「休むことは悪」からの解放。成長至上主義にゆるく抗うという選択

「休むことは悪」からの解放。成長至上主義にゆるく抗うという選択

影響は“心”にも。脱成長が再注目される理由

脱成長(デ・グロース)は、1970年代にフランスで誕生した、経済成長至上主義に対する批判的な思想だ。環境問題や資源の枯渇への懸念が高まるなか、この議論は1980年代にかけて徐々に広がっていった。

同時期、科学者たちの間で本格的に地球温暖化が問題視され始めた。それから半世紀が経ち、新型コロナウイルス・パンデミックが起きた2020年を境に、「人間と野生動物との接触機会の増加によって、未知の感染症リスクが高まる」という問題も注目されるようになった。気候変動の影響もまた、世界各地で以前より身近な脅威として実感されるようになってきている。

戦後から続く経済成長至上主義のもと、森林伐採や海洋汚染といった環境破壊は年々深刻化している。「経済成長を求めれば求めるほど環境が壊れていく」という矛盾を、多くの人がコロナ禍を経て実感したのではないだろうか。

さらに今、「幸せとは何か」を見つめ直すウェルビーイングの流れがこの動きを後押ししている。働きすぎによる家庭崩壊、適応障害やうつの蔓延……。人間も自然の一部であると考えれば、経済・組織・個人の“成長”を最優先する価値観が、私たちの心身に与える影響もまた計り知れないことに気づく。

経済成長至上主義はこれまで環境問題の文脈で多く語られてきたが、今やそれは人間の“こころ”をも蝕んでいる。だからこそ、脱成長の思想は、現代社会を問い直すヒントとして再び注目されているのだ。

「休まず働く」が美徳だった時代からの変遷

「休むことは悪」からの解放。成長至上主義にゆるく抗うという選択

1950年代半ばから1970年頃まで約20年続いた高度経済成長期。日本は戦後の焼け野原から驚異的な復興を遂げ、一時は年率10%前後の高い経済成長率を記録した。工業化と技術革新を追い風に、世界有数の経済大国へと駆け上がったこの時代を支えた価値観の一つが、「休まず働くことが美徳」という考え方である。

当時の日本では、終身雇用や年功序列といった制度が浸透し、社員は会社に忠誠を尽くすことが求められた。家庭を顧みず仕事に打ち込む姿勢を表すのが、「企業戦士」や「モーレツ社員」といった言葉だ。早朝から深夜までの長時間労働や休日出勤も珍しくなく、むしろそれらは勤勉さや責任感の証として受け入れられていた。

こうした働き方は、戦後の混乱から立ち直り、国家としての経済成長を実現するうえで、一定の役割を果たしたことは否定できない。しかし、1990年代に入り「社畜」という言葉が会社中心の働き方を皮肉る表現として登場するなど、それまでの価値観に対する疑問の声や違和感も顕在化するようになった。企業への過度な忠誠がもたらす弊害が、少しずつ社会に認識され始めたのだ。

戦後の価値観は、現代を生きる私たちの目には極端に映る。とはいえ、そのような先人たちの身を削るような努力があったからこそ、日本は世界に誇る経済大国へと成長し、今日の豊かな暮らしの土台が築かれたのもまた事実なのだ。

一方で近年では、少子高齢化や労働力不足といった課題を背景に、「働き方改革」が国を挙げて推進されてきた。2019年から順次施行されたこの施策では、長時間労働の是正や柔軟な働き方の推進を掲げ、フレックスタイム制度やテレワークの導入、週休3日制の実験的導入など、制度面での変革も進んでいる。時代の流れとともに、「働くこと」に対する価値観にも徐々に変化が現れ始めている。

変化する産業構造と私たちの価値観

現代の私たちは、家電やIT機器、世の中に溢れるエンタメなど、多様なサービスに囲まれ、物質的な豊かさを当然のように享受している。しかしその一方で、「休まず働くことが美徳」とされた過去の価値観に、今もどこかで縛られているようにも感じられる。

