気候変動への適応策は、時には「あるがままを受け入れること」かもしれない【種蒔く旅人Ⅱ〜2040、未来の君へ〜#5】

相模湾を漂うしらすたち

いつも目の前に広がっている海――三浦半島の城ヶ島から伊豆半島にかけて広がる相模湾ではしらす漁が盛んだ。しらすとは生後20日から50日を経過した体長2~3センチほどのカタクチイワシの稚魚のこと。名前の通り真っ白な姿を思い浮かべる人も多いかもしれないが、スーパーなどで売られているものは釜で茹でたり、天日干しされたもので、水揚げされたときは透き通った白銀色をしている。

釜揚げや乾燥させたちりめんもいいが、湘南を訪れたら一度は食べてほしいのが「生しらす」だ。足が早いため生きたまま無傷で水揚げされたしらすは相模湾沿岸でしか食べられない、鮮度が命の稀少食だ。しかもわたしの暮らす秋谷では1月から3月は禁漁期。一年中食べられるものでもない。

しらす漁が解禁された春、休日の朝に佐島漁港で水揚げされたばかりの生しらすを買ってくる。炊きたての白米に生しらすを山盛りに載せて、すりおろしたしょうがと少量の醤油を回しかける。お好みでごま油を加えたり、卵黄を落としてもいい。

ベランダで少し遅い朝食として「生しらす丼」を掻き込む。ねっとりした生しらすの食感とともに潮の香りが口の中いっぱいに広がる。目の前に広がる相模湾を数時間前まで漂っていたと思うと、また格別だ。

そう、泳ぐのではなく、漂っている。しらすは自力ではまだ泳ぐことができないため、波に揺られ、潮に流され、相模湾沿岸へと漂ってくる。この辺りの潮目が古くからしらすの好漁場となってきたのはこの潮流によるものでもあるという。

2025年のしらす漁

その生しらすに2025年はまだ一度もお目に掛かれていない。しらす漁自体は3月11日に解禁になっているのだが、記録的な不漁が3ヶ月近くも続いているのだ。

佐島漁港の網元「平敏丸」では少しだけ獲れたものを保存が効く釜揚げにして「お一人様ひとつ限り」で販売していた。水揚げが少ないので生しらすは提供できていないという。

海の中で何が起きているのか。

わたしは半島の南端、城ヶ島にある公益財団法人 神奈川県栽培漁業協会を訪ねた。ここでは磯焼けなどで自然界では育つのが難しくなった魚貝の稚魚や稚貝を屋内・屋外の水槽で放流できるサイズまで育てることで水産資源を保つ活動をしている。財団の専務理事での水産学博士の今井利為さんとは横須賀市の環境審議会などで委員としてご一緒させて頂いている縁で話を聞かせて頂いた。

しらす不漁の原因「黒潮の大蛇行」とは?

「8年近く続いている黒潮の大蛇行がしらす不漁の原因だと言われています」と今井さんは言った。

黒潮というのは日本列島の南岸に沿って流れる暖流だ。付近の海水温を上昇させ、気象にも影響を与えている。その黒潮の流れが2017年の夏頃から大きく南に蛇行している。きっかけは紀伊半島沖の深層から冷水禍(周囲より冷たい海水の塊)が湧き上がったことや太平洋を吹く風が変化したことだと見られている。

水温が低くなるほど海水の密度は高くなり、密度の低い海水と混ざりにくくなる。そのため、南方から流れてくる黒潮が冷水禍を避けるように大きく蛇行。通常時は相模湾沖を通り過ぎていた黒潮が静岡県から千葉県にかけて垂直に上がってくるルートに変わった。時には相模湾を直撃するようなルートを取ることもあった。そこに温暖化の影響も加わって、付近の海水温は1.5度から2.0度ほど上昇しているそうだ。

2025年1月3日、大きく蛇行している(神奈川県水産技術センター海況図データベース)

海水温の上昇は海の生態系に連鎖的な影響をもたらす。寒流である親潮の影響が強いところで活性化するプランクトンが減少し、それを餌とする鰯やヒラメなどの漁獲量は激減。しらすの多くも別の海域に流されてしまい、2017年以降、相模湾と駿河湾では不漁が続いているという。

「それでも相模湾ではまだ獲れていたんですけど大蛇行でも色々なパターンがあって、今年はしらす漁にとっては特に悪かったんだと思います」

さらに死滅回遊魚――本来の生息地ではない場所へ流されていき、環境に適応できずに死んでしまう魚たちが、海水温の上昇で越冬し生態系に変化をもたらしたりもしていると今井さんは教えてくれた。藻場の食害にも影響を与えていると。

だが、黒潮の大蛇行の影響は悪いことばかりではない。

「キハダマグロなど高い海水温を好む外洋性の魚が定置網で多獲されているんです」

確かにここ数年、佐島漁港にはキハダマグロやカツオが安価で並んでいた。

「大体2、3年で終わるんですけど、今回は記録的に長期化していたんです」

「していたんですって、過去形ですけど?」

「ええ、7年9ヶ月ぶりに終息する兆しが見られています。ほんの数日前からです」

2025年5月3日、黒潮は大蛇行することなく日本沿岸を流れている
(神奈川県水産技術センター海況図データベース)

しらすの不漁について伺いにきたわたしはその原因とされた黒潮の大蛇行が終わると聞いて拍子抜けした。消火器を手に火元に来たら鎮火していたような。
「終息する要因は?」
「わかりません」
風の状況は変わっていないし、冷水禍も残っている。だからまた蛇行し始める可能性もあるという人もいる。気象庁は3ヶ月ほど監視を続け、8月頃に終息したかどうかを判断するという。

「地球規模で起きているレジームシフトですよね」と今井さんは途方に暮れたように呟いた。

地球規模のレジームシフトを前にわたしたちは?

