
スラットシェイミングとは
スラットシェイミングは、ふしだらな女を表すスラングのスラット(Slut)と恥ずかしい気持ちにさせることを意味するシェイミング(Shaming)を掛け合わせた造語で、女性が性的に自由に振る舞ったり、露出が多い服を着ていたりすることを非難する行為を指す。つまり、女性の性的な主体性や選択を、他人が非難する行為といえる。
スラットシェイミングの事例
スラットシェイミングはさまざまな場面で行われる。ここでは一例を紹介する。
1 性犯罪の被害者を責める
例えば、ある女性が露出多めのファッションでクラブに出かけた際、痴漢に遭遇したとする。その女性に対し、「あんな服装をしていたら触ってくれと言っているようなもの、あいつが悪い」「自分から誘ったんじゃないの?」等と言い、女性を非難する言動がスラットシェイミングに相当する。
スラットシェイミングはこのように、性犯罪の被害者を責める際によく使用される。
2 「男のためにしている」と決めつける
短いスカートを履いたり、露出の多い服装をしたりしている女性に対し、「男の気を引きたいんだろう」「男好き」「軽い女」と決めつける言動もスラットシェイミングに当たる。
本人が着たくて着ている服に対し、「男のため」という視点を盛り込み、女性を男性に依存的な存在として扱う言動も、スラットシェイミングにはよく見られる。
3 恋愛や性的経験の多さを「女性だけ」侮辱する
付き合った人数の多さや、セックスの経験の多さを非難し、「尻軽女」「淫乱」と侮辱する場合もある。ここで問題になるのは、男性が同じことをしていても、同じ程度には非難されないということだ。
性に関しては女性と男性とで評価のされ方が違う、ダブルスタンダードがあり、女性はより厳しい目で見られるという現状がある。それゆえ、例えば、芸能界で不倫が発覚した際、女性は一発アウトでも男性はネタにして許されたり、男性が風俗に通っていることを当然のように話すことが許されても、女性はタブー視されていたりする、という現状があるのだ。
もし現在、女性芸人が風俗に通っていることを公言したり、「景気が悪くなったから、可愛い男の子が風俗に流れてくるよね。嬉しい」などと発言したりしたら、その芸人はスラットシェイミングを受け、第一線に復帰できなくなるかも知れない。しかし、男性の場合、その地位を失うことはないのだ。
4 女性に性欲があることを恥入るように仕向ける
女性が、性欲があることを公言すると「女のくせにそんなことを言って恥ずかしくないのか」「奥ゆかしさがない」と非難されることがある。これもスラットシェイミングの一形態だ。
人間には性欲がある(※1)からこれまで子孫を残し続けることができたわけだが、なぜか、「女性は男性よりも性欲がない」「女性は性に関して受け身」であることを望む人は少なくない。例えば、男女がセックスをする際、「女を抱く」という表現を使う場合があるが、その言葉を使うとき、自分が主体で、女性は客体だと思っていることがわかる。もしかしたら「女に抱かれている」かもしれないのだが、そうは考えたくないのだろう。
男性が性に対する主体で、積極的であり、女性は性に対して受け身であるべき、と考える人にとって、「女性に(時に男性以上に)性欲がある」ことは耐えがたいことになる。そんな女は「女性らしくない」「女性なら恥じらうべき」と考える人は、性にポジティブで積極的な女性や、自分の性欲を隠さない女性を「はしたない」などの言葉でスラットシェイミングすることになる。
※1 アセクシュアルといって性的に惹かれることを経験しない人もいる。
スラットシェイミングが発生する根本的な理由

スラットシェイミングはさまざまな場面で見られる。なぜ、男性は「露出の多い服装をしているなんてふしだら」「性欲があるなんて、大っぴらにいうもんじゃない」と非難されないのに、女性はされるのだろうか?
なぜ、スラットシェイミングは女性にばかり行われるのだろうか?
