社会

「何者でもない時間」を許す空間。オーストラリアの事例に学ぶ多文化社会の居場所

「何者でもない時間」を許す空間。オーストラリアの事例に学ぶ多文化社会の居場所

多文化社会では、人と人をつなぐこと自体が負担になることがある。交流や参加を前提とした場が、人を遠ざけることも少なくない。つながりを求めない居場所は成り立つのか。オーストラリアのNeighbourhood Housesは、支援を目的化せず「何者でもない時間」を許してきた。本記事では、その実践から居場所の条件を読み解く。

世代を分けないという選択。オランダの高齢者施設がつくる居場所

世代を分けないという選択。オランダの高齢者施設がつくる居場所

安全のために「同世代の集まり」で作られた高齢者施設は、気づけば社会との接点が失われた場所になっていた。そんな中、オランダでは高齢者と学生が共同生活を送る施設がある。本記事では、オランダの世代を超えた共生の取り組みを通して、高齢者の居場所に本当に必要なものは何かを考えていく。

なぜ男性は孤独を語れないのか。Men’s Shedsが問い直す「居場所」の設計

なぜ男性は孤独を語れないのか。Men’s Shedsが問い直す「居場所」の設計

現代の日本社会では、定年退職や単身世帯の増加により、社会的なつながりを失う男性が急増している。しかし、伝統的な「男らしさ」やプライドが壁となり、自らの弱さを吐露できず既存の相談型支援にも馴染みにくい。本記事では男性の孤立の背景を整理し、注目される「Men’s Sheds」という新たな居場所の設計思想について考える。

“電柱点検”を遊びに。PicTréeが描く新しい社会参加

“電柱点検”を遊びに。PicTréeが描く新しい社会参加

老朽化が進む社会インフラと人手不足という課題に、“遊び”の力で挑むプロジェクトがある。市民がゲーム感覚で電柱を撮影・報告し、社会インフラの維持に貢献できる「PicTrée(ピクトレ)」だ。義務ではなく“楽しみ”から始まる新しい社会参加のかたちは、地域の安全と、持続可能な未来を支える可能性を秘めている。

教室の外での学び。寺子屋が支えていた、地域の学びと子どもの居場所

教室の外での学び。寺子屋が支えていた、地域の学びと子どもの居場所

学びは、いつから学校の中だけで行われるものになったのだろうか。 江戸時代から幕末にかけて広がった寺子屋は、庶民の子どもたちが集う「地域の学びの場」だった。そこでは、年齢も習熟度も異なる子どもたちが同じ空間で学び、「一人前の人間」になる過程を重ねていた。寺子屋のあり方から、学校の外で学ぶことが持つ意義を問い直してみたい。

ゲーミフィケーションとは?人が動く“しくみ”をデザインする

ゲーミフィケーションとは?人が動く“しくみ”をデザインする

ゲーミフィケーションとは、ゲームの仕組みを日常や仕事、教育といった非ゲーム領域に応用し、人が自発的に動くようにデザインする手法である。ポイントやバッジ、ランキングなどの要素を通して「楽しさ」や「達成感」を生み出し、義務ではなく「やりたい」という行動を引き出す。本記事では、その心理設計の核心に迫る。

動きやすさを、都市がつくる。 富山市に見る「まちなかの移動」のデザイン

動きやすさを、都市がつくる。 富山市に見る「まちなかの移動」のデザイン

人口減少が進む地方都市では、労働力不足や公共サービスの維持が大きな課題となっている。そんな中、富山市は長年にわたり「移動しやすい街づくり」に取り組んできた。公共交通を都市の軸として再構築することで、市民の暮らしはどのように変化したのか。富山市の「まちなかの移動」のデザインを手がかりに、都市構造の変化を読み解いていく。

人の流動性が都市を強くする。移動する人びとから考えるレジリエンス

人の流動性が都市を強くする。移動する人びとから考えるレジリエンス

人は定住するもの──その前提のもとで都市は設計されてきた。しかし近年、気候変動や災害、感染症などの危機が重なり、その前提は揺らいでいる。いま都市に求められるのは、守りきる強さではなく、壊れても続くしなやかさだ。制度の主語になりにくかった移動する人々に注目し、人の流動性から都市のレジリエンスを考える。

動ける人と、動けない人。モビリティから考える不平等

動ける人と、動けない人。モビリティから考える不平等

朝の通勤、週末の外出や旅行。私たちは当たり前のように「動く」ことを選択している。しかし、その自由は万人に等しく開かれているわけではない。収入や身体状況、居住地によって生じる「移動格差」は、不便の差を超え、教育・労働・健康といった人生の質を左右する。本記事では、移動という視点から現代社会に潜む不平等の構造を問い直す。