アセクシャル(エイセクシャル)とは?恋愛感情を持たないアロマンティックとどう違う?

はじめに|セクシャリティとは?

「アセクシャル」や「アロマンティック」を理解するために、まずはセクシャリティという言葉の定義について確認しておく必要がある。

セクシャリティとは、人がどのような相手に性的魅力を感じるのかを指す言葉だ。たとえば、性的に男性に惹かれる女性、または性的に女性に惹かれる男性のセクシャリティは、「異性愛」(ヘテロセクシュアル)で、彼らは異性愛者と呼ばれる。

一方、性的に女性に惹かれる女性、または性的に男性に惹かれる男性のセクシャリティは「同性愛」(ホモセクシュアル)で、彼らは同性愛者と呼ばれる。それ以外にも、男女両方に性的に惹かれる人のセクシャリティは「両性愛」(バイセクシュアル)、性別に関わりなく性的に惹かれる人のセクシャリティはパンセクシュアルと呼ばれる。

また、「精神的なつながりを感じる相手にだけ性的魅力を感じる」セクシャリティの人もいる。こういった人はデミセクシュアルと呼ばれる。デミセクシュアルという言葉を始めて知った人のなかには、「精神的なつながりがないと性的に惹かれないって当然のことでは?」と言う人もいる。しかし、これは当然のことではない。出会ったばかりの人に性的欲求を感じる人もいる。一方、相手のことを深く知り、精神的なつながりがなければ性的欲求を感じない人もいる。つまり、同じ「異性愛」というセクシャリティだったとしても、その内実は異なっている場合も多々あるということだ。

上記に挙げたセクシャリティは、全体から見るとごく一部のセクシャリティであり、そのほかにも様々なセクシャリティがある。

アセクシャル(アセクシュアル)とは

アセクシャル(Asexual)もセクシャリティのひとつであり、他者に対して性的な魅力を感じない、つまり「性的な惹かれ」を経験しない人を指す。

アセクシャルのなかには、性的な関係を持つことを嫌悪する人もいるが、性的な魅力は感じないけれども、性的な関係をもってもいい、と考える人もいる。

勘違いされやすいのはアセクシャルの人たちが、性的な快楽が不要だと全員が考えているわけではない、ということだ。アセクシャルは「性的な惹かれ」を経験しないだけだ。そのため、アセクシャルとひとくちに言っても、その内実には多様性があるのだ。このあたりは、「異性愛」「同性愛」の人と同じだとも言える。

アロマンティックとは

次に、アセクシャルと混同されやすいアロマンティックについて解説していく。

アロマンティック(Aromantic)とは、他者に対して恋愛感情を感じない、つまり「恋愛的な惹かれ」を経験しない人を指す。アロマンティックの人々は愛情が薄い、というわけではない。アロマンティックの人は、友人や家族と親密で特別な関係を築くことはできる。あくまでも、恋愛的に惹かれない、というだけだ。

アロマンティックの人は、「薄情」だと誤解されがちだが、これは、友情や家族愛よりも恋愛こそが至上だとする、恋愛至上主義を信奉している人が多いからだろう。

アセクシャルとアロマンティックの相違点

アセクシャルは他者に対して性的な魅力を感じないこと、アロマンティックは他者に対して恋愛感情を感じないことを指す。

アセクシャルの人は、性的な惹かれは経験しないが、恋愛感情は持つ人もいる。アロマンティックの人は、恋愛感情は持たないが、性的な惹かれは経験する人もいる。

アロマンティックであり、アセクシャルである人は「アロマンティック・アセクシャル」と呼ばれ、恋愛的な惹かれも、性的な惹かれも経験しない。

アロマンティックとアセクシャルには上記のような違いがある。一方、共通点もある。それは、「なぜ性的に惹かれないの?」「なぜ恋愛をしないの?」「まだ最適な相手に出会っていないだけでは?」とセクシャリティに対し、疑問を突き投げかけられがちだ、という点だ。