スラットシェイミングの背景には、ミソジニーが関係している。ミソジニーは女性嫌悪と訳される言葉だが、全ての女性を嫌悪する、という意味ではない。
ミソジニーとは「男性のために、養育、慰安、世話と性・感情・生殖に関わる労働を喜んで行う女性は褒め称え、崇拝する。一方、その規範から外れた女性に恥を与え、罰する」ことだ。つまり、ミソジニーは、「伝統的に与えられてきた女性役割から外れた女性を嫌悪する」ことだとも言い換えられるだろう。
例えば、「野球部の女子マネージャーがおにぎりを一人で100個握った」といった話は、賛美する一方、「子供が生まれてすぐ復帰する女性俳優」は「出たがり」と非難する、と言ったことがミソジニーに当たる。ふたりの女性は、それぞれ自分の仕事を行っただけ、という意識かもしれない。それにも関わらず、「男性に尽くしているか」「伝統的な女性の役割に則っているか」という基準で測られ、ジャッジされることは珍しくない。
ミソジニーは性別関係なく抱く可能性がある。スラットシェイミングも同様
ミソジニーは性別関係なく抱く感情だ。そして、ミソジニーはしばしば、恥の感情の現れであるとも言われる。
例えば、ある女性が性欲を感じてAVを見たとする。そして、AVを見たことを必要以上に恥ずかしいことだと感じたりしたとする。なぜか。それは、女性は性欲が旺盛なのは恥ずかしいことである、というミソジニーの気持ちが彼女の中にもあるからだ。
また、セックスレスの夫婦がいたとする。女性側がセックスしたいと思っても言い出せない場合、「女性が性欲満々だと男性が萎える」というミソジニーに基づいた固定観念があるかもしれない。
なぜこのように思ってしまうのだろうか?
それは、ミソジニーが男女に「与えること/受け取ること」の強固な役割意識に基づいているからだ。
●彼女が与えるべきもの
注意、愛情、賞賛、同情、セックス、子供、家事、感情に関する労働、養育、安全、安心
●彼が受け取るべきもの
権力、威信、名声、尊敬、金銭、愛、献身
ミソジニーは上記のように、女性は与え、男性は受け取るべきだと規定する。ミソジニーの論理に従って考えれば、セックスに関しても女性は受け身であり、男性に「与える」べきだ。それゆえ、「性欲がある女性、性に積極的な肉食女子と言われる女性」は、「わきまえていない女」となるわけだ。
ミソジニーは男女関係なく内面化する可能性のあるものだ。それゆえ、スラットシェイミングも、男女関係なく行う可能性のあるものだ、と言えるだろう。
なぜスラットシェイミングが問題なのか?
次に、なぜスラットシェイミングが問題なのか、について確認しておこう
1 レイプカルチャーを維持する
スラットシェイミングの最も大きな問題点は、性犯罪の被害者を責めることになりかねない、という点だろう。
スラットシェイミングは、痴漢やレイプなどの犯罪被害者に対して、「家に行った方が悪い」「そんな服装を着ていたから襲われて当然」「クラブに行くような女はどうせ尻軽だから仕方ない」などといった形で、被害者を責めるために行なわれやすい。
恥の感覚を植え付けることで、「自分が悪いのかも」と被害者に思い込ませ、訴えられなくなるケースも多々あるだろう。
スラットシェイミングは、レイプカルチャー(性犯罪被害は、身を守れなかった被害者に落ち度があるとして、レイプを当然視するカルチャー)の維持に貢献しているという問題がある。
2 性に対するダブルスタンダードによる、女性差別
スラットシェイミングは女性にだけ行なわれるものだ。男性が性的に活発であることが男性として健康で、当然だと肯定的に評価される一方、女性が同じ行動をとると、「尻軽」だとみなされる。このようなダブルスタンダードは、明確に女性差別であり、女性の自由を制限する大きな要因になっている。
スラットシェイミングによって女性は「恥」の感覚を植え付けられ、行動、言葉、服装が制限されているのだ。
さいごに。スラットシェイミングをなくすためにミソジニーの構造を知ろう
スラットシェイミングは、女性の性的な主体性や選択を、他人が非難する行為だ。これにより、女性の生き方が制限され、否定され、時には性犯罪の被害者が責められる事態をも引き起こしている。
スラットシェイミングが発生する要因には、ミソジニーが関係している。スラットシェイミングをなくしていくためには、まずはミソジニーについて理解を深める必要があるだろう。
参考書籍
『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン著 小川芳範訳)慶應義塾大学出版会
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