高度経済成長期には、国や企業の再建を担うために、そうした勤勉さや献身が必要だった面もあるかもしれない。だが経済が成熟し、環境への配慮が重視される現代では、産業構造とともに働き方も見直される必要がある。脱炭素やサステナビリティを重視する産業が台頭する中、私たちは今、大きな転換点に立っていると言える。

脱成長は、環境問題への対処だけでなく、「人間の生き方そのもの」に関わる問題でもある。私たちは働きすぎや過労といった課題を抱え続けており、自然との共生を考えることは、自らの持続可能な生き方を考えることでもあるのだ。

これからの時代をどう生き、何を大切に働いていくべきか。今こそ、過去の価値観を振り返りながら、「働くことの意味」と「真の豊かさ」を問い直すときではないだろうか。

「人類への配慮」としての脱成長

「休むことは悪」からの解放。成長至上主義にゆるく抗うという選択

日本では「休むこと」に罪悪感や抵抗感を覚える人が少なくない。働くことに価値を置き、組織への忠誠心を重んじる文化が、いまなお根強く残っている。

2024年、米旅行サイトのエクスペディアが行った国際調査によれば、日本の有休取得率は63%と、11地域の中でも最低水準にとどまった(*1)。取得しない理由には「人手不足」や「緊急時に備える」といった声が多く見られた。職場の雰囲気や周囲への遠慮に加え、自ら申請しなければならない点が、心理的なハードルになっているという見方もある。

一方で、「休むこと」そのものが、成長至上主義に抗うための新たなアプローチにもなり得る。人間の集中力には限界があり、日本人の睡眠時間が世界平均と比較して短いというデータも存在する。長い拘束時間の中で働き続けるよりも、意識的に休息を取ることが、結果として効率と創造性を高めるとも言われている。

心身の健やかさを保つことは、個々人が豊かに生きるための前提である。休むことは、立ち止まるという選択肢を私たちに与え、成長一辺倒の社会構造に問いを投げかける行為でもある。脱成長とは、単なる「環境への配慮」ではなく「人類への配慮」として、人間らしい生活への回帰でもあるのではないだろうか。

休むことが示す、もうひとつの豊かさ

脱成長論は、資本主義が抱える構造的な課題に対して、倫理的な視点から解決策を提示しようとする考え方だ。しかし、経済成長を求める人々の現実的な暮らしや欲求とは必ずしも相容れないという矛盾を抱えてもいる。

「もっと稼がなくては」「もっと成長しなければ」という声に、私たちはこれまで、無自覚に反応してきたのかもしれない。だがそれは、長い人生における一つの側面に過ぎず、豊かさのすべてにはなり得ない。

私たちが真の豊かさを追求するのなら、脱成長は一つの重要な指標となるだろう。「経済と環境を切り離す」という意味のデカップリングという概念が示すように、これまでのやり方ではない別の選択肢も、すでに社会の中に芽生えている。休むことに罪悪感を覚えるのではなく、休むことで一度立ち止まり、自分や社会のあり方を見直す。その態度こそが、成長至上主義に対する静かな抗いになる。

脱成長は、地球環境のためだけではなく、人間らしく生きるための提案でもある。今こそ「休む」という小さな行為を通じて、別の生き方を想像する力を取り戻していきたい。

Edited by k.fukuda

注解・参考サイト

注解
(*1)有給休暇の国際比較調査2024|エクスペディア

参考サイト
環境白書|環境省
経済社会の推移と世代ごとにみた働き方|厚生労働省
脱成長論の意義と課題―文明論として、実践理論として―|真崎 克彦
セルジュ・ラトゥーシュの「脱成長」理論について|土内俊介 萩原八郎
「人新世の『資本論』」著者に聞く~ 経済成長至上主義がもたらす未来、持続可能な社会へのヒント|NEC公式「wisdom」

About the Writer

ともちん

大学で英文学を学び、小売・教育・製造業界を経てフリーライターに。留学や欧州ひとり旅を通じて「丁寧な暮らし」と「日本文化の価値」に触れ、その魅力を再認識。旅や地方創生、芸術、ライフスタイル分野に興味あり。言葉を通して、自尊心と幸福感を育めるような社会の実現に貢献することを目指している。
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