なぜアセクシャルやアロマンティックの人が誤解されがちなのか

アセクシュアルはなぜ誤解されやすいのか

アセクシャルの人、アロマンティックの人は、偏見や差別の対象になりやすい。「なぜ恋愛しないの?」「なぜセックスしないの?」「モテないの?」「何かトラウマが?」といった不躾な質問や、好奇の目にさらされることもある。

なぜアセクシャルやアロマンティックの人のセクシャリティを「正常ではない」と決めつけるような言動がなされるのか、それは、大半の人が恋愛や性的接触を望むはずだ、という強固な思い込みがあるからだ。皆が望むはずのものを望まないなんて、どこかおかしいのでは? トラウマがあるのでは? 治療すべきなのでは? というわけだ。

恋愛や性的接触は本当に必要か。本当に欲しているのは誰か

人間なら、恋愛や性的接触を求めるはずだ、という思い込みは、「生物として自然なこと」と考える人もいる。一方、「恋愛や性的接触を求めるべし」とメディアや政治によって巧妙に誘導されてきたと考える人もいる。

文芸評論家のルネ・ジラールの「欲望の三角形」という理論を展開しているが、それによると、人間は、他者が欲するものを欲するに対し、欲望を抱きがちだ、という。たとえば、シャネルの何十万円もする鞄を欲しがるのはなぜか。品質がいい、デザインがいい、母から娘に受け継ぐことができる……それだけの理由で通常の鞄の何倍もする価格を人は払うのだろうか。そうではない。マーケティングの効果によって、「多くの人が欲しがっている」と思い込むからこそ、原価の何倍もする鞄が輝いて見えるのだ。

恋愛や性的接触についても同じことが言える。これらは手を変え、品を変え、素敵なもの、刺激的なもの、皆が欲するものとして、メディアで宣伝される。恋愛や性的接触を求めるように、方向づけられる。それゆえ、アセクシャルやアロマンティックの人のなかには、50代や60代になってから、自分が性的惹かれや恋愛的惹かれをしない人間だった、と気がつく人もいる。

自分のセクシャリティを知るための言葉を獲得する

結婚し、子どもを育てたあとで、「自分のことを異性愛者だと思っていたけれど、実は同性愛者だった」と気がつく人もいる。「異性と結婚すること」が当然視されている社会で、自分のセクシャリティに気がつくことは難しい場合もある。

同様に、「人間だったら恋愛するはず」「生物なのだから性的に惹かれて当然」という風潮があるなか、自分がアセクシャル、またはアロマンティックだと自覚するのは難しい。

とくに、昭和の時代は、皆婚時代と呼ばれ、ほとんどの人は異性と結婚し、子どもを産み育てていた。結婚しなければ出世できない会社があったり、「いい年をして結婚していないなんて、何か理由があるのでは」と偏見を抱かれる社会において、結婚しない、セックスしない、という選択肢はないに等しかったのだ。

恋愛結婚をし、愛する人との間に子供を設け、育てることこそ幸せだ、というイデオロギーのことを、「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」という。ロマンティック・ラブ・イデオロギーが当然視される社会で、「恋愛的に惹かれない」「性的に惹かれたことがない」と自覚したり、宣言したりすることは難しいだろう。

近年、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは絶対視されなくなってきている。恋愛しない人や、性的に相手に惹かれない人、性的接触に興味がない人もいる、という認知度が高まりつつある。それゆえ、アセクシャルやアロマンティックという言葉の認知度も高まってきたのだろう。

様々な言葉を知ることによって、自分のセクシャリティに気がつく人は少なくないはずだ。一度自覚したセクシャリティも、時間が経つと変化する場合もある。セクシャリティが変化することを「セクシャル・フルイディティ」という。

他者の欲望を自分の欲望だと思い込まないためにも、自分のセクシャリティを知るための様々な言葉を獲得する必要があるだろう。

【参考文献】
『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』アンジェラ・チェン著 羽生有希訳(左右社)

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