではだいたい同じ工程だ。それから生地を伸ばして具材をのせて、オーブンで焼けばよいのである。
子どもと作るピザ

ピザ作りのいいところは、子どもと一緒に作るのに向いているということだ。パンを作るときも、一緒にこねて整形することができるが、どうしてもある程度は形よく丸めなければ、よいパンができない。もちろん、出来上がりはともかく一緒に楽しめればいいと考えることもできるのだが、その点ピザは、私が作っても子どもに作ってもらっても、それほど出来栄えが変わらないのが嬉しい。
作っておいた生地を丸めて、オーブンシートの上に置く。麺棒で好きなように伸ばしてもらう。形だって、別に丸くたって角ばっていたってかまわない。厚みもご自由に。薄ければパリッと、そうでなければもっちりとなる。もっともあまり厚すぎると、火どおりが悪くなってしまうので、そのことだけは注意してもらう。
フォークで穴を開けてもらうのも楽しめる。ピザ作りのおそらく唯一のポイントは、子ども1人につきピザ1枚になるようにすることだ。「このピザはあなたの担当です」と指定することで、マイピザとして創意工夫と愛着が生まれるのだ。その際に、具材を面倒でも1人分ずつお皿に小分けしておく。
お皿の中の具材は全部使っても使わなくてもいい。同じ材料で作っても、それぞれ個性のあるピザが出来上がるのがまた面白い。
ルールは、最初にトマトソースを塗ることと、最後にチーズをのせることだけだ。もっとも、トマトソースものせたくないという子もいる。
トッピングが終わると、予熱しておいたオーブンに入れて20分焼く。一度に焼けるのは2枚なので、もっと作るときは、焼いている間に次のピザの準備を進めよう。
焼き立てはおいしさが増しているので、家族には着席して待機しておいてもらいたい。焼き上がるとすぐに食べた。一口かじると、小麦の旨みとこうばしさが広がる。誰のピザがおいしいかという食べ比べでも盛り上がった。
手作りは大変か

ことさら、食育ということを考えているわけではない。どちらかというと、食事作りと子どもたちのアクティビティーを兼ねて、一緒に楽しんでいるだけのことだと思う。
けれど、子どもたちの中には、食材に関心を持つ人もいる。生地によって小麦粉を変えてみたりしたら、どうしたって食べ比べてみたくなる。
やはり、自分で手を動かして調理をすることは、畑につながっていく1つの道筋なのではないだろうか。
ここで冒頭の話に戻ると、このピザも、ゼロから作ろうとすると、途方もない作業になってしまうことに思い至る。そう考えてみると、手作りは大変だとか手間がかかるなどとは言っていられなくなる。所詮、小麦粉をこねるところから始めるだけなのだ。
小麦の穂発芽を気にしなくてもいい。猛暑による収穫時期の選定に頭を悩ませなくてもいい。牛の乳房炎に気を使わなくてもいい。生乳の殺菌温度を調節する必要もない。チーズの発酵状態を見極めなくてもいい。畑の雑草を抜かなくてもいい。トマトの脇芽を取らなくてもいい。それらが全て終わったところから始められるのだ。なんてありがたいことか。
日々の暮らしに忙しく、ちゃんと料理をする余裕を持てないことだってある。出来合いのものを買ったり、外食したりもするだろう。それでも、食べるときには、すでにもう準備をしてくれているたくさんの人と、その人たちの手間がかかっているということを忘れないでいようと思う。
調理して食べる私たちは、「バトンリレーの作物」小麦における最終走者なのだと思うと、なんだか誇らしいような気持ちにもなる。あとは走り抜けるだけだ。
いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜
文・写真 横松心平
ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、
小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。



























横松 心平
1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
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