#15 失われた里山と野生を取り戻すこと
酷暑の次に待っていたのは、熊被害だった。原因を作ったのは人間だ。かつては熊の生息地と都市の間に緩衝地帯としての里山があった。わたしたちはそこで木を伐採し建築資材やエネルギーとして利用していた。果樹や野菜を育てていた。

酷暑の次に待っていたのは、熊被害だった。原因を作ったのは人間だ。かつては熊の生息地と都市の間に緩衝地帯としての里山があった。わたしたちはそこで木を伐採し建築資材やエネルギーとして利用していた。果樹や野菜を育てていた。

夏みかんが冬に色づくのを知ったのは三浦半島で暮らし始めてからだ。緑の実が晩秋に入った頃から、日中のあたたかな陽射しと日没後の寒暖差でゆっくりと色づいていく。メカニズムは紅葉と同じだ。光合成をするための緑(クロロフィル)が分解され、その下に存在していた黄色(カロテノイド)が表面化していく。

ずっと海を見ていた。15年間ずっと。だが、わたしが見ていたのは海の表面に過ぎなかったのかもしれない。穏やかな凪の下に広がる海の森で何が起きていたのか。毎日見ていたのに、わたしは森が消えゆくことに少しも気づけなかった。

太陽を遮るものなど何ひとつない棚田を大きな黒い影が覆った。見上げると夏雲が気持ちよさそうに流れていた。雲がくれた日陰の涼しさで汗を拭う。鈴虫が鳴いている。吹き抜けていく風はもう秋だったけれど、灼けつくような陽射しには気候変動を象徴するような熱波が色濃く残っていた。

2025年の夏も過去最高の暑さを記録したと報道されているが、三浦半島は去年よりも過ごしやすかった。東京よりも3℃から5℃涼しい。35℃を越えた日はなかったのではないだろうか。山の緑と冷たい親潮が流れ込むようになった海からの涼風に感謝しかない。

60年前に母が秋谷海岸を訪れていたと訊いたのは数年前のことだ。会社の同僚と保養所があった秋谷に泊まりがけで海水浴に来ていたという。当時まだ結婚もしていなかった母は60年後に同じ海岸を子や孫と散歩するなんて想像もしていなかったに違いない。

2025年夏もエアコン使用により電力需要が急増している。政府は夏の電気料金を支援しているが、火力発電が7割の日本はエアコンを使うほど温暖化を促進させるジレンマを抱えている。そんな時代に知っておきたいのが「デマンド・レスポンス」である。電気代の節約とともにCO2の削減にもつながるデマンド・レスポンスについて解説する。

毎日どこかで40℃を越えている。7月の平均気温は3年連続で過去最高を記録している。スペインで46℃を記録するなど、猛暑が続くヨーロッパでは各地で熱中症による死者が出ている。

土作りに悩まされた15年 里山の麓にある海辺の町で野菜作りに取り組み始めて15年。毎年のように悩まされたのが「土作り」だ。 鍬を振り上げ、土を耕す。天地返し――シャベルで土を深く掘り起こし、土の表層と深層を入れ替える。