レジームシフトとは地球の環境や生態系が短時間で急激に変化し、別の状態に転換する現象のこと。漁業においては獲れる魚の種類が代わったり 、資源量が激減したりもする。それは地球規模の大気や海流の変化が複雑に絡み合って起きている。必ずしも温暖化だけが原因とも言えないという。

「本音を言えば20世紀後半に戻したいですよね。20世紀後半の海は多様性に富んでいた。城ヶ島や油壺で潜っても色んな生物がいた。新種も発見されていた。そういうものが一切いなくなってしまった」と長年相模湾に潜ってきた今井さんは淋しそうに肩を落とした。

「順応的管理しかないですよね。順応するしかない。順応できるかどうかはわからないけれど」

わたしたちの海の生態系に関する知見は断片的なものだ。わからないことも多い。すなわち不確実性が大きい。だから漁業をすることで水産物の情報を収集し、漁獲量を管理することで自然の恵みを持続可能なものにしていくしかないのだと。

背景には世界的に漁獲量が頭打ちになっている危機的状況もある。わたしたちが当たり前に摂取してきた水産資源によるタンパク質供給は人口の増加に追いついていない。足りないタンパク質は昆虫食など別のもので補っていくしかない。あるいは魚粉などで陸上養殖している魚の餌を昆虫食にするか、と今井さんは食の未来を憂いていた。

この日、もっとも印象的だったのは今井さんの口から何度も呟かれた「わからない」という不確実性を象徴するような言葉だった。

不確実性の大きな海で漁師さんたちは?

相模湾に漂ってくるはずだったしらすたちはどこに流されてしまったのだろう。わたしは佐島漁港の網元「平敏丸」の平野敏幸さんにも話を聞いた。

「わからないですよね、しらすは潮の流れ一点だからさ」

35年以上漁業を営んでいる平野さんも、しらすの不漁が続く現状を前に今井さんと同じことを言った。

「こればっかりは自然の力だからね」

この30年、海の環境が大きく変化する中で漁業を営んできた。磯焼けでカジメが消え、サザエやアワビ、ウニが採れなくなった。潜り漁は商売にならなくなった。アカモクはある年、突然なくなった。去年は佐島の名物である蛸も少なかった。

「あるがままを受け入れるしかないよね」

自然とともに生きている漁師さんや農家さんからよく聞かれる言葉だ。その姿勢は時には自然に逆らわないことも大事だとわたしたちに教えてくれる。わたしたちは自然に逆らうことで文明を発展させてきた。暗闇を恐れ、夜でも明るい都市を形成してきた。その営みが結果的に環境を破壊してきた。

あるがままを受け入れないから、不自然になる。ならば自然災害などの理不尽を諦めるのかと問われればそれも違う。大切なのはバランスだ。時には執着を捨てて、あるがままを受け入れる、そうやって自然とともに生きていくことが持続可能な未来へと繋がっていくのではないだろうか。

太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーには「曇天無風」という言葉がある。ドイツでは「ドゥンケルフラウテ(暗く無風な状態)と呼ばれ、太陽の力や風の力を利用して電気を生み出すことができない期間のことを指す。

「自然エネルギーによる発電率が高い社会では曇天無風の日は工場はお休み」というあたらしい働き方を提言された方がいた。電力を大量消費して24時間働いてきた世代であるわたしには幸福度の高い未来のように感じられた。

気候変動の適応策のひとつは「晴耕雨読」かもしれない

晴耕雨読。

晴れた日には畑を耕し、雨の日には家にこもって読書をする。俗世間から離れて悠々自適な生活を送ることをよくそう言われるが、一方で自然のあるがままを受け入れるバランスの取れた生き方だと言えないだろうか。

近年、急激に暑くなっていたのは温暖化とエルニーニョ、そして黒潮の大蛇行が複合的な原因だった。大蛇行が終息すれば幾分涼しい夏になるかもしれないと今井さんは言っていた。海水温が下がることで海藻が繁殖できるのではないかとも。

わたしたちは海のことをまだ知らない。海の水は潮汐といって、月や太陽の引力で動いている。宇宙からのその力に比べたら波を立てる風の力など微々たるものだという。わたしたちの営みは人知など到底及ばない力によって左右されている。

だからこそ、時にはあるがままを受け入れることも必要なのではないだろうか。

気候変動対策においては温室効果ガスの排出量削減などできることに取り組む緩和策も大事だ。そして熱中症の予防や災害に備えてのハザードマップなど影響を最小限に抑える為の適応策も大事だ。その適応策のひとつにわたしたちの生き方や働き方を「晴耕雨読」にシフトチェンジすることも含まれているのかもしれないと目の前に広がる海を見て改めてそう感じている。夜、どうしても働かなければならない人以外は電気を消して、眠る。暗闇というあるがままを受け入れる。それもまた大切なのではないかと感じている。

旅するように暮らす、この町で。

                           2025年6月1日