社会

教室の外での学び。寺子屋が支えていた、地域の学びと子どもの居場所

教室の外での学び。寺子屋が支えていた、地域の学びと子どもの居場所

学びは、いつから学校の中だけで行われるものになったのだろうか。 江戸時代から幕末にかけて広がった寺子屋は、庶民の子どもたちが集う「地域の学びの場」だった。そこでは、年齢も習熟度も異なる子どもたちが同じ空間で学び、「一人前の人間」になる過程を重ねていた。寺子屋のあり方から、学校の外で学ぶことが持つ意義を問い直してみたい。

ゲーミフィケーションとは?人が動く“しくみ”をデザインする

ゲーミフィケーションとは?人が動く“しくみ”をデザインする

ゲーミフィケーションとは、ゲームの仕組みを日常や仕事、教育といった非ゲーム領域に応用し、人が自発的に動くようにデザインする手法である。ポイントやバッジ、ランキングなどの要素を通して「楽しさ」や「達成感」を生み出し、義務ではなく「やりたい」という行動を引き出す。本記事では、その心理設計の核心に迫る。

動きやすさを、都市がつくる。 富山市に見る「まちなかの移動」のデザイン

動きやすさを、都市がつくる。 富山市に見る「まちなかの移動」のデザイン

人口減少が進む地方都市では、労働力不足や公共サービスの維持が大きな課題となっている。そんな中、富山市は長年にわたり「移動しやすい街づくり」に取り組んできた。公共交通を都市の軸として再構築することで、市民の暮らしはどのように変化したのか。富山市の「まちなかの移動」のデザインを手がかりに、都市構造の変化を読み解いていく。

人の流動性が都市を強くする。移動する人びとから考えるレジリエンス

人の流動性が都市を強くする。移動する人びとから考えるレジリエンス

人は定住するもの──その前提のもとで都市は設計されてきた。しかし近年、気候変動や災害、感染症などの危機が重なり、その前提は揺らいでいる。いま都市に求められるのは、守りきる強さではなく、壊れても続くしなやかさだ。制度の主語になりにくかった移動する人々に注目し、人の流動性から都市のレジリエンスを考える。

動ける人と、動けない人。モビリティから考える不平等

動ける人と、動けない人。モビリティから考える不平等

朝の通勤、週末の外出や旅行。私たちは当たり前のように「動く」ことを選択している。しかし、その自由は万人に等しく開かれているわけではない。収入や身体状況、居住地によって生じる「移動格差」は、不便の差を超え、教育・労働・健康といった人生の質を左右する。本記事では、移動という視点から現代社会に潜む不平等の構造を問い直す。

身にまとうことで、人は世界とつながる。服の根源的な役割

身にまとうことで、人は世界とつながる。服の根源的な役割

誰もが毎日、服を身にまとい一日を生きている。おしゃれが好きな人も、そうでない人も例外はない。服は防寒や保護といった機能を超え、身体と外界のあいだに介在し、世界との距離を調整する存在でもある。本記事では、身体感覚、社会的な記号性、着用者の振る舞いという三つの視点から、服の根源的な役割を考察する。

歩調を合わせて生きる。遊牧民の生活哲学から考える、人と自然の距離

歩調を合わせて生きる。遊牧民の生活哲学から考える、人と自然の距離

現代社会は「定住」という生活様式を前提とし、所有することに豊かさや安定を求めてきた。しかし、広大な大地を移動し続ける遊牧民にとって、移動とは不安定への転落ではなく、自然との調和を保つための「能動的な選択」だ。遊牧民の歩みから、私たちが忘れつつある自然との距離感と、真の安定を築くためのヒントを探ってみたい。

なぜ“移動しやすい街”は心地いいのか?関係性で考える都市モビリティ

なぜ“移動しやすい街”は心地いいのか?関係性で考える都市モビリティ

私たちの生活に欠かせない「都市モビリティ」は、これまで速さや効率といった利便性を中心に語られてきた。しかし、途中の景色を楽しんだり、少し寄り道をしたりする「余白」によって、移動そのものに心地よさが生まれる場合もある。この記事では、移動を街との関係性や体験の質から捉え直し、なぜ「移動しやすい街」が心地いいのかを紐解く。